僕は、久しぶりに、大学の講義のノートを開いた。現代思想論、比較文化論……。以前は、ただ単位を取るためだけに聞き流していた言葉たちが、今は少しだけ、違う意味を持って見えてくるような気がした。人間の感情、コミュニケーション、記憶、そして才能について。様々な思想家や研究者たちが遺した言葉の断片が、僕の抱える問題と、どこかで繋がっているのかもしれない。
その夜、眠りにつく前に、僕はスマートフォンの画面を開き、雪乃の名前が表示されたトーク画面を、しばらくの間、ただ見つめていた。メッセージを送る勇気は、まだなかった。けれど、画面の向こう側にいる彼女の存在を、以前よりも少しだけ、近くに感じているような気がした。冷たい画面の奥に、確かな体温のようなものが感じられる。それは、僕自身の勝手な感傷なのかもしれない。それでも、僕にとっては、暗闇の中で見つけた、小さな灯火だった。
翌週のバイト中、僕は休憩時間に美咲先輩に高校での出来事を報告した。うまく話せなかったこと、けれど完全に拒絶されたわけではなかったこと。
「そっか……。まあ、一歩前進、かな?」
美咲先輩は、僕の淹れたコーヒーを飲みながら、いつもの明るい笑顔で言った。
「すぐに全部うまくいくわけないよ。焦らない、焦らない」
「でも、結局、何も伝えられなかったんです」
「うん。でも、彼女、先輩の話、聞こうとしてくれたんでしょ? それって、すごいことだよ。きっと、彼女も……色々、考えてるんだよ」
美咲先輩の言葉は、いつも不思議と僕の心を軽くしてくれる。彼女もまた、過去に後悔を抱えているからだろうか。その言葉には、表面的な励ましだけではない、経験に裏打ちされたような重みと優しさがあった。 「次、どうすればいいと思いますか?」
「うーん、そうだなぁ……」
彼女は少し考えてから
「無理に話そうとするんじゃなくてさ、まずは、相手のことをもっと知ろうとしてみたらどうかな? 彼女が今、どんなことに興味があって、どんなことに悩んでるのか。……まあ、作家さんだから、作品読むのが一番なんだろうけど……蓮くんは、それがまだ難しいんだよね?」
僕が黙って頷くと、彼女は続けた。
「じゃあさ、例えば、彼女が好きそうな本とか、映画とか、そういうのを話題にしてみるとか? 共通の話題があれば、少しは話しやすくなるかもしれないし。……あ、でも、下心見え見えなのはダメだよ!」
と、悪戯っぽく付け加えた。
「分かりました。少し、考えてみます」
「うん。頑張ってね。でも、無理はしないでね」
彼女の言葉は、具体的な解決策ではなかったかもしれない。けれど、「相手を知ろうとすること」
という視点は、僕にとって新しい気づきだった。僕はこれまで、自分の伝えたいことばかりに囚われて、彼女の今の気持ちや状況を、本当に理解しようとしていただろうか。
その日から、僕の日常は、ほんの少しだけ、けれど確実に変わり始めた。
その夜、眠りにつく前に、僕はスマートフォンの画面を開き、雪乃の名前が表示されたトーク画面を、しばらくの間、ただ見つめていた。メッセージを送る勇気は、まだなかった。けれど、画面の向こう側にいる彼女の存在を、以前よりも少しだけ、近くに感じているような気がした。冷たい画面の奥に、確かな体温のようなものが感じられる。それは、僕自身の勝手な感傷なのかもしれない。それでも、僕にとっては、暗闇の中で見つけた、小さな灯火だった。
翌週のバイト中、僕は休憩時間に美咲先輩に高校での出来事を報告した。うまく話せなかったこと、けれど完全に拒絶されたわけではなかったこと。
「そっか……。まあ、一歩前進、かな?」
美咲先輩は、僕の淹れたコーヒーを飲みながら、いつもの明るい笑顔で言った。
「すぐに全部うまくいくわけないよ。焦らない、焦らない」
「でも、結局、何も伝えられなかったんです」
「うん。でも、彼女、先輩の話、聞こうとしてくれたんでしょ? それって、すごいことだよ。きっと、彼女も……色々、考えてるんだよ」
美咲先輩の言葉は、いつも不思議と僕の心を軽くしてくれる。彼女もまた、過去に後悔を抱えているからだろうか。その言葉には、表面的な励ましだけではない、経験に裏打ちされたような重みと優しさがあった。 「次、どうすればいいと思いますか?」
「うーん、そうだなぁ……」
彼女は少し考えてから
「無理に話そうとするんじゃなくてさ、まずは、相手のことをもっと知ろうとしてみたらどうかな? 彼女が今、どんなことに興味があって、どんなことに悩んでるのか。……まあ、作家さんだから、作品読むのが一番なんだろうけど……蓮くんは、それがまだ難しいんだよね?」
僕が黙って頷くと、彼女は続けた。
「じゃあさ、例えば、彼女が好きそうな本とか、映画とか、そういうのを話題にしてみるとか? 共通の話題があれば、少しは話しやすくなるかもしれないし。……あ、でも、下心見え見えなのはダメだよ!」
と、悪戯っぽく付け加えた。
「分かりました。少し、考えてみます」
「うん。頑張ってね。でも、無理はしないでね」
彼女の言葉は、具体的な解決策ではなかったかもしれない。けれど、「相手を知ろうとすること」
という視点は、僕にとって新しい気づきだった。僕はこれまで、自分の伝えたいことばかりに囚われて、彼女の今の気持ちや状況を、本当に理解しようとしていただろうか。
その日から、僕の日常は、ほんの少しだけ、けれど確実に変わり始めた。
