ホテルの回転扉が、私を再び午後の喧騒の中へと押し出した。暖かい室内から一歩踏み出すと、ひやりとした冬の空気が肌を刺す。行き交う人々の足音、車の走行音、遠くで鳴るサイレン。それら都会特有のノイズが、打ち合わせで空っぽになった私の頭の中に、無遠慮に流れ込んでくるようだった。

 結局、何も変わらない。
 小野寺さんの指摘は、的確で、反論の余地もなかった。けれど、今の私には、その指摘に応えるための具体的な道筋が見えない。熱量がない、と言われた言葉が、重い錨のように心を沈ませる。書かなければならないプレッシャーと、書けない現実との間で、私は完全に立ち往生していた。

 ふと、先ほど立ち寄ったカフェでの出来事を思い出す。あの、名前も知らない店員の女性。サガンの話で意気投合したこと。彼女が打ち明けてくれた、言葉にすることの難しさ、そして、秘められた恋の話。

 あの人も…何かと戦っているのかな。

 そう思うと、ほんの少しだけ、心が軽くなるような気がした。世界中で、この息苦しさを感じているのは私だけではないのかもしれない、と。けれど、その一方で、彼女の「好きな人がいる」という言葉と、その時の少し切なそうな笑顔が、再び胸を締め付ける。

 先輩も――。
 また、彼のことを考えている。彼女のような、明るさの中に翳りを秘めたような人に、彼は惹かれるのだろうか。私にはない魅力を持った誰かに。そんな想像は、嫉妬と呼ぶにはあまりにも頼りなく、けれど確かに私の心を乱した。

 駅へと向かう雑踏の中を歩きながら、私はポケットの中でスマートフォンを握りしめた。それは何かの期待だった。おまじないだった。彼と、先輩と、唯一繋がっていられる。かもしれない存在が私にとっては、スマートフォンしかなかった。

 私は何かを奇跡を望んでいた。
 何か、何かが、今の私を、どん底の私を救ってくれると――。何かが起こるのではないかと――。今度こそ、今度こそ。書店のあの時とも違う。彼の大学でのあの時とも違う。何か、何かが起これと――。

 その淡い期待。
 彼との関係をこのままで終わらせたくない。
 後輩として。
 作家として。
 同じ夢を追った者たちとして。
 そして――。