大学のキャンパスのベンチで、蓮は紙コップのコーヒーを片手に、春の風をぼんやりと感じていた。花粉に弱い体質のくせに、こういう季節になると外に出たくなるのは昔から変わっていない。講義の合間。ふとスマホを開いて、SNSのタイムラインを流していた時だった。とあるアカウントが目に留まる。プロフィールに記された名前、「朝比奈陽菜」。けれど、本人かどうか確信は持てない。プロフィール写真も、鍵のかかった投稿も、そのままでは何も分からない。ただ、どこかで確かに感じた。
「今も、あの真っ直ぐさで誰かと向き合い続けているんだろう。」
そんな予感。風が吹いて桜の花びらが一枚膝の上に舞い降りた。あの頃、陽菜が教室で言った言葉のひとつひとつが今も胸に残っている。あの時は、戸惑いと苛立ちがあったが、時間が経ってようやくわかったこともある。あの日誰かが声を上げたこと。誰かが傷ついて黙っていたこと。そして、自分はその中で「何を選んだのか」。蓮はゆっくりと息を吐いた。
「…たぶん、もう少しだけなら、ちゃんと向き合えるかもしれないな。」
自分にそう言い聞かせるように呟いた。スマホをポケットにしまい、コーヒーを飲み干す。陽菜がいなくなってから、何年も経った。けれど、あの出会いは確かに蓮の世界を変えた。誰にも見せなかった感情を引き出され、他人とぶつかることを恐れていた心に、少しずつ風が吹いた。今の自分は、あの頃よりも少しだけ不器用になったと思う。でも、ちゃんと話そうとしている。向き合おうとしている。それは、きっと悪いことじゃない。蓮はベンチから立ち上がり、桜並木の間を歩き出した。振り返ることはなかったけれど、心のどこかで思っていた。
「今、どこかで彼女もまた、誰かのために立ち止まっているのかもしれない」
と。そして、
「あの光のような真っ直ぐさが、どこかでまた誰かを救っているのだろう」
と。