上原はいつだって羽田の世話を焼いている。
それはもう当たり前の風景となっていて、教室でも囃し立てるようなことは起きなかった。むしろ、水泳以外にまったく興味を示さない羽田の保護者がわりと認識されているようだった。
ときおり視界に二人が入ると、羽田のほうは他人の視線に無頓着だというのに、上原は敏感に気づく。僕のほうを、いつものように蔑むような警戒でもするような目を向けた。
自分はいったいなんなんだ。敵認定されたところでいっこうに気にならない。二人がどういう関係なのか、あまりに自然にいつもセットでいるから考えることもなかったけれど、もし上原に羽田への恋愛感情みたいなものがあるとしたなら、僕はあの二人の空間に侵入しようとしている異物とでも思われているのではないか? 不愉快な考えを起こして、自分の顔を歪ませることになった。しかし、よくよく見てみると、そこには茶化せるような恋愛感情があるわけではないと思えた。どちらかと言えば、親とか年上の兄が、不出来で危なっかしい子供を、面倒がりつつも気にかけている、そんなふうに感じた。
授業が終わり、寝ている羽田を起こす上原(考えてみたら、休憩時間に起きて授業で寝ているのはおかしいんだが)の様子なんて、家族を越えて、やる気のないペットを無理やり起こして遊ぼうと誘う子供のようにも見えた。
そんな目で上原は羽田を見ていた。
羽田のほうも、鬱陶しがることなく、なんざらでもない、という顔をしていた。
こういう関係もあるのかもしれない。
二人は小さい頃からの友達だったという。同じ小学校に通っていた同級生が二人の姿を見て、「なんにも変わらないんだもんなあ」
と呆れていた。
変わらないものがあるなんて、自分には考えられなかった。それはもう、生き物ではないように思える。いや、物体であるなら、経年変化していくに決まっている。
気持ちだって、信用ならない。
永遠があるとしても、短い人間の命では永遠を感じることはできない。一瞬が永遠に繋がっているだなんて、ふざけた考えだと思う。
二人の姿に、僕はここしばらくずっといらいらしていた。
珍しく、上原がプールのそばにいなかった。珍しいな、と思った。屋上からはやはり部活の騒がしい声が聞こえた。ぼくはしばらく見上げていた。
夏の大会で、三年生は引退する。部活に出なくなったら、羽田はどうするんだろうか。水泳部のある大学ならどこでもいい、と前に言っていたのを思い出した。歓声のなかから羽田の声を探していた。しかし、大騒ぎのなかで聞き分けることができなかった。
「なにぼーっとしてるんだよ」
目の前で、にやついた笑いを浮かべた金城が立っていた。「のぞけんのか? スク水の女とか見えるの?」
そう言って金城もプールのほうを見上げた。
「なんでこんなとこにいるんだよ」
僕は言った。
金城は見上げたまま、別に、と答えた。よく見ると、どこかまぶしげだった。金城は高校生になってすぐに傷害事件を起こし、退学となった。もう一度復学することなくぶらぶらと街を歩いていて、いつのまにかチンピラみたいになってしまった。
「高校、もう一度入れば」
そう言ってやりたかった。べつに、一度ドロップアウトしたからって、人生が詰んだわけではないだろう。いくらでも取り繕えるじゃないか。だらしない性格なのか、それともある意味生真面目なのか、しょうもない人生まっしぐらのかつての友達を僕はぼんやりと眺めてしまった。
屋上からの声は、遠くに感じたり、急に間近に迫ってくるみたいになって、頭がぼんやりした。今年の春は、やけに暑い。季節がバグっている。
やはり羽田の声は聞こえなかった。
「化けてんの?」
金城は言った。そして、ゆっくりと僕を見た。
「化けてる?」
「お前は昔はまともだったよな」
「まとも?」
なにを言っているのかわからなかった。金城はどこか苛立っていた。高校生の騒ぎが不愉快だったのかもしれなかった。はたから見ればただうるさいだけの、若者らしい「音」なのに、聴くものからすればそれは心を波立たせるノイズでしかない。よくわかる。
金城は目を細めた。まるで見えないものをどうにかして見出そうとしているように。
「お前、金持ち一家の一員になったからな」
自分の言った言葉を噛み締め、やっと内容を理解した、みたいに金城は、にやりと笑った。
「別に、そんなことないだろ」
僕は顔を背けた。
なにも変わっていない。あまり楽しくないことを除けば、ぼくはなにも無理なんかしていない。自分に言い聞かせた。
「昔はさ、よくお前の母ちゃんの店に、二人して夜遊びにいったりしたよな。酔っ払いのおやじにジュース奢ってもらったりしてさ」
金城はなつかしそうに笑ったが、目がどこかくすんでいた。「成り上がったなあ、お前ら」
僕がその言葉に腹を立てた。下を向きたくなくて、逸らすように見上げたとき、そこに羽田がいた。僕たちを見ていた。どんな顔をしているのか、よく見えなかったけれど、目を凝らすことができなかった。僕はどこにも視線を逸らすことができず、諦めて俯いた。
それはもう当たり前の風景となっていて、教室でも囃し立てるようなことは起きなかった。むしろ、水泳以外にまったく興味を示さない羽田の保護者がわりと認識されているようだった。
ときおり視界に二人が入ると、羽田のほうは他人の視線に無頓着だというのに、上原は敏感に気づく。僕のほうを、いつものように蔑むような警戒でもするような目を向けた。
自分はいったいなんなんだ。敵認定されたところでいっこうに気にならない。二人がどういう関係なのか、あまりに自然にいつもセットでいるから考えることもなかったけれど、もし上原に羽田への恋愛感情みたいなものがあるとしたなら、僕はあの二人の空間に侵入しようとしている異物とでも思われているのではないか? 不愉快な考えを起こして、自分の顔を歪ませることになった。しかし、よくよく見てみると、そこには茶化せるような恋愛感情があるわけではないと思えた。どちらかと言えば、親とか年上の兄が、不出来で危なっかしい子供を、面倒がりつつも気にかけている、そんなふうに感じた。
授業が終わり、寝ている羽田を起こす上原(考えてみたら、休憩時間に起きて授業で寝ているのはおかしいんだが)の様子なんて、家族を越えて、やる気のないペットを無理やり起こして遊ぼうと誘う子供のようにも見えた。
そんな目で上原は羽田を見ていた。
羽田のほうも、鬱陶しがることなく、なんざらでもない、という顔をしていた。
こういう関係もあるのかもしれない。
二人は小さい頃からの友達だったという。同じ小学校に通っていた同級生が二人の姿を見て、「なんにも変わらないんだもんなあ」
と呆れていた。
変わらないものがあるなんて、自分には考えられなかった。それはもう、生き物ではないように思える。いや、物体であるなら、経年変化していくに決まっている。
気持ちだって、信用ならない。
永遠があるとしても、短い人間の命では永遠を感じることはできない。一瞬が永遠に繋がっているだなんて、ふざけた考えだと思う。
二人の姿に、僕はここしばらくずっといらいらしていた。
珍しく、上原がプールのそばにいなかった。珍しいな、と思った。屋上からはやはり部活の騒がしい声が聞こえた。ぼくはしばらく見上げていた。
夏の大会で、三年生は引退する。部活に出なくなったら、羽田はどうするんだろうか。水泳部のある大学ならどこでもいい、と前に言っていたのを思い出した。歓声のなかから羽田の声を探していた。しかし、大騒ぎのなかで聞き分けることができなかった。
「なにぼーっとしてるんだよ」
目の前で、にやついた笑いを浮かべた金城が立っていた。「のぞけんのか? スク水の女とか見えるの?」
そう言って金城もプールのほうを見上げた。
「なんでこんなとこにいるんだよ」
僕は言った。
金城は見上げたまま、別に、と答えた。よく見ると、どこかまぶしげだった。金城は高校生になってすぐに傷害事件を起こし、退学となった。もう一度復学することなくぶらぶらと街を歩いていて、いつのまにかチンピラみたいになってしまった。
「高校、もう一度入れば」
そう言ってやりたかった。べつに、一度ドロップアウトしたからって、人生が詰んだわけではないだろう。いくらでも取り繕えるじゃないか。だらしない性格なのか、それともある意味生真面目なのか、しょうもない人生まっしぐらのかつての友達を僕はぼんやりと眺めてしまった。
屋上からの声は、遠くに感じたり、急に間近に迫ってくるみたいになって、頭がぼんやりした。今年の春は、やけに暑い。季節がバグっている。
やはり羽田の声は聞こえなかった。
「化けてんの?」
金城は言った。そして、ゆっくりと僕を見た。
「化けてる?」
「お前は昔はまともだったよな」
「まとも?」
なにを言っているのかわからなかった。金城はどこか苛立っていた。高校生の騒ぎが不愉快だったのかもしれなかった。はたから見ればただうるさいだけの、若者らしい「音」なのに、聴くものからすればそれは心を波立たせるノイズでしかない。よくわかる。
金城は目を細めた。まるで見えないものをどうにかして見出そうとしているように。
「お前、金持ち一家の一員になったからな」
自分の言った言葉を噛み締め、やっと内容を理解した、みたいに金城は、にやりと笑った。
「別に、そんなことないだろ」
僕は顔を背けた。
なにも変わっていない。あまり楽しくないことを除けば、ぼくはなにも無理なんかしていない。自分に言い聞かせた。
「昔はさ、よくお前の母ちゃんの店に、二人して夜遊びにいったりしたよな。酔っ払いのおやじにジュース奢ってもらったりしてさ」
金城はなつかしそうに笑ったが、目がどこかくすんでいた。「成り上がったなあ、お前ら」
僕がその言葉に腹を立てた。下を向きたくなくて、逸らすように見上げたとき、そこに羽田がいた。僕たちを見ていた。どんな顔をしているのか、よく見えなかったけれど、目を凝らすことができなかった。僕はどこにも視線を逸らすことができず、諦めて俯いた。


