それから本番までの日々は、映画の早送りのように過ぎていった。はじめは上垣に尻を叩かれていた生徒も、練習の成果が出るにつれ、徐々にやる気に火を点けた。また、俺が陸上部時代に教わったコツを伝えることで、七瀬などの運動を得意としない生徒も、ミスの回数をぐっと減らせた。西条はクラスメイトの気持ちを最優先に動くようになり、今度こそ本当のリーダーとして、みんなに少しずつ受け入れられた。一時はどうなることかと思ったが――俺たちは、着実に大繩の回数を伸ばしていった。
そして土曜日。ついに、体育祭当日を迎えた。
見事な秋晴れに恵まれ、楕円形の校庭をぐるりと取り囲むようにテントや学級旗が並んでいる。全校生徒が集まって賑わう光景はまさに祭りだ。本部には笹原の姿もある。放送部の仕事で実況を務めると聞いたが、コンプライアンス的に大丈夫なのか?
「結局、大繩以外はほとんど練習できなかったな」
二―四のテント付近で、靴紐を結ぶ西条に話しかけた。
「そうね。でも、他のクラスも玉入れや騎馬戦はぶっつけ本番だって聞いたわ。リレーに関しては、もう少し練習しておきたかったけど」
リレー、と聞いて体が固まる。部長の恨めし気な視線が頭をよぎった。クソ。あの時とは状況が違うだろ。今日の体育祭には全く関係ない。
「そうだな。でも、プレ走はいい感じだったから、何とかなるんじゃないか」
一度だけ、他クラスと合同で走った。結果は五クラス中二位。一組に一位を奪われたが、かなりの接戦だった。他の競技の結果次第だが、十分優勝も狙える。
「大丈夫よ。私が主人公なら、絶対に何とかしてみせるから」
そう言って、西条が立ちあがった。ポニーテールと、額に巻かれたハチマキが揺れる。
「なんか、頼もしくなったな」
「あら?私は前から頼もし……痛っ!」
西条の顔が歪む。すぐさま足首を庇うのを見て、俺はまさかと唇を開いた。
「おい西条。お前……」
西条の左足首に、真っ白なテーピングが巻かれていた。もしや、怪我でもしているのか。
「大丈夫よ。大したことないし、テーピングも念のためってだけ」
西条が微笑んだ。だが、無理をしていることは流石に分かる。
「……何とかするつもりなのか、それも」
俺の言葉に、西条の瞳が揺らぐ。返答を待つ間、俺は無意識に拳を握り込んでいた。
『これより、開会式を始めます。生徒の皆さんは、校庭に集合して下さい』
アナウンスが流れた。なんてタイミングだ。
「行きましょ、久保くん」
「……ああ」
西条は生徒たちが集まる方へ歩き出した。彼女の言葉通り、歩調からは大した怪我に見えない。だが……
「もしも自分が主人公なら、か」
その時、俺はどうするのだろう。ふとよぎった考えを消すように、額に巻かれたハチマキを縛り直した。
『さぁ今年もやって来ました、美保高校体育祭っ!普段は退屈な勉強ばかり強いてくる学校も、今日は我々の熱い闘志がぶつかり合う戦場となることでしょう!笑いあり、涙あり、もちろん甘酸っぱい青春あり!そんな最高の一日が始まりまぁーす!』
十時頃。笹原のノリノリな実況と共に、競技がスタートした。俺が出場するのは、騎馬戦、大繩、代表リレーの三つだ。騎馬戦は午前ラスト、他二つは午後から行われるため、しばらくは暇になる。
「く、久保くん」
テントで涼んでいると、七瀬に話しかけられた。
「ついに本番だな」
「そうだね……」
七瀬が隣に並んでくる。何か用があるのかと思ったが、七瀬は俯いてモジモジと肩を動かすばかりだ。何というか、非常に気まずい。
「あ、ありがとう」
「へ?」
目の前で繰り広げられる借り物競争を眺めていると、不意に七瀬が呟いた。
「上垣くんを練習に引き入れてくれたの、久保くんなんでしょ?」
「あ、ああ……そのことか」
二日目の練習の後、七瀬と話したことを思い出す。多分あのやり取りがなければ、俺が上垣を説得することはなかった。
「久保くんのおかげで、上垣くんが練習に来て、クラスの雰囲気が変わった。みんな積極的に練習するようになって、記録もどんどん伸びて……本当に、ありがとう」
「いや、記録が伸びたのは、七瀬含めてみんなが頑張ったからだろ」
俺は慌てて前を向いた。いつまで経っても、感謝されるのは慣れない。
「西条さんも、嬉しそう」
七瀬も前を見た。そこには、矢野先生から眼鏡をひったくって走る西条がいた。必死ながらも、楽しそうな顔をしている。
「そろそろ玉入れだ。私、いくね」
「お、おう。頑張れよ」
七瀬が踵を返した。俺はその小さな背中を見送る。
多分、七瀬はこの一週間で誰よりも成長した。いつの間にか、俺よりずっと前にいる。
……いや、本当は最初から、俺の後ろには誰もいなかったのかもしれない。
そして土曜日。ついに、体育祭当日を迎えた。
見事な秋晴れに恵まれ、楕円形の校庭をぐるりと取り囲むようにテントや学級旗が並んでいる。全校生徒が集まって賑わう光景はまさに祭りだ。本部には笹原の姿もある。放送部の仕事で実況を務めると聞いたが、コンプライアンス的に大丈夫なのか?
「結局、大繩以外はほとんど練習できなかったな」
二―四のテント付近で、靴紐を結ぶ西条に話しかけた。
「そうね。でも、他のクラスも玉入れや騎馬戦はぶっつけ本番だって聞いたわ。リレーに関しては、もう少し練習しておきたかったけど」
リレー、と聞いて体が固まる。部長の恨めし気な視線が頭をよぎった。クソ。あの時とは状況が違うだろ。今日の体育祭には全く関係ない。
「そうだな。でも、プレ走はいい感じだったから、何とかなるんじゃないか」
一度だけ、他クラスと合同で走った。結果は五クラス中二位。一組に一位を奪われたが、かなりの接戦だった。他の競技の結果次第だが、十分優勝も狙える。
「大丈夫よ。私が主人公なら、絶対に何とかしてみせるから」
そう言って、西条が立ちあがった。ポニーテールと、額に巻かれたハチマキが揺れる。
「なんか、頼もしくなったな」
「あら?私は前から頼もし……痛っ!」
西条の顔が歪む。すぐさま足首を庇うのを見て、俺はまさかと唇を開いた。
「おい西条。お前……」
西条の左足首に、真っ白なテーピングが巻かれていた。もしや、怪我でもしているのか。
「大丈夫よ。大したことないし、テーピングも念のためってだけ」
西条が微笑んだ。だが、無理をしていることは流石に分かる。
「……何とかするつもりなのか、それも」
俺の言葉に、西条の瞳が揺らぐ。返答を待つ間、俺は無意識に拳を握り込んでいた。
『これより、開会式を始めます。生徒の皆さんは、校庭に集合して下さい』
アナウンスが流れた。なんてタイミングだ。
「行きましょ、久保くん」
「……ああ」
西条は生徒たちが集まる方へ歩き出した。彼女の言葉通り、歩調からは大した怪我に見えない。だが……
「もしも自分が主人公なら、か」
その時、俺はどうするのだろう。ふとよぎった考えを消すように、額に巻かれたハチマキを縛り直した。
『さぁ今年もやって来ました、美保高校体育祭っ!普段は退屈な勉強ばかり強いてくる学校も、今日は我々の熱い闘志がぶつかり合う戦場となることでしょう!笑いあり、涙あり、もちろん甘酸っぱい青春あり!そんな最高の一日が始まりまぁーす!』
十時頃。笹原のノリノリな実況と共に、競技がスタートした。俺が出場するのは、騎馬戦、大繩、代表リレーの三つだ。騎馬戦は午前ラスト、他二つは午後から行われるため、しばらくは暇になる。
「く、久保くん」
テントで涼んでいると、七瀬に話しかけられた。
「ついに本番だな」
「そうだね……」
七瀬が隣に並んでくる。何か用があるのかと思ったが、七瀬は俯いてモジモジと肩を動かすばかりだ。何というか、非常に気まずい。
「あ、ありがとう」
「へ?」
目の前で繰り広げられる借り物競争を眺めていると、不意に七瀬が呟いた。
「上垣くんを練習に引き入れてくれたの、久保くんなんでしょ?」
「あ、ああ……そのことか」
二日目の練習の後、七瀬と話したことを思い出す。多分あのやり取りがなければ、俺が上垣を説得することはなかった。
「久保くんのおかげで、上垣くんが練習に来て、クラスの雰囲気が変わった。みんな積極的に練習するようになって、記録もどんどん伸びて……本当に、ありがとう」
「いや、記録が伸びたのは、七瀬含めてみんなが頑張ったからだろ」
俺は慌てて前を向いた。いつまで経っても、感謝されるのは慣れない。
「西条さんも、嬉しそう」
七瀬も前を見た。そこには、矢野先生から眼鏡をひったくって走る西条がいた。必死ながらも、楽しそうな顔をしている。
「そろそろ玉入れだ。私、いくね」
「お、おう。頑張れよ」
七瀬が踵を返した。俺はその小さな背中を見送る。
多分、七瀬はこの一週間で誰よりも成長した。いつの間にか、俺よりずっと前にいる。
……いや、本当は最初から、俺の後ろには誰もいなかったのかもしれない。

