まだ寮生活に慣れない彼女は、ちょうど良い時間帯がわからずに、早めの時間に食事を取りに来たのかもしれない。
……あ。もう仲良くなっているはずの、サポートキャラになるおさげでメガネの女の子デイジーとも、一緒に居ない。
そういえば、王族で生徒会長のエルネストを怒らせてしまったって、あの出会いの後食堂で落ち込んでいたら、彼女が慰めてくれて仲良くなるという流れだっけ。
……待って待って。これが、蝶の羽ばたきが台風引き起こすと言われる、バタフライ・エフェクトなのかしら。
あの毛虫が遅刻して落ちて来なかったというだけで、こんなにも先の展開が変わってしまうなんて……。
「まあ……ロゼッタ様、おはようございます。早いですね」
あら。私に挨拶をしてきたのは、ステファニーだわ。悪役令嬢らしく、ロゼッタには取り巻きが三人居るんだけど、その中の代表的な一人。
「おはよう。ステファニー」
「本日は、どちらの席で食べられますか?」
そうやって私のご機嫌を取るように、感じよくにこにこしていても、ロゼッタだって何も言わないだけで、貴女が何考えているか知っているのよ。
取り巻きのような顔をした貴女たちは、どうにかしてエルネストに気に入られようと必死で頑張るロゼッタのことを、見ていられないみっともないと影で言って馬鹿にしているのよね。
ロゼッタだってわかっていて、それでもここで上手くやらねばと一緒に居たのよね。
けど、思うにそういう人と何を話しても、建設的なことなどひとつもなく、無駄な時間になると思うし、私はたとえ一人でもランチを食べられるタイプなの。
本当の友人ならば、何かを頑張っていることに対し、決して笑ったりなんてしないはずよ。
「あ。私は今日から、食事は一人で食べるから……気にしなくて大丈夫よ。ステファニーも、好きな席で食べて」
にっこりと微笑みそう言うと、ステファニーはぽかんとした、間抜けな表情をしていた。
そうよね。私たちは高等部一年生の間ずっと、休み時間になればトイレも一緒に行く仲だったものね。けど、安心して。これからは挨拶と必要事項以外は、二度と話しかけないから。
友人という名の敵と常に一緒に居るくらいなら、孤独を感じたとしても一人で居た方が断然過ごしやすい。
朝食が載ったトレイを取って、隅の席で一人で黙々と食べていたら、三人揃ったステファニーたちがこちらを見て何か言っていた。
けれど、ひと月もしない内に彼女たちは何の反応もしない私に飽きると思うし、嫌われたからって別に気にするほどのこともない。
どんなに聖人でも、必ず2割には嫌われるのよ。全員に好かれようとする方が無理なのよ。
二度目に経験する学生生活ともなると『こういう時はこうしよう』という対処方法が、自分の中で定まってしまっているものだ。
井戸の中のように狭い世界しか知らない学生の時なら、これも辛かったのかもしれない。
私は学生の頃から一人でも、特に気にせず行動して、大丈夫だったけど……社会人になれば、一人で行動しなければいけない必要性だってあるし、誰にも気を使わない楽さにも目覚める。
何より美食を求めて一人旅行するのが好きだった私には、グループ行動の煩わしさに耐えるくらいなら、一人の方が断然気楽だってそう思ってしまうのよね。
そんなことより……今食べてる朝食が不味いことが、我慢ならない。
何をどうしたら、この材料を使ってこんなにも美味しくなくなってしまうの……? 本当に不思議だわ。
二年生に進級してから常に一緒に行動していた取り巻きたちを従えず、今まで迫り続けて嫌われてしまったエルネストにもすっかり近寄らず、一人淡々と時を過ごすロゼッタにざわついた面々は多かったようだ。
けど、二週間もしたら「ロゼッタ・ディリンジャーって、進級したタイミングで、キャラ変えたよね」と言われる程度で、特に注目もされなくなった。
人の興味なんて、そんなものよね。
けど、私の興味はゲームのキャラクターが全く無関係のまま、淡々進んで行く日々にどうしたものかと不安を募らせていた。
ヒロインフローラは一年生の白クラスで、上手くやってはいるようだ。
性格も良くて控え目でとても可愛くて、誰しも好きになる要素しか見当たらない。彼女を嫌いになる人なんて、どこかに居るのかしら?
そして、エルネスト、オスカー、イエルクとは……フローラは、一切関わっていない。なんだか、びっくりするほど、無関係。
そんなそんな……なんだかんだ言っても、なんかしらのきっかけで、乙女ゲームは進んで行くんでしょう?
なんて……毛虫程度のことで、何も変わらないはず……と、内心上手くいくだろうと居た私は、内心一人焦っていた。
いつものように寮に戻り食事とお風呂を済ませ、後は寝るだけにはなったんだけど、色々と考えていたら居てもたってもいられなくなり、女子寮屋上に一人座り込んで星空を見上げていた。
この魔法界の月は、ふたつある。青い月と赤い月。
今夜は青い月が満月だから、赤い月は新月で見えない。特別にふたつ同時に満月になる日もあるんけど……そんなことは、もう横に置いておいて……今の私の懸念事項は。
「え。これってまずいよね。どう考えても、まずいよね……」
何がまずいって、エンディングの卒業式前の最終イベントとして、攻略対象者との恋の成就を決定づける大事件が、解決せぬままになりそうだからだ。
魔法学園に居る全員の魔力を吸い取り、魔法界を牛耳ろうとしているアクィラ魔法学園の教師の一人、アレクサンドロ・リッチ先生の企みを、この段階で知っているのは、私一人だけだ。
本来ならば、二年生で個別ルートに入ったフローラと攻略対象者はそれを阻止して、絶体絶命ともいう事態を解決し愛を確かめ合う。
そして、卒業式では大団円で、学園も救われて恋も実って本当に良かったねなハッピーエンドとなるんだけど……今のところ、乙女ゲームは始まっていないし、フローラは三人とも話したこともなさそう。
このままだと、ゲーム通り魔法界が救われる兆しなんて、見当たらない。
ここで、仮に私がもし……魔法警察に「アレクサンドロ・リッチ先生が、良くない企みをしているようだ」と、匿名で魔法警察へ通報したとする。
それで、リッチ先生がすんなりと捕まったなら良いよ?
魔法警察が捜査しても、知らぬ存ぜぬで確たる証拠も見つからず、それで彼が捕まらなかったら、私……その後に、何の手も打てなくなってしまう。
一度誰かから疑われてしまったという経緯があるならば、再度通報しても魔法警察は、また誤報かと話を聞いて貰いづらくなるだろうし、リッチ先生だって、より警戒心を増してしまうだろうだろう。
しかも、ゆるく楽しむエンジョイ勢だったから、何がどうなるという時系列なんて本当にうろ覚えだし、そもそも乙女ゲーム自体始まってないのに、リッチ先生がどう動くかも予想出来ない。
どんな生徒にだって温厚な対応で知られるリッチ先生は、実のところ狡猾で用心深い。
だからこそ、ヒロインフローラと選ばれた攻略対象者の二人は、学園全体の魔力を吸い取る計画が実行される手前で、阻止するしかなかったはず。
前世の記憶を持つ私はそれをどうにかしなければと、一人で悶々と考え続けている。
そうなのよ……乙女ゲームが始まらない今、それを防げるのは、私一人だけでしょう?
おぼろげな記憶を辿るとゲームの中のように、リッチ先生の企みを阻止するためには、まず、ヒロインフローラのような光魔法の使い手の協力は必須だった。
フローラの助力を借りること自体は、簡単だと思う。あの子は素直で可愛くて、事情を知ったならきっと私に協力してくれるはず。
あとは、黒い宝石の邪悪な魔力を払う彼女を護ってくれる存在、そう……攻略対象者くらいの強さを持つ守護者が必要だ。
エルネストとオスカーの協力は、きっと得られなさそう。
だって、二人は今の時点で、私にあまり良い印象を持っていないし、イエルクに関しては無口でヒロインフローラ以外には心を開かない設定なので、期待薄だった。
けど……ここで私が何もしないと、学園中の魔力を得たリッチ先生によって、魔法界は支配されてしまう。
どうしようと大きくため息をついていた私はその時に、空を飛ぶ白竜に目を留めた。
「あ……綺麗」
黒い夜空を泳ぐように飛行する白竜は、大きな翼を広げてゆっくりとした速度で移動していた。
竜は魔法界には数多く生息しているし、確かロゼッタとしての記憶の中には覚えきれないほどの種類の竜が居るはずだ。
確か……二年生の夏休みの課外授業で、魔法使いとしての使い魔を得る、魔の森での特別課外授業もあるはず。
ヒロインフローラは、その後のイベントの関係もあり、選べずに聖なる力を持つ白い鷲だったけど……悪役令嬢ロゼッタは、何の使い魔を従えていたんだろう。
悪役令嬢ロゼッタは、フローラを邪魔をする時以外はろくに出てこないから、そういう基本知識さえわからないのよね。
時間つぶしにゆるく楽しむ程度のエンジョイ勢だったから、分厚い攻略本みたいな知識量なんて覚えてないんだからねー!
「竜かー……良いなー……何もかも、全部忘れて、私もどこかに行きたいな……」
あんな美しい竜に乗って、世界を飛び回れるなんて、最高以外の何ものでもない。
その時、まるで私の声が聞こえたかのように、青い満月に照らされていた白い竜は、くるりと綺麗に旋回し、私の居る寮の方向へと進路を変えた。
「……え」
悠々とした速度で夜空を飛行している時には見えなかったけど、誰かが竜の背に乗っているの!?