そのまま家を飛び出しても、行く場所なんてなかった。夜の街というのは、気の持ちようで美しくもわずわらしくもなる。飲食店のあかりや店から聞こえてくる笑い声が、自分を蝕んでいくように思える。だめだ、明るい場所にはいられない、とふらふらと、薄暗い、街灯だけが光る道を歩いていた。
「おい、東雲」
 自分の名前を呼ぶ声が聞こえた。錯覚かもしれなかった。誰かに声をかけてもらいたいという希望が勝手に耳に音を作っただけだと思った。
「なんだよ、おい」
 肩を掴まれ、僕は身震いして、反射的に逃れようとして身体を振った。
 金城がいた。なにか言おうとして、でも言葉にならないから口だけあけている、そんなふうだった。
「あ」
 僕は金城だと認識しながら、頭がぼんやりとしていて、ただでくのぼうみたいに突っ立っていた。

 金城に連れられ近くの公園のベンチに座った。団地のそばにあるよくある公園で、たいした遊具もない。目の前の砂場やジャングルジム、ブランコは、夜に佇んでいた。
「ほれ」
 僕を座らせてどこかに行ってしまった金城がペットボトルを二本抱えて戻ってきた。僕がなにもしないでいると、金城は無理やり一本を僕の手に預けた。
「飲めよ」
 ポカリスエットなかったから、と言って金城は僕の隣に座った。
「アクエリ、甘いから」
 僕はペットボルを見つめて言った。
「うん、知ってる。ポカリが好きなのも。でも自動販売機になかったから、我慢しろ」
 金城は自分のペットボトルをあけた。
「あ、爽健美茶」
「ああ」
「そっちがいい」
「甘えるな」
 僕はアクエリアスをあけた。
 夜の公園には、子供はいなかった。ときどき犬を散歩させている人がやってきた。どうやらここは犬を飼っている人々の交流の場所らしい。立ち話をしたり、挨拶をして通り過ぎたりしていた。
 ペット。
 さっき義仲に言われた言葉を思い出した。
「なんで夜の街ふらふら歩いて悲しいやつみたいな芝居してたんだよ」
 金城は一口飲んでから言った。「珍しいじゃん、そういう他人に同情して欲しいムーブ」
「そんなことしてない」
「そうか? 俺はびっくりしたぞ。うわ〜、いつだって自信満々でやなやつのお前が、自分のことドラマの主人公にでもなったみたいに勘違いしてやがる。きも〜って」
「言いたい放題だな」
「そんな姿見たことなかったから動揺したんだと思う。見たことないもん見たら、だいたいキモって思うだろ」
「思わない」
「そうかな。お前あんま感情揺さぶられないんだな。昔はそんなことなかったじゃん」
「昔」
「そう、昔。小学生の時とか、一緒に遊んでてもぎゃーぎゃー騒いでたろ。うんこってだけで大喜びしたりしてさ」
「してない」
「そらお前、忘れてるんだ。俺は覚えてるし、お前といるとおもろかったし」
 そんなふうに言われても、笑うこともできなかった。
「もしかして、はげまそうとしてる?」
「は? 金になんねえことなんかしねえし」
「これ」
 僕はアクエリアスを傾けた。
「さっきの自動販売機、おつりが自動で出ないタイプだったから間違えて押しただけだ。損した」
 金城はしらばっくれた。
 僕たちはしばらく黙ってペットボトルを飲んだ。飲み終えると、うわ、と金城は立ち上がり、
「しょんべんしてくる」
 とトイレのほうへ小走りで向かっていった。
 なにをしているんだ、と僕は思った。家に帰らずふらふらと夜の街を歩き、距離を置いていた、いまではすっかりチンピラみたいになってしまった昔の友達とベンチに並んで座っていた。
 金城が戻ってくる前に、いなくなろうかな、と思った。でも、どこにも行けそうもなかった。どこへ向かったいいか分からず、立ち上がらなかった。
 金城がトイレからでてきた。
「あ、まだいた」
 ふたたび僕の隣に座った。少し距離が近いな、と思ったけれど、身体をずらすことができなかった。
「まだってなんだよ」
「いや、俺となんかいたくないだろうなと思ってさ。もしかして俺がしょんべんしているうちにいなくなるんじゃないかな、って思ってた。まあそれもしょうがねえな、と思ってたら、まだいて、ちょっと嬉しかった」
 金城が笑った。
 いつもの僕に金をせびる態度でなく、まるで昔に戻ったみたいだった。
「今日は、変じゃん」
 僕は言った。
「なにがだ」
「もうかったの?」
 僕が訊ねると、急に金城は厳しい顔になった。
「なわけねえだろ」
「そうか」
 だったらジュース代、と僕は尻ポケットの財布を出そうとした。
「ついてるとか、そんなの初めのうちだけだ。ビギナーズラックなんてもんじゃない。ありゃそもそもハマらせるために勝たせたようなもんだったんだ」
「なにをしているんだ?」
「まあ、ギャンブル? 店で」
「やめろよそんなの」
 僕は言った。そんなものに手を出すなんて、馬鹿げている。
「ああ、やめる。というかもうできねえし。金を返さなきゃガチでやばいし」
「そんなに?」
 僕は嘘をついていないか探るように、金城を見た。その顔は困ったを通り越して笑える、とやけくそ気味だった。
「まーな。お前にちまちま借りてるうちはよかった。いや、よくないか。どんどんマイナスになっていって、もう自力じゃどうすることもできねえ」
 まじで詰んだわー、と金城はため息をついて、ベンチにもたれた。顔は天を向いていて、夜空を眺めていた。
 星がひとつだけ見えた。
「返せるの?」
 僕は言った。
 なんとかしなくちゃいけない。自分のことなんかより、いま隣にいる、かつての友達を。それは、昔の楽しかった記憶を守るためでもあった。
「わからん。このままだとマグロ漁船とか? いや、そういうタイプじゃねえな、闇バイトか。人んち侵入して金とってこいくらいのことガチで言われそうだな。いまはまだ正気だが、追いつめられているうちに、それでもいいか、とか思っちゃったりしてな。みんなあれだろ、ああいうことするやつら、洗脳みたいに言われてバグったり、もうどうにもなんなくて無敵の人になっちゃうんだろ」
 いま俺はそのドアの前にいるわけだ、と金城が空笑いをした。