「どうするつもりだよ」
 僕は訊ねた。
「どーにもならんべーよ。正義のヒーローもウシジマくんもこの世にはおらんし」
「ウシジマくんに頼ったらそれはそれでやばい」
「いいリアクションじゃん、ウケる」
 金城が笑うたびに僕は苦しくなった。こいつは、昔の友達なんかじゃない、いまも友達だと思った。
「まあ逃げるわ。というか逃げようとしたとき、お前がいた。最後に会えてよかった」
「どこにいくんだよ」
「わからん。逃げて逃げて逃げまくって。でも捕まるんだろうなー。そんで悪の道突っ走るか、それとも臓器とか売られるとか。闇のオークションとか出るのかな。金持ちが酒飲みながら見てるんだろ、デスゲームの」
「冗談にしても嫌なこと言うなよ、しかもカイジとか。面白くねえし」
「こんなときにセンシティブ設定してられっかよ。そんなの余裕のあるときだけだ」
 金城が吐き捨てた。「俺、いくわ」
 そう言って立ち上がった。
「待てよ」
「待たない」
「お金、もしかしたら」
「お前の新しい親父に頼むってか。無理だろ、こんなお前に似つかわしくないお友達の命なんて、なんなら消えてくれたほうがいいだろ。それに、あいつのこともあるしな」
「あいつって」
「お前の兄貴も相当やばいよ、俺なんかよりもずっと派手なことしてたからな」
 僕はぞくりとした。さっきの金は、つまり。
「あんなやつ、どうにだってなってもかまわない」
 僕は言った。
「そんな顔すんなよ。最後くらいいい顔しててくれよ。俺、お前に迷惑かけて甘えてたけど、まじで友達、お前くらいしかいないんだわ」
 またな、と金城が去ろうとしたときだ。僕が金城の肩を掴むと、そのまま金城は僕の腕を掴んだ。
「よっ!」
 僕は飛んだ。そして、思い切り公演の砂場に打ち付けられた。
「背負い投げ、久しぶりにした」
 金城が言った。
「なにすんだよ」
 砂が舞い、僕が服についた汚れを払っていると、
「じゃあな」
 金城が走っていった。
「待てよ」
 僕の声なんて、おかまいなしだった。
 僕は公園に取り残された。

 金城のことが心配だった。結局一人で僕は歩いていた。金城も同じように彷徨っているのかもしれない。金城には逃げなくてはいけない理由があった。ぼくはただ、目の前のことから逃げているだけで、その弱さを正当化する理由が見つからなかった。
 高校のそばまできていた。
 プールが頭上にあった。
 僕はしばらく、上原がいつも立っている場所にいた。あいつはなにを考えて待っていたんだろう、と思って見上げていたときだ。
 水滴が頬に当たった。
 雨が降るのかな、と思った。空には雲一つなかった。
 上の方で小さく、水を弾く音が聞こえた気がした。そして、再び頬に当たった。
 こんな場所まで水滴が届くはずないのに。呼ばれているような気がした。
 もう誰もいない真っ暗な高校は、まるで要塞だ。
 刑務所かもしれないな、と思った。
 高校のまわりをうろうろしているうちに、校門がよじのぼれるのではないか、と思った。ぼくは鉄柵に足をかけた。飛び降りるとき、つんのめりそうになった。誰もいない真っ暗なグラウンドははてしなく広く思えた。
 こんなことがばれたら、停学かな、退学かもしれない。どうにでもなれ、と思った。
 馬鹿げている、と思いながら、ぼくはどこに監視カメラがあるのかわかりもしないのにこそこそと歩いた。部活棟が見えた。
 まさかね、と思いながらプールの入り口のノブに手をかけた。
 ドアが開いた。

 夜のプールに人がいた。飛び込み台の上であぐらをかいてプールを見ている背中があった。
 僕の気配に気づいて振り返った。
 上原だった。
「なんで」
 僕が言うと、上原が顔をしかめた。
「お前こそなんでいるんだよ」
「……あいてた」
 僕はなんとか答えを捻り出した。慌てている様子がおかしかったのか、上原がにやりと笑った。
「俺、鍵もってんだ」
「なんで」
「健次のカバンに入ってた。今日当番だったんじゃない?」
「勝手に持ち出したのかよ」
「カバン預かってるの俺だから」
 まったく悪びれずに上原が答えた。「で、なんできた」
「だから」
「あいてたからか。お前は登山家か。そこに山があったら登るのか? それとも泥棒か。侵入できるならとりあえず入ってみるのか」
 なんだか上原はいつもの上原ではなかった。言葉に棘はあったが、僕に対しての敵意がなかった。というより、くたびれ果てているみたいだった。
 もしかして、上原は誰もいなくなってからずっと、ここでプールを眺めていたのかもしれない。
 夜のプールの水面はきらきらと遠くのあかりを照らしていた。そして夜のプールの二十五メートル先のはては、明るい場所で見るよりもずっと遠かった。
「健次の足、折れてた」
 上原が言った。「インターハイ間に合わないってさ」
 僕はショックで固まった。僕のせいで、あれだけ一生懸命だった羽田の目標が、潰れた。
「ごめん」
「なんで俺に謝ってんだ。相手がちげーだろ」
 上原が言った。しかし、夕方の激昂とはずいぶん違う。
「ガチでお前のことを殺そうかと思ったよ。許せねえよ。お前なんかと関わらなけりゃ、こんなことにならなかったんだ」
「うん」
「キレすぎて頭いかれそうになった、でも」
 上原は言葉を詰まらせた。
「うん」
「なんも言ってねえよ。雑な相槌打つな」
「ごめん」
「いつかは諦めなくちゃいけないんだ、これがきっかけになったんだ、って、病院のベッドで診断されて健次が泣いていたときに思った」
 あ、泣いてたってチクるなよ、と上原が付け加えた。
 僕は頷いた。
「あいつ、俺のために泳いでくれてたんだよ」