「おいおい……川に流されてしまったお前が、人の心配などをしている場合か。フローラならば大丈夫だ。既に見つかって、今は合宿所の方に居る。意識を失ったお前を運ぶために、オスカーとイエルクは担架を取りに行ったんだ。もし、君が頭を打っていたなら、なるべく揺らさない方が良いと思ってな」
どんなに嫌っていたとしても、私のために、完璧な采配をしてくれたエルネスト。
本当に王族たる王族だし、嫌われていたとしても、素敵な男性だと思う。
「あ……綺麗」
思わず言葉が出てしまったのは、波の合間にイルカが群れて泳いでいたのが見えたからだ。魔法界のイルカは何故か自ら発光し、夜の海の中に光るイルカが泳いでいる光景は幻想的だった。
「……お前とみても、ロマンスのかけらも感じないな」
「申し訳ありません……けど、綺麗ですね」
エルネストはここで自分に異常なくらいの執着を見せていたロゼッタに、勘違いされないようにと、牽制したかったのかもしれない。素っ気ない言葉に、私は謝罪を返した。
けど、彼が思ったいた通りの反応とは違ったせいか、エルネストは変な表情になっていた。
「本当に、ロゼッタなのか? ……調子が狂う」
エルネストの言いたいことは、私だって理解出来る。
急に自分に対する態度が180度変わってしまった私に、何があったのかを知りたいと思うことは、当然のことだろうと思う。
「エルネスト様は私のことをあまり良く思っていないと知っています。だから、大丈夫です。もう二度と付き纏ったり……エルネスト様が嫌だと思うことをしたりしませんから」
「……それならば、良い。勝手にしろ」
「はい……ですが、エルネスト様は、今回の件でも立派な方だと思いました。王族として、相応しい方です」
私の褒め言葉を聞いて、エルネストは変な顔をした。私もそれを見て、微妙な想いになった。
だって、せっかく彼の気に障らないように気をつけて褒めたのに……こんな顔されるって思わないよ。普通。
「……俺など……兄上に比べたら、平凡だ。それは、お前も良くわかっていると思うが」
エルネストの兄、王太子の話は、私も知っていた。魔法界の次期王たるその人は、絶大なるう魔力を持ち、その上で二つどころか、三つの属性を持っていると。
「エルネスト様は、もしかして、お兄様はあまり好きではないのですか?」
私にも血の繋がった兄サザールが居るけど、あまり好きではないなんてレベルはとうに通り越して、話もろくに聞いてもらえないし大嫌い。
「いいや……兄上は尊敬している。尊敬しているからこそ、兄上に対し俺は単純な好悪では、あの人へ向ける感情を表現出来ない。それでも、同じ親から生まれた兄弟なのにとは思う……ああ。やっと、帰って来たか」
私はエルネストが後ろを振り向いた視線の先を辿って、オスカーとイエルクが大きな担架を持ってきたのが見えた。
乙女ゲームでもエルネストのこんな独白を、聞いたことはなかった。
もしかしたら、ハッピーエンドの後でヒロインフローラにのみ伝えられる特殊な設定なのかもしれない。
……エルネストがそういう気持ちを臆さずに話出来る女の子が、現れたら良いと思う。
この時点でも、彼からの好感度が絶望的な私は、そう願うことしか出来ないけど。
そして、洞窟の中で急流に流されてしまった私は、ものの見事に風邪をひいてしまった。
体調が悪くなってしまえば、皆で楽しい夏休み合宿なんて、一緒に何も出来ないんだから楽しめるはずもない。
その後は三日ほど、合宿所で大人しく寝ていたし、そこから動けるようになるまでに回復すると、生徒会顧問のエッセル先生に付き添われて、四人を残し一人だけ帰寮する事になった。
あれだけ芯から身体が冷え切って気を失い、凍死寸前だったのだから、体調を崩してしまうのも無理はなかった。
けど、エルネストが渋々だとは思うけど、私を助けてくれて……本当に良かった。面倒な女だし、あのまま居なくなったら良いわと、思うような人でなくて、本当に……良かった。
寮に帰っても私は一人部屋だし、ずっと伏せっていて、病気だからということで、寮母さんが病人食を部屋にまで持って来てくれる。
わりと至れり尽くせりだし、好きな本を読んでいて、特に不満はなかった。
ただ、合宿所に四人を残して、こうして一人だけ帰ってきてしまって、なんだか寂しくなってしまうという想いはあった。
彼らは生徒会としてのカリキュラムをこなして、もう既に学園へ帰って来ていると思うけど……私だって、せっかくだし、合宿最後まで居たかった気持ちはある。来年もあるけど、私は最高学年だから、行けないかもしれないし……。
結局のところ、完全に回復するまで十日ほどベッドに居て、部屋の中には読む本もなくなり、すっかり暇になってしまった私は、何気なく窓を開けた。
そして……とてもとても驚いた。
「イエルクくん……? そこで、何してるの?」
「あ。先輩……びっくりしました」
信じられない場所で落ち着いた様子のイエルクは、私が窓を開けても動揺した気配は無い。
それは、こっちの台詞だよ! なんて、すぐに言えなかった。あまりにも、驚き過ぎて。
私は自分の目に映る彼が信じられなかった。何故かと言うと、私の部屋は寮の五階。普通ならばそんな高さで、急角度とも言えるくらい斜めになっている屋根に座ろうなんて、思ったりしない。
そう……高所にある窓の外側、すぐそこに、イエルクが平然として、屋根の上に座っていたのだ。
「え。何……どうして、ここに居るの? ……怒られるよ?」
こんな風に、屋根から女子寮に侵入した人……居るのかしら。ううん。屋根から侵入するなんて、本当に信じられない……怒られるどころでは済まなくない!?
え。待って。
けど、これだとイエルクは寮の部屋へ、侵入はしていない……? うん。身体は、窓の外に居るもんね。
だから、私が住んでいる女子寮の番人三頭の犬《ケルベロス》も、彼の存在には気が付いていないのかしら。
「すみません。先輩……合宿の時にひいた風邪が、なかなか治らないと聞いていて、心配になってしまって……」
素直に理由を話したイエルクの理由を聞いて、私は頭を抱えたくなってしまった。
そうよね。
イエルク……貴方があまり人慣れしていなくて、そういう人だって、それはわかっているけど、普通は心配しても、こんな風には屋根から訪ねたりなんてしないんだよ!
それに、私の住んでいる女子寮は男子禁制。
もし、女の子への悪戯目的で入ろうとした人が居れば、比喩でもなく、三つの頭を持つ番犬三頭の犬《ケルベロス》に、かみ殺されてしまう。
恐ろしいけど、そういう事件が、遠い昔に、実際にあったらしい。
心配性の中年女性のように、いつも口うるさい三頭の犬《ケルベロス》だけど、そんな高位魔物として、獰猛な一面も持っているのだ。
高位魔物の三頭の犬《ケルベロス》は初代校長の使い魔だったらしいけど、今は彼が亡き後も自ら買って出て、女子寮の番人をしてくれているんだよね。
口うるさいけど女子生徒のことを、それだけ心配してくれていると思えば、文句は何も言えない。
「イエルク……それは、ありがたいけど……あ。そういえば、なんで、私の部屋を知っているの?」
屋根に居ることは、とりあえずは、良いことにする。けど、どうして私の部屋の窓がこの位置だとわかったの?
「ここまで送りに来た時に、女子寮を見ていたら、ディリンジャー先輩が帰ってすぐあとに、この窓に灯りがついたので」
……そういえば、勉強を教わった帰りに、イエルクに何度も送ってくれたから、その時に彼は私の部屋の位置を確認していたのかもしれない。
本当に……頭が良い子がすることは、私には理解不能。
「イエルク……これ、私だから良いけど、他の女の子とにはしない方が良いよ」
「……どうしてですか?」
純粋なイエルクは本当にっ……何もわかっていないようだ。
それも、そうか……イエルクはいろいろあって、ドワーフの養い親の常識を常識だと思っているし……あの付き合っているという青田買いの幼なじみの女の子以外には、あまり話したことがないんだよね。
イエルクは悪くない。彼が今まで過ごして来た、環境が悪いだけで。
「あのね……こんな事をされたら、普通は誤解してしまうの」
「誤解?」
キョトンとした顔は、私が言いたいことを全くわかっていない。
「普通はこんなことをされてしまうと、イエルクが、私のことを好きになったのかと思うの。けど……私は大丈夫だよ? 貴方に幼なじみで付き合っている人が居るのは知っているし、それは別に構わないの。けど、こういうことを他の人にはしない方が良いよ。面倒なことになるのは、貴方だって、嫌でしょう」
好きでもない人に好かれて、とても迷惑をしていたエルネストに良く聞いて欲しい。あれをした当事者の私だって、今考えると恥ずかしくて穴に入りたくなるのだ。
それを向けられていたエルネストは、どれだけ迷惑だったんだろう……本当に悪いことをした。
「……すみません。ご迷惑でしたね」
悲しそうな表情になってしまったイエルクに、私は慌てて言った。
「えっ……待って! 別にこうして心配してくれることは、迷惑ではないわよ。けど、こういう事をすると誤解するの。付き合っている女の子を悲しませてしまうから、それはしてはいけないの。わかった?」
私は人としての常識を教えるつもりで、イエルクにそう言った。
「はい。わかりました。付き合っている女の子が居たら、こういうことはしてはいけないんですね……もうしません」
「ええ。わかってくれたのね」
イエルクは、本当に素直で良い子だ。
「ロゼッタ先輩って、優しいですね」
「そんなことないわよ。もしかしたら、イエルクにだけかもしれないけど」
……なんてね。まあ、絶対にないとわかっている私たちだから、成立する会話だよね。
「先輩は会長のことが、お好きだったとお聞きしましたけど」
唐突にイエルクに言われて、私ははあっと大きくため息をついた。そんな過ぎ去った黒歴史、誰が教えたのかしら。