翌日、僕は工房に来た美紗ちゃんを見て、まず「本当に来た」なんて感動してしまった。
 女性と約束をして、それが果たされるなんてことは人生で初めてだった。

 けれどそんなふうに意識するのは気持ち悪いし、絶対に本人には伝わらないように振る舞おうと心掛けた。

 今日の美紗ちゃんは、白のコットンブラウスは、ふんわりとした袖と控えめなフリルがついている。ボトムスは、ネイビーのフレアスカートだ。それにオレンジ色のスカーフ。爽やかで、品があって、親しみやすかった。

 僕は紙とペンを取り出して、美紗ちゃんの前に置いた。
「じゃあ、まずは吹きガラスのデザイン画を……」
「いや、直感でいいや」
「えぇ……?」
 思い切りのいい性格なのか。美紗ちゃんの発言は、まだ彼女のことを知らない僕にはちょっと意外だった。

「インスピレーションを大事にしてるのだ」
「のだ?」
「変?」
「いえ、すみません……声に出てた」
「あははっ」

 やっぱり、この子は僕の頭を読んでいるのか?
 変なことは考えないようにしよう、と思った。
 無理かもしれないけど。

「ねえ、こんなのどうかな?」

 突然背後から声がして、僕は飛び上がりそうになった。
 美紗ちゃんが、青と水色のガラス片を掌に乗せて、わくわくした様子で聞いてくる。

「夏の海みたいなグラデーションにしたいなと思って」

 やっぱり、海なんだ。

「いいと思う。すごく美紗ちゃんっぽい」

 僕の頭のなかで、美紗ちゃんのブルーの瞳から、彼女は海のイメージだと思っていた。
 美紗ちゃん頬を染め、少し照れたように笑った。

 僕は、じいちゃんに聞かれてから気になっていた違和感を伝えてみた。
「……ねえ、美紗ちゃんって、学生?」
 思い切って聞いてみると、彼女は少しだけ視線を落として、
「うん。でも、学校には、あまり行けていないんだ」と小さく笑った。

 窓から差し込む光が、彼女のまつ毛を金色に染める。
「友達とは……SNSでしか話せてない」

 僕の胸の奥で、冷えたガラスが割れる音がした。

 同じだ、と思った。僕も、教室に居場所がなくて、
 ここに逃げてきた身だったから。

「そっか……僕もだ」
 ポケットに隠した左手が、汗でべとつく。

 なんでこの子が?
 同時に、疑問が湧く。
 でも、いろいろと詮索されたり聞かれるのが嫌な僕のように、美紗ちゃんだって、聞かれたくないこともあるだろう。

「私の学校、今修学旅行でシンガポールに行ってるの」

 そう言って、ほんの少しだけ寂しそうに笑う。

「三日間だけだけど。みんなが海外に行ってる間、私もどこかに行きたいなって思って。親に話して、ここに来た」
 彼女の声が、ガラスの粒みたいにきらきらと響く。

「みんなみたいに、夏休みの思い出も作れなかったから」
 美紗ちゃんがビーズを手のひらで転がしながら、ぽつりと続けた。

「家族で温泉旅行のほうがいいよ、全然さ」と僕が下手な励ましをしたせいか、彼女は「そうだよね……」と曖昧に微笑んだ。

 その表情に少し翳があるように見えた気がしたのは、気のせいだろうか。

「……じゃあさ。よかったら、一緒に本当の夏の思い出を作ろう」
 僕は思わずそう言っていた。
「本当の夏?」
「うん。ここでしか作れない思い出。それをガラスに閉じ込めようよ」

 彼女が「うん」とはにかんで頷いたとき、
 僕の胸の奥で、何かが静かにほどけていく気がした。