階段から落ちた羽田に、僕は駆け寄った。
「羽田!」
 そうはいっても、倒れている羽田に触れることもできず、僕はそばで立ち尽くすことしかできなかった。自分のせいで、こんなことになってしまって、まるで他人事のように手を伸ばすなんて、できなかった。
 生徒たちが何事が起きたのかと階段の上で伺っていた。
 羽田は左足を抱えながら、
「大丈夫大丈夫、俺こういうの全然いける口だから」
 と無理して笑おうとした。
「なにやってんだてめえ」
 階段の上に、上原がいた。そして駆け降りてきた。
「健次! 健次!」
 上原が羽田の肩を揺する。
「保健室……」
 僕が言うと、
「てめえが呼んでこいよ!」
 上原が怒鳴った。

 保健医が病院に行こう、救急車を呼ぶと、
「いや、大丈夫、ちょっとじっとしてりゃ治るし、それに部活あるから」
 と脂汗を浮かべながら羽田は笑顔を作ろうとした。
 そんな羽田の訴えは聞き入れてもらえず、羽田は救急車に乗せられていった。部活の連中が心配そうに見守っていると、
「すぐ戻ってくるわー」
 とピースサインをして応えた。「あ、この俺の勇姿、撮っとく? でもティックトックにあげんなよ」
 救急車を見送っていると、上原が隣にやってきて、
「健次になにかあったら、ただじゃおかねえ」
 と耳元に顔を寄せて言った。
 なにも言い返せなかった。上原は色白で細いが、小さく見えるのはいつも羽田のそばにいるからで、僕と身長は変わらない。そんなことをこんなときにまるで新発見したみたいに思った。
「だからお前のことが嫌いだったんだ。絶対に健次の邪魔をすると思ってた」
 あまりの剣幕と、そして自分自身のしたことを悔やんで、なにも言い返すことはできない。

 家に帰ると、リビングのソファに義仲がだるそうに座っていた。
「しけた顔してるねえ、そばにいるだけで幸せが逃げていきそうだな」
 にやにやと僕のことを眺めた。
「そうですか」
 こんなやつを相手することはできそうもなかった。お望みどりそのまま部屋に向かおうとしたときだ。
 母が小走りでやってきた。手には封筒を持っている。
 僕が、ただいまと声をかけるのも気にせず、通り越して義仲のほうへ向かっていった。
「いまあるのは、これだけだから」
 母は義仲に封筒を渡した。
「お願いしただけありますかね」
 封筒を顔に近づけ、なかををわざとらしく覗いて義仲が言った。「あれ?」
 義仲がわざとらしく封筒から札を出して数えだした。
「これ、少なくないですか」
「急にお金がいるって言われても、お父さんの許可がなければ出せないわ」
 母が言った。
「てことは、あるんじゃないですか。いいじゃないですか、事後承諾で」
 義仲はへらへらしており、完全に継母を舐めている。
 不愉快だった。
「お父さんの許可がないと無理だって言っているじゃないですか」
 僕が横から入ると、
「お父さんね」
 と義仲が吐き捨てた。「そりゃかわいがるよな。実の息子なんかよりも頭のいい他人を」
 こういう言葉を前から何度も聞いてはいた。でもいまの気分では受け流すことができなかった。
 母が僕の袖をつかんだことで、なんとか我慢しようとした。
「かわいがられてなんて、いませんよ」
 もしあの父親が僕を可愛がっているように見えるのなら、それは義仲の勝手な思い違いだ。自分勝手に被害妄想を起こしているだけだ。
 たしかに僕は、あの父親の望む通りの確実に大学に入るだろう。なんなら経営を手伝ってやってもいい。でもそれは、育ててくれている恩義からだ。自分から望んでなんかいない。
「そうかそうか、たいした親不孝もんだな」
 確実にブーメランになって自分の返ってくる言葉を義仲はほざいた。
 お前がそんなふうにいじけた根性なのも、全部自分が起こしたことだろう。責任転嫁してんじゃねえよ、と言ってやりたかった。
 僕が黙っていると、
「お前らなんざペットみたいなもんだろ。飽きたらすぐにポイされる。親父も新しい女ができたみたいだし、お前らがこの家でのうのうとしていられるのも今のうちだよ。血が繋がってないからな、そもそも資格もねえわ」
「ペット」
「利口なペットはじき飽きられるもんだろ?」
 義仲が僕に近づき、耳元で言った。「ほら、お手」
 後ろで悲鳴が聞こえた気がした。
 僕は義仲を思い切り殴りつけていた。
 母の止める声は、ただ耳から耳へと通り過ぎ、動きを止める力もなかった。