私は、一人カウンターに残され、まだ温かさの残るコーヒーカップを、所在なげに見つめていた。短い、けれど濃密な時間だった。サガンの話、言葉にすることの難しさ、そして、彼女自身の、秘められた恋の話。
好きな人……か。
その言葉が、頭の中でこだまする。彼女の、あの少し切なそうな笑顔が、妙に目に焼き付いて離れない。彼女の恋が、どんな形をしているのか、私には知る由もない。けれど、その言葉は、確実に私の心の奥底にある、蓋をしていたはずの感情を揺り動かしていた。
佐伯先輩への、複雑で、名前のつけられない想い。それは、恋なのだろうか。それとも、単なる過去への執着なのだろうか。分からない。けれど、少なくとも、彼との関係をこのまま終わらせたくない、と強く願っている自分は、確かにいるのだ。
コーヒーは、もうすっかり冷めてしまっていた。そのぬるくなった液体を、私はゆっくりと飲み干した。苦味と、微かな酸味だけが、やけに舌に残る。
席を立ち、レジへと向かう。カウンターの中では、彼女が他の客の対応を終え、私に気づくと再び柔らかい笑顔を向けた。その笑顔は、もう先ほどまでのような個人的な親密さはなく、プロフェッショナルな店員としてのものに戻っていた。
「ありがとうございました。またゆっくりいらしてくださいね」
その言葉に、私は何かを言いかけた。けれど、結局、言葉にはならなかった。
「…はい。ごちそうさまでした」
私は、もう一度彼女に小さく会釈をし、今度こそ、店の外へと出た。
外の空気は、やはりひんやりとしていた。カフェでの時間は、思いがけず私の心に深い痕跡を残していった。あの店員の女性――名前も知らないけれど――との会話。特に、彼女の「好きな人がいる」という言葉と、その時の表情。
それは、私の心を落ち着かせるどころか、むしろ、さらに掻き乱したのかもしれない。けれど、不思議と嫌な感じはしなかった。むしろ、凍てついていた心の一部が、人の体温のようなものに触れて、ほんの少しだけ、溶け始めたような感覚があった。
取材場所へ向かう足取りは、やはりここに来る前よりも、少しだけ、しっかりしているような気がした。空を見上げると、雲の切れ間から差し込む日差しが、先ほどよりもさらに、暖かく、そして力強く感じられた。
好きな人……か。
その言葉が、頭の中でこだまする。彼女の、あの少し切なそうな笑顔が、妙に目に焼き付いて離れない。彼女の恋が、どんな形をしているのか、私には知る由もない。けれど、その言葉は、確実に私の心の奥底にある、蓋をしていたはずの感情を揺り動かしていた。
佐伯先輩への、複雑で、名前のつけられない想い。それは、恋なのだろうか。それとも、単なる過去への執着なのだろうか。分からない。けれど、少なくとも、彼との関係をこのまま終わらせたくない、と強く願っている自分は、確かにいるのだ。
コーヒーは、もうすっかり冷めてしまっていた。そのぬるくなった液体を、私はゆっくりと飲み干した。苦味と、微かな酸味だけが、やけに舌に残る。
席を立ち、レジへと向かう。カウンターの中では、彼女が他の客の対応を終え、私に気づくと再び柔らかい笑顔を向けた。その笑顔は、もう先ほどまでのような個人的な親密さはなく、プロフェッショナルな店員としてのものに戻っていた。
「ありがとうございました。またゆっくりいらしてくださいね」
その言葉に、私は何かを言いかけた。けれど、結局、言葉にはならなかった。
「…はい。ごちそうさまでした」
私は、もう一度彼女に小さく会釈をし、今度こそ、店の外へと出た。
外の空気は、やはりひんやりとしていた。カフェでの時間は、思いがけず私の心に深い痕跡を残していった。あの店員の女性――名前も知らないけれど――との会話。特に、彼女の「好きな人がいる」という言葉と、その時の表情。
それは、私の心を落ち着かせるどころか、むしろ、さらに掻き乱したのかもしれない。けれど、不思議と嫌な感じはしなかった。むしろ、凍てついていた心の一部が、人の体温のようなものに触れて、ほんの少しだけ、溶け始めたような感覚があった。
取材場所へ向かう足取りは、やはりここに来る前よりも、少しだけ、しっかりしているような気がした。空を見上げると、雲の切れ間から差し込む日差しが、先ほどよりもさらに、暖かく、そして力強く感じられた。
