中学二年の春。陸上部に所属していた俺は、4×100mリレーの走者に抜擢された。とはいえ、それは俺自身の実力を買われたわけではなかった。本来走るはずだった同級生が怪我で降板して、その埋め合わせとして巡ってきた役目だった。
 しかし、当時の俺は長距離が専門で、瞬発力が求められる短距離は苦手だった。だから、いざ始まった練習ではチームメイトの足を引っ張りまくった。顧問には自分から何度も降板を申し出たが、他に走者がいなかったため、泣く泣く残留を余儀なくされた。
 俺はチームに対する申し訳なさと自分に対する情けなさで、練習のたびに心が折れかけていた。だが、他のメンバーは俺を責めたりはしなかった。むしろ温かい言葉で励ましてくれた。特にアンカーを務めていた部長は、自分の練習を置いてまでバトンパスの技術を教えてくれた。次第に俺の中で、部長たちの想いに応えたい気持ちが膨れ上がり、部活が終わってからも一人で走り込みをするようになった。そうしてコツコツと努力を重ね、ついに大会本番を迎えた。
 その日は部長含め、三年生は引退試合だった。レースは着々と進み、やがてリレー出場選手に召集が掛かった。俺は薄暗い召集席で、赤褐色のトラックを見つめていた。春だというのに、遠くの景色が陽炎のように歪んで見えた。それくらいプレッシャーに追い詰められていた。
 「久保。今まで、よく頑張ってくれたな」
 気付けば、部長が横に並んでいた。
 「リレーってのはな、他の種目と違って団体戦だ。みんなで心を通い合わせて、一つのバトンを繋ぐことに意味がある。もちろん結果も大切だが、俺はこの四人全員で走り抜くことに、真の価値があると思う」
 「部長……」
 トラックを見つめる部長の横顔は凛々しかった。俺はその言葉に励まされ、それまでの緊張から一気に解放された。俺は部長に感謝し、自分自身を奮い立たせた。
 結果から言うと、俺は無事にリレーを走り終えることが出来た。影の自主練が功を奏したのか、体感的にはベストランだった。
 ただ、チームとしての結果は最下位だった。なんと最後の最後に部長がバトンを落として、一気に追い抜かれてしまったのだ。それまでは好調だっただけに、部長たちの引退試合は後味の悪い幕引きとなった。
 リレーが終わった後、俺は部長の元に向かった。結果は残念だったが、レースの直前に彼が言っていた通り、バトンを繋ぎ、最後まで走り抜くことは出来たのだ。これまでの感謝も込めて、一言でいいから声を掛けたかった。
 「実はな、一ヶ月前から足首の調子がおかしかったんだ」
 俺の姿に気付いた部長は、開口一番に言った。
 「え?そうだったんですか……?」
 俺は困惑する。そんな話は初めて聞いた。
 「ああ。さっきはその不安がちらついて、バトンを落とした。きっと、もっとケアに専念してたら、こんなことにならなかったはずだ。誰かさんが練習で足を引っ張るせいで、余計な指導に時間を奪われた」
 「!」
 俺は身の毛がよだつのを感じた。長椅子に座った部長が、恨めしそうにこちらを見上げていた。俺は脳の奥が急速に冷めるのを感じながら、逃げるようにその場を後にした。
 大会までの日々を通して、俺は部長を尊敬するようになっていた。でも、あの時の目を見て確信した。彼が掛けてくれた言葉はただの綺麗事で、本心ではそんなこと思っていないどころか、むしろ俺を疎み嫌っていたのだ。
 美しい花には、毒がある。同じように、綺麗事の裏には、醜い本音が潜んでいる。それが、中学時代の経験から得た教訓だった。
 「だから嫌なんだよ、体育祭なんて……」
 嘘臭い理想ばかり口にする西条と、ろくな思い出しかないリレー。俺の憂鬱を映し出したように、空は夕闇に沈んでいった。