「…あ、またごめんなさい、私ばっかり話しちゃって。お客さんの邪魔しちゃいましたね」

 彼女は、はっとしたように言って、少しバツが悪そうに笑う。その笑顔は、やはりどこまでも自然で、嫌味がない。だからこそ、彼女の言葉は、私の心の壁を、いとも簡単にすり抜けてくるのかもしれない。

「いえ…そんなことないです。むしろ…少し、考えさせられました」

 それは、偽らざる本心だった。目の前の、名前も知らないカフェの店員との何気ない会話が、凝り固まっていた私の思考に、小さな風穴を開けてくれたような気がした。

「そうですか?」

 彼女は意外そうに目を丸くした。

「なら、よかった。偉そうなこと言っちゃいましたけど」


 彼女はカウンターに置かれた布巾で、水滴を丁寧に拭き取りながら、ふと、何かを思い出したように視線を宙に彷徨わせた。

「でも、そういうのって…なんだか、恋愛とかも似てる気がしません?」

 突然、投げかけられた言葉に、私は息をのむ。恋愛。その言葉が、今の私にはあまりにも重く、そして切実に響いた。

「上手くいかないって分かってても、なかなか諦めきれなかったり…。伝えたい言葉があるのに、全然違うこと言っちゃったり…ね」

 彼女は、誰に言うともなく、独り言のように呟く。その声には、先ほどの作家論とはまた違う、個人的で、切実な響きが籠っているように聞こえた。それは、まるで私の心の中を見透かされているかのようで、居たたまれないような、それでいてどこか共感してしまうような、複雑な気持ちになった。