「用意はできたか、坊や」

 カーティスは身支度を整えると、余裕たっぷりに背後を振り返る。

「まだだよ」

 バスルームから若干寝起きのような声が噛みついてくる。

「大事なことだから言うけれど、俺は十分前に起こされたばかりだ。今ようやくトランクスを履いた段階だから」

 ミカールはその通りの格好でバスルームから飛び出てくる。

「カーティが起きた時に俺も起こしてくれれば、こんな大惨事は起きなかった。少なくとも、目が覚めて現状認識をする前にシャワーを浴びろだなんて、ひどいミッションをこなす必要もなかった」

 起こされてすぐに上司の命令でバスルームへ直行し、シャワーを急いで浴びて、バスタオルで髪を乱暴に拭きながら抗議しまくるミカールである。

「素晴らしいな、ミカール。あれだけ激しく私を抱いたのに、文句を言う体力は回復したのだな」

 カーティスは目を細めてミカールの裸体を鑑賞する。均整の取れた頑強で精悍な肉体。昨夜その肉体に乱れに乱れて抱かれた行為が甦り、含み笑いをする。最高の夜だったと身も心もとろけそうである。

 ミカールもまた、そんなカーティスに見つめられて昨夜の情事が思い出されたのか、少々頬が赤くなった。だがすぐさまバスタオルで顔を隠した。

「あと五分だけ待ってくれ」

 そう言い残してベッドルームに戻る。

 カーティスはリビングルームの壁時計を目視する。円形のシンプルなステンレス製の時計。ミカールもカーティスも職業柄、時間には正確である。五分と明言したのなら、きっちり五分で現れるだろう。だがカーティスは別段苦ではない。一秒でも時間を間違えれば任務を失敗する可能性が高まり、尚且つ命をも失う危険な仕事をしているからだ。

 ――もはや習性だな。

 二人とも連邦職員である。所属する連邦機関はCIA。通称ラングレー。映画やドラマでお馴染みの諜報機関だ。

 黒い時計の針が一秒ずつ刻んでいくのを眺めながら、カーティスは久しぶりにミカールと過ごせていることに嬉しさを感じていた。日々会えないことなどざらである。しかも上司としてミカールに任務を下さなければならない。任務は成功すれば良いが、失敗すれば最悪なことも想定しなければならない。

 ――だから一緒にいる時間は普通に過ごしたい。

 カーティスはどこか深い眼差しになる。自分の優秀な部下であり、つき合っている年下の男性。いつも任務から無事に戻ってきた姿を見ると心から安堵する。もちろん、口には出さないが。

 ――私がどれほど心配しているか、ミカールは考えたこともないだろう。

 ふふっと笑む。それでいいとへそ曲がりに思った。余計な想いを知れば、ミカールにとって重荷になるかもしれない。それ以上に、たとえミカールが嬉しんだとしても、自分の気持ちを教える義務はない。

 ――私はプライドが高いんだ。

 と素直に肯定して、時計の針がちょうど五分経過したことを確認した。

 同時に、ベッドルームからミカールが急ぎ足で出てきた。

「待たせた、カーティ」

 グレイのTシャツにデニムという格好である。その姿は任務を遂行する諜報員ではなく、その辺をぶらつくただの青年だ。

「ああ、待った。だが早かったな」

 カーティスは表情に満足げな色を滲ませて、玄関口へ向かう。

「何が食べたい」
「……何でもいいよ。カーティが食べたいものに付き合う」

 ミカールも後に従いながら、肩を動かす。

「でもさ、どうしていきなり外で食べようなんて思ったんだ? しかも朝から」
「普通に過ごそうと思ったんだ。せっかくお前と二人きりだからな」

 次に二人きりの時間を持てるのはいつになるか不明だ。そういう世界で暮らしているのだから仕方がない。

「だったら、俺も一緒に起こしてくれればよかったのに」

 まだ恨めし気にぼやいているミカールに、カーティスはとびきりにイジワルな笑顔を見せた。

「私よりは若いはずだ、坊や。自分で起きるんだな」

 昨夜自分が満足するまで抱いてくれたミカールだったので、休ませてやりたかった。とは、絶対に言わないカーティスである。しかし、自分の身支度が終わってからミカールを起こしたのは少々悪かったかなとは思った。

「あ、そう。そういやカーティは俺より老けていたっけ」

 ご立腹著しく、ミカールはぶうたれる。

 カーティスはこの上なく優しい声で言った。

「さあ、自分の発言に責任をもってもらおうか、坊や」

 夜は夜で愉しいが、朝は朝で愉快である。カーティスはサッと顔つきが変わった年下の彼氏の様子に、内心ご満悦になって、玄関先のドアを開けた。

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