朝の光が校舎を包み込む。今日は卒業式だ。教室の空気はどこか浮つき、例年通りの緊張感と共に、どこか感慨深さを感じさせるものだった。蓮はいつものように制服をきちんと着こなし、椅子に腰を掛けている。教室の中には、今まであまり話したことのないクラスメイトの顔もちらほら見える。その中に紗季の姿を見つけ、自然と目が合った。以前なら軽く会釈をして、無言で視線を逸らしていた。しかし、今は違う。言葉は少ないけれど、顔を見ればお互いに何かを理解していることがわかる。
「蓮くん、卒業おめでとう。」
紗季のその一言がどこか新鮮に感じられた。
「紗季も、卒業おめでとう。」
たったそれだけの会話だったが、何もかもが少しだけ違っていた。席の間を歩いていくと、ふと目に入るのは陽菜の席だった。そこには陽菜はいない、空っぽの椅子だけが置いてある。陽菜はこの教室にはいない。一緒に卒業することはできない。けれど。
「なあ、みんな。」
ふと誰かが言った。その声に反応して、蓮は思わず振り向く。そこに立っていたのは、いつの間にかすっかり変わった紗季だった。
「陽菜、いないけどさ。私、思うんだ。」
紗季は少し照れたように笑った。その笑顔はかつてのぎこちなさがなくなり、自然なものになっていた。
「陽菜のおかげで、このクラスが少し変わった気がする。最初は、みんな無理してるように感じたけど、最後には、誰もが本気で何かを守ろうとしていた。」
蓮はその言葉に静かに頷いた。確かに、陽菜が来てからクラスの雰囲気は変わった。最初は目立ちたくなくて、気を使っていたけれど、陽菜がどこまでも真っ直ぐに人と向き合わせようとする姿を見て、蓮も、紗季も、他のクラスメイトたちも少しずつ変わっていった。無視してきた問題に目を向け、誰かのために手を伸ばすことを恐れなくなった。それは陽菜がくれたものだ。
「最初は、どうしてこんなに一生懸命なんだろうって思ってた。でも、今思うと、その姿勢が私たちにとってすごく大事だったんだなって思う。」
紗季の言葉が静かな教室に響いた。クラスの誰もが、かつてそこにあった陽菜の存在を感じていた。彼女はいなくても、思い出はこの場所に残っている。陽菜が教えてくれた「真っ直ぐさ」を、みんなが少しずつ受け入れ、そして歩き出していた。
「最初は陽菜のこと苦手だったけど…。」
蓮は独り言を呟くように囁いた。そう、最初は陽菜に反発していた。真っ直ぐすぎて、反発を感じた。でも、蓮はその心の中で、陽菜に対して感謝の気持ちが芽生えていることを、どうしても隠せなかった。
「でも、ありがとうって思ってる。」
この言葉は陽菜には届かないけど、蓮が心の中で抱いた思いだった。陽菜がいなくても、この先みんなきっと少しずつ変わっていく。そして、この変化が陽菜が教えてくれた「大切なもの」だと気づいた。卒業式が始まり名前が呼ばれるたびに、蓮はどこか心が温かくなるのを感じた。クラスは変わった。自分も変わった。これからの未来、きっと上手くかないことも、綺麗じゃないことも山程あるだろう。それでも、これから先の未来が、今までとは少し違って見える気がした。