神谷優衣は自分が「悪役」であることを理解していた。クラスの中で目立ち、リーダー格として振る舞う一方で、周囲の空気を操作する術を身につけていた。それが彼女なりの生き残り方だった。
「別に、潰そうなんて思ってないよ。ただ、ああいう子って目障りなのよね。」
放課後のカフェで取り巻きの一人が軽口を叩く。優衣はストローをくわえたまま無言で頷いた。彼女にとって「からかう」ことは、相手を見下すための行為ではなかった。自分の立ち位置を確かめるための手段。そう、彼女自身も、いつかその「対象」だったから。
 一年前、優衣は別のクラスで浮いていた。母親が厳しく、成績も振る舞いも常に「優等生」であることを求められた。周囲との会話が噛み合わず、孤立していた自分を救ったのは、今の「輪」だった。だけど、その輪に入るには、誰かを外に置く必要があった。「正しさ」だけでは守れない自分がいる。だから、陽菜のような存在は、優衣にとって怖かった。
 数日後、陽菜が一人下駄箱の前に立っているところに優衣が声をかけた。
「ちょっと、いい。」
陽菜は顔を上げた。鋭い警戒心がほんの一瞬だけ目に浮かぶ。
「神谷さん、どうしてそんなに他人に踏み込むの。」
優衣の声は冷たくも何処か苦しげだった。
「…あなたには関係ない、って言われる方が楽なんじゃない。自分が傷つかなくて済むし。」
「関係あるよ。だって、無関係なふりしてたら、誰かが一人で泣くんだもん。一人で傷を抱え込むんだよ。…それが、一番辛いよ。」
その言葉は優衣の中の何かを微かに揺らした。けれどすぐに押し戻す。
「綺麗ごとね。」
そう吐き捨ててその場を去る。だが、心の奥に沈んだ感情は確実に波紋を広げていた。

 一方その頃、クラスの中で「変化」が起き始めていた。蓮と陽菜が記録した証拠の一部を、紗季が匿名で相談窓口に提出したことがきっかけだった。この一件で、担任の白井もついに校内での調査を無視できなくなった。陽菜たちの行動が、生徒たちの間に「沈黙は正しさではない」という意識をじわじわと広げていたのだ。

 そんな中、優衣は取り巻きの一人が匿名で自分の悪口を投稿していたことを知った。
「優衣ってさ、自分が一番安全な場所にいると思ってるだけだよね。」
優衣の背筋は凍った。あの輪が、思っていたよりも脆いことに初めて気が付いた瞬間だった。
 翌日、教室に入った優衣の顔は蒼白だった。彼女は何も言わず自分の席に着いた。誰も話しかけない。その沈黙は蓮がかつていた場所に、今度は彼女が立たされていることを意味しているようだった。
 放課後、蓮は彼女の隣に座りぽつりと呟いた。
「人って立場が変わると、見える景色も変わるんだな。」
優衣はその言葉に目を伏せた。何かを言おうとして、やめる。その横顔に蓮はかつての自分を重ねた。
「まだ、遅くない。」
蓮のその言葉に、優衣はようやく顔を上げた。その目にはほんの僅かな涙が滲んでいた。