五月中旬。この日は中間テスト最終日だ。
 教室前の時計は試験終了まで残り十分の時刻を示していた。
 問題を解き終えて見直しも完了した者、まだ必死に悪あがきする者が混在している。
 響は何とか最後まで解き終えて、ケアレスミスや問題の読み間違いがないか見直しをしていた。
(……多分大丈夫だろう)
 そう思ったところでチャイムが鳴る。
 
 ようやくテストから解放されて、響達二年四組の生徒は晴れやかな表情をしていた。
「響、どうだった?」
「多分まあまあだと思う。一年の時と同じくらいの点をキープしたいところ」
 部活へ行く準備をしていた響は風雅に聞かれ、そう答えた。
「風雅はいつも通り余裕?」
「まあそれなりに取れてるとは思う」
 チャラくて不真面目そうな風雅だが、成績は意外にもそこそこ優秀である。
 ちなみに響は気を抜くとすぐに中の下当たりに成績が落ちてしまう。
「とりあえず今日から部活再開だし、行くか」
「そうだな」
 風雅の言葉に頷く響。
 二人は音楽室に向かった。





♪♪♪♪♪♪♪♪





 この日の部活は六月の文化祭に向けての個人練習だ。
 響はクラリネットを組み立て、譜面台と楽譜が入ったファイルとメトロノームと念の為チューナーを持って空き教室に向かい、チューニングと基礎練習をしていた。
 その時、隣の教室から優雅なフルートのチューニング音が聞こえた。
(あ……この音は……)
 響は表情を綻ばせる。
(かなちゃんの音だ。何というか……昔より煌びやかな音になってる)
 響は思わず奏の音を聴き入ってしまう。
 しばらく奏の基礎練習を聞いていると、いつの間にか文化祭の曲の練習に移っていた。
 今流行りの曲である。
 しかし、音色と曲の雰囲気がちぐはぐだ。
 奏はクラシック曲を得意とするので、その音色は優雅で美しい。しかし、流行りのJ-POPなどには若干合わない。
(だけど、それはそれで新鮮さがある……)
 響は思わずクスッと笑い、クラリネットで同じ曲を吹き始めた。
 すると奏は響に合わせるようにフルートを吹く。
 その音色は少し明るくなった。
(そうそう、J-POPならこんな感じ)
 響は隣の教室で曲に乗り出した奏に笑いかけるようにクラリネットを吹いていた。

 するとそこに、ピッコロの高音が加わった。
 
(天沢さんか……)
 響はクラリネットを吹きながら苦笑する。
 隣の教室でピッコロの彩歌も同じ曲を練習し始めたのだ。やや攻撃的なピッコロの音である。

 続いて加わったのはトロンボーンの音。加わり方が自然だったので、まるで最初から響達と一緒に演奏していたかのようだ。
 
(このトロンボーンは……風雅だな)
 いつの間にか加わっていたトロンボーンの音に、響は苦笑した。
 軽快で明るいトロンボーンの音である。
 聞こえる音は、どんどん賑やかになっている。

 響の耳に、ファゴットの音が聞こえ始めた。
(ファゴット……これは律だな。低音入るとやっぱり安定感ある)
 クラリネット、フルート、ピッコロ、トロンボーン、ファゴットの軽い合奏になっていた。
 そこへ、ドラムとユーフォニアムの音が加わる。
(徹、楽しそうにドラム叩くよな)
 響は隣の棟の窓が開いた音楽室から聞こえるドラムに苦笑する。
(蓮斗のユーフォは安定感あるな。縁の下の力持ちって感じだ)
 響は聞こえてくるユーフォニアムの音を聞いて安心していた。
 ユーフォニアムはどの楽曲もあまり目立ちはしないが実はオールラウンダーな楽器である。
 更に、オーボエとアルトサックスの音が入って来た。
(このゆったりとしたオーボエは小夜さん、ノリノリのサックスはセレナさんだな)
 近くの教室で練習中の小夜とセレナも同じ曲に加わっていた。
 個人練習のはずが、色々な音が重なり合い気付けば合奏風になっている。
 最後まで演奏し終えた時、何となく達成感があった。
 隣の教室からは奏と彩歌の笑い声が聞こえた。
(何か……楽しいな)
 響は表情を綻ばせた。





♪♪♪♪♪♪♪♪





 この日の部活が終わった。
 夏に向けて少しずつ日が長くなっている。
 中間テストが終わり、夏服への制服移行期間に入ったので帰る準備をする響は黄色いカーディガンを羽織っていた。
 よく見ると、吹奏楽部の部員達は皆思い思いの色のカーディガンを着ていてカラフルだ。
 ちなみに、奏は紫のカーディガン、彩歌は赤いカーディガンを着ていた。

 音宮高校の校則は髪を染めたりパーマをかけたりピアスの穴を開ける意外は、制服さえきちんと着ていたら基本的に自由だ。靴下も派手な柄が許されているし、靴もブーツ、ヒール、サンダル以外ならカラフルでも許される。
 髪型も、女子生徒が巻いたり派手なヘアアクセサリーを着けても特に何も言われない。
 そして制服移行期間のカーディガンも色と柄は自由である。
 おまけに授業中以外はスマートフォンも使用可能だ。中には授業中「スマホの電卓機能使え」と言ってくる先生もいる。
 比較的校則が緩いのだ。

「かなちゃん、お疲れ様。久々の部活だけど、どうだった?」
 帰る準備をし終えた響は奏に声をかける。
 奏が吹奏楽部に入部してすぐ、中間テスト二週間前になり部活停止期間に入った。よって奏にとって今日が実質本格的な活動開始日なのだ。
「こんな風に練習したの、中学一年生振りです」
 奏は懐かしそうな表情である。
「しんどくはない?」
「はい、大丈夫です。ありがとうございます、響先輩」
 奏はふふっと楽しそうに笑った。
「かなちゃん、もし良ければ一緒に帰ら」
「奏!」
 一緒に帰ろうと誘おうとした響を遮る彩歌。確実にわざとである。
「彩歌……」
 奏は苦笑する。
「奏、帰るよ。あたしと二人で」
 やたらと「二人で」の部分を強調している彩歌。もちろん響をキッと睨みつけている。
「良いなあ。じゃあ俺も彩歌ちゃんと一緒しよっかな?」
 帰る準備をし終えた風雅が彩歌に絡む。
「はあ!? 何であんたが!? ふざけんな! あっちの馬鹿みたいな猿の所に行け!」
 物凄い剣幕の彩歌。しかし風雅は動じない。
 ちなみに、彩歌が馬鹿みたいな猿と言ったのは徹のこと。
「おい天沢! 今俺を馬鹿みたいな猿って言ったな!? 失礼だぞ! それに、俺は先輩だ! 敬語使え!」
 ドラムセットを叩きながら徹は彩歌に抗議した。しかし、暖簾に腕押しであることは分かっていた。
 
 男子の先輩に向かって基本的に敬語を使わない彩歌だが、誰も注意をすることを諦めたようである。ただし、彩歌は蓮斗ならまだマシと判断したらしく、蓮斗にだけ敬語を使っている。
 
「そういえば、大月さんの家ってどっち方面?」
 律がさりげなく奏に話しかけた。
「駅から西方面」
「じゃあ俺と反対だ」
 若干残念そうな律。
「俺はかなちゃんと同じ方面だよ。かなちゃんの家の最寄駅より五駅先だけど」
 響は若干焦ったように会話に加わる。
「そうでしたね」
 奏は柔らかに微笑んだ。
 結局、響、奏、彩歌、風雅、律の五人で帰ることになった。
(随分と賑やかだけど、まあいっか)
 奏と帰りたいと思った時点で彩歌に邪魔される予想は出来ていたのだ。
 賑やかな様子で五人は音楽室を後にする。
 
 テナーサックスを片付けている詩織が響と奏を複雑そうに見ていることには、誰も気付かなかった。
「幼馴染か何だか知らないけど、ぽっと出の癖に……」
 詩織のその呟きは、周囲の音にかき消されていた。