書かなきゃ……明日の取材の準備も、それに……次回作も――。

 頭では分かっている。やるべきことは山積みだ。

 勉強は一旦、忘れる。どうせ受かっても行くつもりはない。

 小野寺さんとの打ち合わせで指摘されたプロットの修正点、キャラクターの掘り下げ、そして何よりも、読者の心を掴むという、あの漠然として、しかし決定的に重い要求。それら全てが、巨大な壁となって私の前に立ちはだかっている。
 キーボードの上に、そっと指を乗せる。けれど、それはまるで他人の指のように、私の意思とは無関係にこわばり、震えている。一行も、いや、一文字すら打ち出すことができない。言葉が、思考が、完全に凍り付いてしまったかのようだ。頭の中は、先ほどまでの母親とのやり取りや、図書館前での先輩との出来事、そして打ち合わせでの小野寺さんの言葉が、整理されないまま渦巻いている。ノイズばかりが反響して、静かな集中へと至る道筋を完全に見失ってしまっていた。

 落ち着け……大丈夫。書けるはず。

 自分に言い聞かせるように、深く息を吸い込む。目を閉じ、意識を集中させようと試みる。物語の世界へ。主人公の心へ。けれど、瞼の裏に浮かんでくるのは、期待に満ちた読者の顔、批判的な匿名の言葉、そして、過去の自分――『海辺のソラネル』を夢中で書き上げていた、あの頃の、もう手の届かない自分の姿ばかりだった。

 どうして、あの時はあんなに書けたんだろう――。
 自己嫌悪が、苦い胆汁のように喉元まで込み上げてくる。あの作品は、確かに私に多くのものをもたらしてくれた。賞賛、名声、そして、作家としての未来への扉。けれど、同時に、それは巨大な呪縛ともなったのだ。常に比較される対象。超えなければならない壁。そして、私の才能が決して無限ではないことを、残酷なまでに突きつけてくる鏡。