春の香りを含んだ風が、校舎の窓から吹き込んで来る。教室は、もうすぐ始まる春休みを前に、どこか浮ついた空気に包まれていた。蓮は、自分の席から教室を見渡す。かつては、「面倒」としか感じなかったこの場所が、今は少しだけ愛おしく思えた。あの一件、クラスで起きたいじめ、陽菜との衝突、仲間たちとの葛藤。全てが終わったわけではない。傷が完全に癒えたわけでもない。けれど、誰もが少しずつ、自分の弱さを認めながら前に進んでいた。陽菜は廊下の窓辺で風に髪を揺らしていた。あの日と同じように、真っ直ぐで、どこか不器用なまま。
「なあ、陽菜。」
声をかけると、彼女は振り返って笑った。
「うん。」
「…ありがとな。」
蓮は一拍置いて、目を逸らさずに言った。
「俺、多分もう、前みたいには戻れないわ。」
それが、褒め言葉になるとは思っていなかった。けれど陽菜は、ほんの少し驚いたように目を見開いた後、嬉しそうに微笑んだ。
「うん、それでいいと思う。」
教室の扉が開き、何人かのクラスメイトが陽菜を呼ぶ声が聞こえる。彼女は手を振って応じ、蓮に一言だけ残して駆け出していった。
「また、ちゃんと話そうね。」
蓮はその背中を見送りながら、心の中で静かに頷いた。人と関わることは、やっぱり少し怖い。でも、その先にしかないものがきっとある。風が教室を通り抜けていく。新しい季節がそこまで来ていた。