いいですよ。 その五文字が、どれほどの重みを持っているのか。彼女は、どんな気持ちでこの言葉を打ったのだろうか。僕が聞きたいであろう話を、聞く覚悟を決めてくれたということなのだろうか。それとも、ただ、昔馴染みの先輩からの誘いを、無下に断れなかっただけなのだろうか。分からない。けれど、今はただ、彼女がイエスと言ってくれたという事実だけで、十分だった。道は、繋がったのだ。
僕は、震える指で、再び返信を打ち始めた。できるだけ、冷静に。浮き足立っている自分を悟られないように。
『ありがとう。じゃあ……今度の土曜の午後とか、どうかな? もし都合が悪ければ、いつでも』
すぐに、返事が来る。
『土曜日、大丈夫です。三時くらいなら』
『分かった。じゃあ、土曜の三時に、橘書店の前で』
『はい』
短い、事務的なやり取り。けれど、その数回の応酬だけで、僕の心臓は破裂しそうなほど高鳴っていた。約束は、取り付けられた。もう、後戻りはできない。
土曜日まで、あと三日。その三日間は、僕にとって永遠のようにも、一瞬のようにも感じられた。大学の講義も、バイトも、どこか上の空だった。頭の中は、土曜日のこと、雪乃のこと、そして、僕が伝えなければならない言葉のことで、いっぱいだった。
何を、どう伝えればいい? 橘さんや美咲先輩のアドバイスを反芻する。正直な言葉で。相手の才能を認めること。謝罪すること。けれど、それだけでは足りない気がした。僕が伝えたいのは、単なる感想や謝罪ではない。もっと複雑で、もっと個人的な、僕自身の弱さや後悔、そして彼女への、歪んでしまったけれど確かに存在した、あの頃の特別な想いだ。そして、今の僕が、彼女をどう思っているのか。
僕は、何度も頭の中でシミュレーションを繰り返した。彼女の前に立ち、言葉を紡ぐ自分の姿を。けれど、想像すればするほど、自信は揺らいでいく。また、あの喫茶店や高校の時のように、言葉に詰まり、彼女を傷つけてしまうのではないか。そんな恐怖が、黒い影のように僕に付きまとった。
書くことから逃げた僕が、言葉だけで、この複雑な想いを伝えきれるのだろうか。小説という形であれば、あるいは可能だったのかもしれない。比喩を重ね、情景を描き、登場人物の口を借りて、僕の本当の気持ちを間接的に表現することが。けれど、今の僕には、その手段はない。僕にあるのは、この、不器用で、頼りない、生身の言葉だけだ。
土曜日が近づくにつれて、僕の不安は増していった。食欲もなくなり、夜もなかなか寝付けない。鏡に映る自分の顔は、高校で再会した時よりも、さらに青白く、憔悴しているように見えた。
大丈夫か、俺。
けれど、逃げるという選択肢は、もう僕の中にはなかった。ここで逃げたら、今度こそ、僕は一生後悔するだろう。美咲先輩の言葉が、胸に突き刺さる。――何もしない後悔って、ずっと『もしも』が付きまとうからね。そうだ。
「もしも」の世界で生き続けるのは、もうたくさんだ。
僕は、震える指で、再び返信を打ち始めた。できるだけ、冷静に。浮き足立っている自分を悟られないように。
『ありがとう。じゃあ……今度の土曜の午後とか、どうかな? もし都合が悪ければ、いつでも』
すぐに、返事が来る。
『土曜日、大丈夫です。三時くらいなら』
『分かった。じゃあ、土曜の三時に、橘書店の前で』
『はい』
短い、事務的なやり取り。けれど、その数回の応酬だけで、僕の心臓は破裂しそうなほど高鳴っていた。約束は、取り付けられた。もう、後戻りはできない。
土曜日まで、あと三日。その三日間は、僕にとって永遠のようにも、一瞬のようにも感じられた。大学の講義も、バイトも、どこか上の空だった。頭の中は、土曜日のこと、雪乃のこと、そして、僕が伝えなければならない言葉のことで、いっぱいだった。
何を、どう伝えればいい? 橘さんや美咲先輩のアドバイスを反芻する。正直な言葉で。相手の才能を認めること。謝罪すること。けれど、それだけでは足りない気がした。僕が伝えたいのは、単なる感想や謝罪ではない。もっと複雑で、もっと個人的な、僕自身の弱さや後悔、そして彼女への、歪んでしまったけれど確かに存在した、あの頃の特別な想いだ。そして、今の僕が、彼女をどう思っているのか。
僕は、何度も頭の中でシミュレーションを繰り返した。彼女の前に立ち、言葉を紡ぐ自分の姿を。けれど、想像すればするほど、自信は揺らいでいく。また、あの喫茶店や高校の時のように、言葉に詰まり、彼女を傷つけてしまうのではないか。そんな恐怖が、黒い影のように僕に付きまとった。
書くことから逃げた僕が、言葉だけで、この複雑な想いを伝えきれるのだろうか。小説という形であれば、あるいは可能だったのかもしれない。比喩を重ね、情景を描き、登場人物の口を借りて、僕の本当の気持ちを間接的に表現することが。けれど、今の僕には、その手段はない。僕にあるのは、この、不器用で、頼りない、生身の言葉だけだ。
土曜日が近づくにつれて、僕の不安は増していった。食欲もなくなり、夜もなかなか寝付けない。鏡に映る自分の顔は、高校で再会した時よりも、さらに青白く、憔悴しているように見えた。
大丈夫か、俺。
けれど、逃げるという選択肢は、もう僕の中にはなかった。ここで逃げたら、今度こそ、僕は一生後悔するだろう。美咲先輩の言葉が、胸に突き刺さる。――何もしない後悔って、ずっと『もしも』が付きまとうからね。そうだ。
「もしも」の世界で生き続けるのは、もうたくさんだ。
