羽田はクラス委員の仕事をしようとしない。あっちから率先して手伝うなんてことは、なかば諦めていたので、ぼくも羽田に声をかけることはしなかった。
終礼が終わると羽田はさっさと教室から出ていった。その後ろ姿をいまいましいと思いながら眺めていると、視線を感じる。振り向くと教室の後ろにいる上原と目が合った。
なんだこいつ、と思ってそのまま見ていても、上原のほうは視線を向けていることに気づかれ、目を背ける、なんてこともしない。
まるで、お前なに見ているんだよ、とでも言いたげだ。先に視線をずらしたほうが負け、と思いながらも、ことを荒立てたくなかったのでぼくのほうが根負けするかたちになることがしばしばあった。
羽田のせいで、意味のわからないストレスがかかっている。
うちの学校のプールは校舎の端にある部室棟の屋上にある。冬季になり、プールの水がなくなってしまうと、よその屋内プールまで遠征することになる。毎日プールに入ることができないからと、羽田は貴重がっている。
なぜそんなにまで水のなかにいたいのか、さっぱりわからない。
帰り道、上原が校舎の壁にもたれてスマホをいじっていた。
いつだって、上原はこの場所にいる。いつものように声をかけることなく通りすぎるつもりだった。壁の向こうにある部室棟の上では、ばしゃばしゃと水を弾く音が聞こえてきた。さっさと通り過ぎようとしたとき、頬に水滴が当たり、僕は上原の前で立ち止まった。
「ほらほらもっと気張ってけよ〜!」
水泳部員たちの怒鳴り声が上から聞こえてきた。こんなところまで飛沫が飛ぶはずはないのに、ぼくは屋上のほうを見上げた。
「ハタ坊〜! 先輩の意地見せてやれよ〜」
どうやら泳いでいるのは羽田らしかった。
近所迷惑なんじゃないか、と心配になるくらいに屋上は盛り上がっていた。
「ハタ坊やば〜! タイム更新じゃん!」
屋上のテンションは最高潮になり、大騒ぎをしている。
「なに止まってんの」
上原がスマホを見たまま言った。
「羽田のあだ名って、ハタ坊なのな」
別に興味もなかったけれど、僕は言った。でかい図体なのに、坊、なのか。
「だからなんだよ」
「むしろお前こそなんでここにいるんだ」
僕は言った。そっちのほうがまだ興味があった。
「なんだっていいだろ」
上原はあくまでスマホをいじっていた。
「水泳部に入れば」
僕はなんの気なしに言った。嫌味でもなんでもなく、ふとそう思った。
「俺は水なんて嫌いだ」
上原がやっとスマホから目を離して、僕に顔を向けたが、その表情にびっくりした。僕のことを睨みつけている。
そういえば、こいつ水泳の授業はいつも見学しているな、と思い出した。
「ああ、そう」
「なにがそうなんだよ」
敵意剥き出しで上原が訊ねた。答えによってはただじゃおかない、とでも言いたげだった。
「いや、別に」
僕は言った。面倒なことになるまえに、さっさと立ち去ろうとしたときだ。
「お前むかつくよ」
すれちがいざまに上原が言った。
「なんで?」
そもそも同じクラスにいるけれど、ろくに話したこともないやつに、なんで憎まれなくてはならないのか。
自分より優れているから憎い? 僕は自分より劣っているからといって蔑んだりしたこともない。そもそも他人なんてどうでもいい。
「そういう顔が」
上原が吐き捨てた。
「お前に気に入られるために、整形でもしろっていうのか」
なんとなく、嫌味に思って、少し笑って見せたが、余計に嫌味たらしくなったかもしれない。知るか。
「その言い方もくそむかつく」
つまり、なにからなにまで気に食わないらしかった。
「どうせ卒業したら顔なんて見なくなるんだから、我慢しとけよ」
「なんで俺がわずらわされなきゃなんねえんだよ!」
「こっちのせりふだ!」
お互い声を荒げた。
僕は上原を通り越した。
胸がむかむかした。そして、あからさまに敵意を向けられたことで、少し心臓がどきどきした。こんなふうに素直に言われるなんてこと、しばらくなかった。
嫌味や妬みの声を聞くこともあったけれど、面と向かって言われたわけでもない。ほんとうは思っていなくても、愛想笑いを浮かべてぼくを褒めたりする連中だって、煩わしいとは思っても、こんなふうに衝撃を与えられることはなかった。
「おーい」
屋上から呼ばれた気がして振り返ると、そこには濡れた羽田が上原に向かって叫んだ。柵をよじ登り、一番高いところから顔を覗かせていた。「今日新入生の歓迎で帰りファミレス行くから、先帰ってろよ!」
「わかったー」
羽田の声とは対照的に、上原はいつも通りの声で答えた。
「羽田! よじ登るな!」
教師の声が聞こえてきた。
「じゃあ、明日なー」
羽田は柵から飛び降りてひっこんでいった。屋上から、「ハタ坊の恋人〜?」「もう素直に付き合ってるって言えよ〜」という無遠慮な囃し声が聞こえてきた。
さっさと上原が僕を通り越していく。
ぼくは上原の後ろ姿と、さっき羽田がいたところを交互に見た。
さっきの飛沫は、羽田が飛ばしたのではないか、と思ったりした。
終礼が終わると羽田はさっさと教室から出ていった。その後ろ姿をいまいましいと思いながら眺めていると、視線を感じる。振り向くと教室の後ろにいる上原と目が合った。
なんだこいつ、と思ってそのまま見ていても、上原のほうは視線を向けていることに気づかれ、目を背ける、なんてこともしない。
まるで、お前なに見ているんだよ、とでも言いたげだ。先に視線をずらしたほうが負け、と思いながらも、ことを荒立てたくなかったのでぼくのほうが根負けするかたちになることがしばしばあった。
羽田のせいで、意味のわからないストレスがかかっている。
うちの学校のプールは校舎の端にある部室棟の屋上にある。冬季になり、プールの水がなくなってしまうと、よその屋内プールまで遠征することになる。毎日プールに入ることができないからと、羽田は貴重がっている。
なぜそんなにまで水のなかにいたいのか、さっぱりわからない。
帰り道、上原が校舎の壁にもたれてスマホをいじっていた。
いつだって、上原はこの場所にいる。いつものように声をかけることなく通りすぎるつもりだった。壁の向こうにある部室棟の上では、ばしゃばしゃと水を弾く音が聞こえてきた。さっさと通り過ぎようとしたとき、頬に水滴が当たり、僕は上原の前で立ち止まった。
「ほらほらもっと気張ってけよ〜!」
水泳部員たちの怒鳴り声が上から聞こえてきた。こんなところまで飛沫が飛ぶはずはないのに、ぼくは屋上のほうを見上げた。
「ハタ坊〜! 先輩の意地見せてやれよ〜」
どうやら泳いでいるのは羽田らしかった。
近所迷惑なんじゃないか、と心配になるくらいに屋上は盛り上がっていた。
「ハタ坊やば〜! タイム更新じゃん!」
屋上のテンションは最高潮になり、大騒ぎをしている。
「なに止まってんの」
上原がスマホを見たまま言った。
「羽田のあだ名って、ハタ坊なのな」
別に興味もなかったけれど、僕は言った。でかい図体なのに、坊、なのか。
「だからなんだよ」
「むしろお前こそなんでここにいるんだ」
僕は言った。そっちのほうがまだ興味があった。
「なんだっていいだろ」
上原はあくまでスマホをいじっていた。
「水泳部に入れば」
僕はなんの気なしに言った。嫌味でもなんでもなく、ふとそう思った。
「俺は水なんて嫌いだ」
上原がやっとスマホから目を離して、僕に顔を向けたが、その表情にびっくりした。僕のことを睨みつけている。
そういえば、こいつ水泳の授業はいつも見学しているな、と思い出した。
「ああ、そう」
「なにがそうなんだよ」
敵意剥き出しで上原が訊ねた。答えによってはただじゃおかない、とでも言いたげだった。
「いや、別に」
僕は言った。面倒なことになるまえに、さっさと立ち去ろうとしたときだ。
「お前むかつくよ」
すれちがいざまに上原が言った。
「なんで?」
そもそも同じクラスにいるけれど、ろくに話したこともないやつに、なんで憎まれなくてはならないのか。
自分より優れているから憎い? 僕は自分より劣っているからといって蔑んだりしたこともない。そもそも他人なんてどうでもいい。
「そういう顔が」
上原が吐き捨てた。
「お前に気に入られるために、整形でもしろっていうのか」
なんとなく、嫌味に思って、少し笑って見せたが、余計に嫌味たらしくなったかもしれない。知るか。
「その言い方もくそむかつく」
つまり、なにからなにまで気に食わないらしかった。
「どうせ卒業したら顔なんて見なくなるんだから、我慢しとけよ」
「なんで俺がわずらわされなきゃなんねえんだよ!」
「こっちのせりふだ!」
お互い声を荒げた。
僕は上原を通り越した。
胸がむかむかした。そして、あからさまに敵意を向けられたことで、少し心臓がどきどきした。こんなふうに素直に言われるなんてこと、しばらくなかった。
嫌味や妬みの声を聞くこともあったけれど、面と向かって言われたわけでもない。ほんとうは思っていなくても、愛想笑いを浮かべてぼくを褒めたりする連中だって、煩わしいとは思っても、こんなふうに衝撃を与えられることはなかった。
「おーい」
屋上から呼ばれた気がして振り返ると、そこには濡れた羽田が上原に向かって叫んだ。柵をよじ登り、一番高いところから顔を覗かせていた。「今日新入生の歓迎で帰りファミレス行くから、先帰ってろよ!」
「わかったー」
羽田の声とは対照的に、上原はいつも通りの声で答えた。
「羽田! よじ登るな!」
教師の声が聞こえてきた。
「じゃあ、明日なー」
羽田は柵から飛び降りてひっこんでいった。屋上から、「ハタ坊の恋人〜?」「もう素直に付き合ってるって言えよ〜」という無遠慮な囃し声が聞こえてきた。
さっさと上原が僕を通り越していく。
ぼくは上原の後ろ姿と、さっき羽田がいたところを交互に見た。
さっきの飛沫は、羽田が飛ばしたのではないか、と思ったりした。


