告白された、親友の好きな人に

「正くん」
 
「仁藤さん」
 
 風紀委員の教室で何度も見ていたはずの顔なのに、なんだか久しぶりに見たような気がした。
 ここまで走って来たのだろう仁藤さんは、呼吸を乱しながら、ぼくの方へと近づいてきた。
 
 正直、今のぼくは仁藤さんとは向き合う資格がない。
 ぼくは思わず一歩、逃げるように後ろへ下がった。
 
「にゃー」
 
 しかし、ライアンがぼくの足を全身で押してきた。
 この場所から逃げることは許さないとでも言いたげなように。
 
「その子」
 
 仁藤さんはぼくの足元にいるライアンを見つけると、しゃがんでライアンに手を伸ばした。
 
「仁藤さん!」
 
 ぼくは咄嗟に、仁藤さんの手を止めようとした。
 ライアンは、ぼくにこそ懐いているが、他の人間には警戒をしてしまう。
 人間に、捨てられた猫だから。
 
「にゃー」
 
 しかしライアンは、仁藤さんの差し出した手に頬ずりをし、仁藤さんはそのままライアンを抱き上げた。
 仁藤さんの腕の中で、ライアンは仁藤さんの撫でる手を気持ちよさそうに受け入れていた。
 
 ぼくは、手を伸ばしたまま固まっていた。
 ライアンがぼく以外の人間に懐くのなんて、初めて見たから。
 
 仁藤さんはライアンを撫でる手を止めて、改めてぼくの方へと向き直った。
 
「正くん、私が初めて正くんを見たの、いつだかわかる?」
 
「え? そりゃあ、学級委員を決めた時の」
 
「ううん、もっと前。正くんが、この子を拾った日」
 
 仁藤さんはしゃがんでライアンを地面に下ろして、また立ち上がった。
 ライアンはぼくの足元に走って戻ってきて、ぼくの足に頬ずりしながら喉を鳴らしていた。
 
 ぼくはライアンを見ながら、ライアンと出会った日を思い出していた。
 中学二年生の、今にも雨が降りそうな日。
 通学路にある電柱の根っこに、ライアンは段ボール箱に入って鳴いていた。
 いや、泣いていた。
 
 近くを何人かの大人たちが通っていたが、皆見て見ぬふりで通り過ぎる。
 雨粒が一滴頬に落ちた時、ぼくは段ボール箱を担ぎ上げて、自宅へと走った。
 
 案の定、母さんからは元の位置に戻してきなさいと怒鳴られて、それでも説得を続けて、一日だけ雨宿りをさせることだけは許された。
 わがままを言って飼うという選択肢もあったが、時々家にやって来る祖父が大の猫嫌いだったので、その選択肢は早々に諦めた。
 
 代わりに翌日、雨が降っても大丈夫な橋の下にライアンを運び、段ボール箱の中には寒くなっても大丈夫なように古い毛布を敷き詰めて、毎日下校中にライアンの元へ通って餌をあげるようになった。
 
 学校には飼い主募集の貼り紙を貼ったけど、結局飼いたい人は現れなかった。
 そうこうしてると、また捨て猫を見つけ、橋の下へ運び、また捨て猫を見つけ、橋の下へ運び、橋の下には猫たちの楽園が作られていた。
 ぼくのお小遣いと引き換えの、小さな王国だ。
 
「私ね、正くんより先に、その子に出会ってたの。でも、可哀そうだと思うだけで、何もできなかったの。誰か親切な人に拾われるといいねって祈りながら、声をかけることしかできなかったの」
 
「仁藤さん」
 
「でも、やっぱり心配で戻ったら、正くんがいたの。躊躇うことなく段ボールを持って帰って、お母さんに怒られても、その子のために頭を下げている姿を見て。ああ、こんな人がいるんだって思ったの」
 
「こんな人?」
 
「自分以外のために、頭を下げることができる人。私ね、ずっと自分のために生きてきたの、自分の成績を上げて、いい学校に進学して、いい会社に入ろうって。そうしたら、きっと素敵な人になれるって思ってたの」
 
 仁藤さんは、いつにもまして饒舌にしゃべっていた。
 学級委員で一年、風紀委員でもう少しの付き合いだ。
 仁藤さんの好きな物や趣味は、何度も聞いた。
 でも、仁藤さんは自分のことを話すことはあまりなかった。
 どんな考えで生きているのか、何を大切に生きているのか、どうして私立中学からエスカレーター式に私立高校へ行かず公立高校へ来たのか。
 
 いつも以上の自己開示。
 仁藤さんが、告白してきた時以上に、自分のことを知ってもらおうとしているのが伝わって来た。
 
「でもね、正くんを見て、違うなって思ったの。自分のためじゃなくて、誰かのために行動できる人間が一番素敵だなって思ったの。正くんみたいに、何の見返りもなく、猫を助けることができるような人がね」
 
「それで、私立進学辞めてうちに来ちゃった、とか?」
 
「そう。近くで見ないと、分からない事ってあると思うから」
 
 あまりにも褒められて、あまりにも照れくさくなって、空気を変えるために口にした冗談は、どうやら事実だったようで。
 変なことを言って驚かせるつもりが、逆に驚かされた。
 会話の主導権を取り戻すこともできず、ぼくはただ仁藤さんの独白を聞いていた。
 
 仁藤さんははかなげな笑顔をぼくに向けて、目を赤くして、全身を震わせながら口を開いた。
 
「布藤くんから聞いたよ。布藤くんから、私のことで相談を受けてたんだってね」
 
 心臓が、胸を突き破りそうになった。
 咄嗟に左胸を押さえたが、胸はいつも通りそこにあって、心臓はいつも以上に音を立てていた。
 ライアンが思わず後ずさりするほど、ぼくの心臓の音は五月蠅かった。
 
「私からの告白を断ったのって、それが原因?」
 
 汗が流れる。
 足が震える。
 耳が音を閉ざそうとする。
 ぼくは布藤の顔を思い浮かべて、助けを求めてしまった。
 
 だが、妄想の中の布藤は、親指を上に立てて笑顔を浮かべた。
 
「もし、布藤くんから相談されなかったら、私の告白を断らなかったの?」
 
 人間関係は、シーソーに似ていると思っていた。
 何かをもらえば、何かをあげたくなる。
 良いことが起きれば、悪いことも起きる。
 
 仁藤さんが心の内を全て開示した今、次に開示しなければならないのはぼくの心の内だと、わかっていた。
 仁藤さんが一度告白を断られたにも関わらず、またぼくの前に立っている事実が、ぼくにぼくの覚悟を問っていた。
 
 でも、この場においても、ぼくは迷っていた。
 ぼくが仁藤さんを好きだと口にした後の、布藤がぼくの側からいなくなる世界を想像して。
 
「ぼくは」
 
 口が止まる。
 流れ出る汗が、ぼくに目を開け続けることを許してくれない。
 目を閉じて、真っ暗になった世界に、また布藤が浮かび上がった。
 
『お前の恋を邪魔するなんて、したくねえ!』
 
 浮かび上がった布藤は、過去と全く同じ言葉を口にした。
 
 恋。
 ぼくの恋。
 ぼくは、頭の中に散らばっていたぼくの想いを掻き集めた。
 布藤の恋を手伝おうとしたぼくの想いを左側に、仁藤さんと過ごして仁藤さんに抱き始めた想いを右側に。
 親友と好きな人。
 ごちゃまぜになっていた想いを二つに分けて、仁藤さんへの想いだけを掬い取って抱きかかえた。
 
 目を開く。
 真っ暗な世界から、真っ赤な世界へと。
 優柔不断なぼくの言葉を、仁藤さんは震えながらずっと待っていた。
 
 ようやく、純粋に仁藤さんだけを見れた気がする。
 震える唇を叩き起こして、ぼくは口を開いた。
 
「仁藤さんからの告白、嬉しかったよ。もしも布藤から相談をされてなければ、告白を受けていたと思う」
 
 ぼくの返事に、仁藤さんは目を赤くしたまま、ぱあっと顔を明るくする。
 思わず走り出しそうな勢いで、ぼくに向かって一歩前に出た。
 
「じゃあ!」
 
 が、すぐに立ち止まって、手櫛で髪を直して背筋を伸ばした。
 つやつやの唇が、ゆっくりと動き始める。
 
「正くん、私は」
 
「待って!」
 
 ぼくはそれを止めた。
 ぼくの大声に仁藤さんは驚いて固まり、一歩後ろへと下がった。
 
「ああ! 断るとかじゃなくて! えっと」
 
 最後まで、ぼくはぼくをみっともないと思ってしまった。
 仁藤さんからの告白を断ったのがぼくのつまらないプライドなら、仁藤さんにまた告白をさせてしまうのが嫌なのも、ぼくのつまらないプライドだ。
 
「今度は、ぼくから言わせてほしい」
 
 ぼくの言葉に、仁藤さんは無言で頷いて、ぼくが話すのを待ってくれた。
 
 心臓の音が、大人しくなっていく。
 ここ最近、ずっと騒がしかった世界が静かになっていく。
 布藤の顔は、浮かんでこなかった。
 
「仁藤さん。一度断ってきたのに、何をいまさらって思うかもしれないけど。告白された時は、本当に嬉しかったって言うか。あ、もちろん、布藤のせいにするつもりもないんだけど」
 
 言いたいことが、頭の中に溢れすぎた。
 普段から物事に興味を持たないようにしているぼくの悪癖だ。
 一度溢れてしまうと、もう取り返しがつかない。
 頭の中に浮かぶ言葉をそのまま口にしちゃうから、とても聞き取りづらくなってしまう。
 
「大丈夫。ちゃんと聞くよ」
 
 でも、不思議と安心はしていた。
 
 仁藤さんなら、ぼくの世界一不器用で下手くそな告白も、ちゃんと受け止めてくれるという確信があったから。