結局そのままホームルームが終わると、羽田が起きだして、さっさと教室から上原とともに出て行こうとした。
「ちょっと待て」
ぼくは羽田に声かけた。
「なに」
「副委員決まったから」
「え、誰が? 俺? 嘘だろおい」
意味がわからないらしく、上原のほうを見て助けを求めた。
「決まったけど、べつにしないでもいいんじゃん」
どうやら僕に反感を持っているらしく、上原は僕のほうを見て目を細めた。「なんでもできちゃうし、東雲」
「そうだよなあ、まあ頼んますよ」
羽田が笑いながら僕の肩を叩いた。
「べつになにもしないでかまわないけど、ぼく一人じゃできないときは手伝ってくれないと困るよ」
僕は言った。なるたけこういうときに相手に不快感を持たれないように気をつけて、柔らかく話そうとするのだが、目の前の二人の態度の悪さに自分でも抑えることができず、トゲのある言い方をしたな、と思った。
「まあ、荷物持ちくらいならやってもいいけどさ」
羽田が頭をかいた。心の底からやりたくないらしい。うまく逃げることができやしないかと、上原のほうをちらちら見ている。
「行こうよ、部活遅れるよ」
上原が面倒そうに言うと、
「そうそう、そうだった、その話はまた今度で!」
と言って逃げるみたいに羽田は教室から出て行った。
あとを追いかける上原が、出て行く前にちらりと僕を一瞥した。
まったく、しょうもないやつが副委員になってしまった。妙にしゃしゃりでてくるやつよりはましだが、それにしてもなにもやろうとしないのも困りものだ。僕の指図にはいはいと従うくらいの邪魔にならないやつだったらよかったのに。あっちは迷惑そうな顔をしたが、こっちのほうが迷惑だった。
教室は僕だけだった。掃除をする者もいないので、床にほこりが舞っているのが窓から差し込まれる夕日で見えた。
後ろのゴミ箱も、捨てに行くものがいないから、溢れんばかりに盛り上がる。異臭にたまらなくなるまで、誰もしようとしない。
ここで自分がさっとモップをかけたり、ゴミを処理するなんてことはしない。
ギリギリになるまで放っておき、そのときの日直に命じる。その相手が自分だけ損をしていると思わせないように、手伝ってやる、そのくらいがちょうどよかった。
過保護にすると、それをあてにするやつが出てくるから。
このくらいはサービスするかと、黒板の文字を消していく。
そこには、このクラスのさまざまな係と名前が書かれていた。
副委員 羽田健次
の文字を真っ先に消した。そして適当にざっと名前を消していく。
最後に、
クラス委員 東雲光太郎
という名前を見た。
名字の東雲を消した。名前だけが残った。
自分のルーツはなく、ただ自分だけが存在している。
ほんとうの僕の名字は……。チョークで書き込む気にもなれず、すべて消す。
人生は短い、百年時代なんて言うけれど、そんなのあっというまだ。どんな偉業をなしとげても、ないかいいことをしたとしても、消えてしまえば同じだった。生きることに意味なんてない。
帰り道、駅から出て商店街を歩いていると、
「光太郎」
とうしろから声をかけられた。いやな声だった。なんだか甘えたような声で、自分と親密な仲であると周囲にアピールされているみたいだ。
「金城」
僕は声の主を見て、言った。下の名前で呼ばないことで、適切な距離を保つような気がした。
「なんだよ、なんか水くさいな」
にやにやしながら金城がやってきた。ださいスカジャンを羽織っている。わかりやすいチンピラで、その姿をかっこいいと思っているセンスがやばい。髪の毛も金髪の根元が黒くプリンになっている。見た目のすべてが、社会のクズっぽくなっている。「ひさしぶりじゃん、ラインも返信してくんないからさ、ブロックしてんのかと思った」
「してないけど、見ないよ」
僕は答えた。
「なんでだよ」
「スマホをしばらく開いていないから」
「おい、ガチでお前なにやってんの? 世の中の情報とかキャッチできんくない?」
「新聞読んでるし、やること多いんで」
僕は立ち止まらずにいた。金城がついてくる。
「ほんとお前つまんねーなあ」
じゃあつまらんやつに絡んでくるな、と言いたかった。「なんかさあ、お前マジで変わったよなあ、キャラ変大成功じゃん。あれなんだろ、高校でも頭いいってことになってんだろ」
「誰からそんなこと聞いたんだよ」
「お前の兄ちゃん、ああ、血は繋がってないけど?」
僕は立ち止まった。
「なんだよそれ」
「ああ、通ってる店にさ、最近顔出してんだよ」「お前まだ未成年なのに、なに変なとこに入り浸っているんだ」
「ああ、大丈夫大丈夫、そんなのみんなやってるし」
「やってない」
僕は頬のあたりがひくつくのを止めることができなかった。
「なあ、ところでさ、同級生のよしみで、お願いがあるんだけど」
金城が手を合わせた。
「なんだよ」
どうで言うことはわかっていた。
「金貸して」
「前に貸した五千円もまだ返してもらってない」「いや、ガチでいまやばいんだって、ほら、俺働いてた工場辞めただろ、それで」
「辞めたんじゃなくてクビになったんだろ」
「どっちだって同じだろ、苦しいんだよ、な」
別に無視してもよかった。昔はこんなやつじゃなかった。同じ中学で、調子はよく憎めないやつだった。一度転落したらこんなだった。
自分だって、綱渡りなのだ。
「いま二千円しかない」
「ああ、めちゃ助かる」
全部持って行く気か、と僕はため息をついた。
「さっさと働いて返してくれ。前の五千円どころか、全部で」
「ああ、返す返す」
金城は僕の言葉を制した。
財布から札を出すと僕の手からひったくるようにして、そのまま「じゃあ、またな」
と去っていった。
「ちょっと待て」
ぼくは羽田に声かけた。
「なに」
「副委員決まったから」
「え、誰が? 俺? 嘘だろおい」
意味がわからないらしく、上原のほうを見て助けを求めた。
「決まったけど、べつにしないでもいいんじゃん」
どうやら僕に反感を持っているらしく、上原は僕のほうを見て目を細めた。「なんでもできちゃうし、東雲」
「そうだよなあ、まあ頼んますよ」
羽田が笑いながら僕の肩を叩いた。
「べつになにもしないでかまわないけど、ぼく一人じゃできないときは手伝ってくれないと困るよ」
僕は言った。なるたけこういうときに相手に不快感を持たれないように気をつけて、柔らかく話そうとするのだが、目の前の二人の態度の悪さに自分でも抑えることができず、トゲのある言い方をしたな、と思った。
「まあ、荷物持ちくらいならやってもいいけどさ」
羽田が頭をかいた。心の底からやりたくないらしい。うまく逃げることができやしないかと、上原のほうをちらちら見ている。
「行こうよ、部活遅れるよ」
上原が面倒そうに言うと、
「そうそう、そうだった、その話はまた今度で!」
と言って逃げるみたいに羽田は教室から出て行った。
あとを追いかける上原が、出て行く前にちらりと僕を一瞥した。
まったく、しょうもないやつが副委員になってしまった。妙にしゃしゃりでてくるやつよりはましだが、それにしてもなにもやろうとしないのも困りものだ。僕の指図にはいはいと従うくらいの邪魔にならないやつだったらよかったのに。あっちは迷惑そうな顔をしたが、こっちのほうが迷惑だった。
教室は僕だけだった。掃除をする者もいないので、床にほこりが舞っているのが窓から差し込まれる夕日で見えた。
後ろのゴミ箱も、捨てに行くものがいないから、溢れんばかりに盛り上がる。異臭にたまらなくなるまで、誰もしようとしない。
ここで自分がさっとモップをかけたり、ゴミを処理するなんてことはしない。
ギリギリになるまで放っておき、そのときの日直に命じる。その相手が自分だけ損をしていると思わせないように、手伝ってやる、そのくらいがちょうどよかった。
過保護にすると、それをあてにするやつが出てくるから。
このくらいはサービスするかと、黒板の文字を消していく。
そこには、このクラスのさまざまな係と名前が書かれていた。
副委員 羽田健次
の文字を真っ先に消した。そして適当にざっと名前を消していく。
最後に、
クラス委員 東雲光太郎
という名前を見た。
名字の東雲を消した。名前だけが残った。
自分のルーツはなく、ただ自分だけが存在している。
ほんとうの僕の名字は……。チョークで書き込む気にもなれず、すべて消す。
人生は短い、百年時代なんて言うけれど、そんなのあっというまだ。どんな偉業をなしとげても、ないかいいことをしたとしても、消えてしまえば同じだった。生きることに意味なんてない。
帰り道、駅から出て商店街を歩いていると、
「光太郎」
とうしろから声をかけられた。いやな声だった。なんだか甘えたような声で、自分と親密な仲であると周囲にアピールされているみたいだ。
「金城」
僕は声の主を見て、言った。下の名前で呼ばないことで、適切な距離を保つような気がした。
「なんだよ、なんか水くさいな」
にやにやしながら金城がやってきた。ださいスカジャンを羽織っている。わかりやすいチンピラで、その姿をかっこいいと思っているセンスがやばい。髪の毛も金髪の根元が黒くプリンになっている。見た目のすべてが、社会のクズっぽくなっている。「ひさしぶりじゃん、ラインも返信してくんないからさ、ブロックしてんのかと思った」
「してないけど、見ないよ」
僕は答えた。
「なんでだよ」
「スマホをしばらく開いていないから」
「おい、ガチでお前なにやってんの? 世の中の情報とかキャッチできんくない?」
「新聞読んでるし、やること多いんで」
僕は立ち止まらずにいた。金城がついてくる。
「ほんとお前つまんねーなあ」
じゃあつまらんやつに絡んでくるな、と言いたかった。「なんかさあ、お前マジで変わったよなあ、キャラ変大成功じゃん。あれなんだろ、高校でも頭いいってことになってんだろ」
「誰からそんなこと聞いたんだよ」
「お前の兄ちゃん、ああ、血は繋がってないけど?」
僕は立ち止まった。
「なんだよそれ」
「ああ、通ってる店にさ、最近顔出してんだよ」「お前まだ未成年なのに、なに変なとこに入り浸っているんだ」
「ああ、大丈夫大丈夫、そんなのみんなやってるし」
「やってない」
僕は頬のあたりがひくつくのを止めることができなかった。
「なあ、ところでさ、同級生のよしみで、お願いがあるんだけど」
金城が手を合わせた。
「なんだよ」
どうで言うことはわかっていた。
「金貸して」
「前に貸した五千円もまだ返してもらってない」「いや、ガチでいまやばいんだって、ほら、俺働いてた工場辞めただろ、それで」
「辞めたんじゃなくてクビになったんだろ」
「どっちだって同じだろ、苦しいんだよ、な」
別に無視してもよかった。昔はこんなやつじゃなかった。同じ中学で、調子はよく憎めないやつだった。一度転落したらこんなだった。
自分だって、綱渡りなのだ。
「いま二千円しかない」
「ああ、めちゃ助かる」
全部持って行く気か、と僕はため息をついた。
「さっさと働いて返してくれ。前の五千円どころか、全部で」
「ああ、返す返す」
金城は僕の言葉を制した。
財布から札を出すと僕の手からひったくるようにして、そのまま「じゃあ、またな」
と去っていった。


