「でもね、だからって、何もしないのは、もっと後悔するんじゃないかなって、私は思うんだ」

　僕は、黙って彼女の言葉に耳を傾ける。

「まずは、ちゃんと向き合うこと、かな。その、壊れちゃったかもしれない、大事なものと。そして……一番大事なのは、自分の本当の気持ちと、ちゃんと向き合うことだと思う」彼女は、言葉を選びながら、丁寧に続ける。「それって、すごく怖いし、痛いことだと思うけど……でも、そこから逃げてる間は、きっとずっと苦しいままだから」

　その言葉は、僕の胸の奥底に、静かに、しかし深く突き刺さった。向き合うこと。僕が、ずっと避けてきたことだ。過去とも、雪乃とも、そして、自分自身の本当の気持ちとも。

「あとは……」

　美咲先輩は、少しだけ言い淀んでから、続けた。

「……正直に、伝えること、かな。もし、伝えたい相手がいるならね。『ごめんね』とか、『ありがとう』とか、『本当はこう思ってたんだ』とか……。それが、相手にどう受け取られるかは、正直分からないけど」

　彼女は、そこで一度言葉を切り、僕の目を真っ直ぐに見つめた。その瞳には、強い意志と、そして僕の痛みに寄り添おうとする、深い優しさが宿っていた。

「でもね、伝えないことには、何も始まらないと思うんだ。誤解されたままだったり、後悔したりするくらいなら、たとえカッコ悪くても、正直な言葉を伝えた方が、きっと……いいんじゃないかなって。……まあ、私自身は、それができなくて後悔したんだけどね」

　最後の言葉は、自嘲するように付け加えられた。彼女にも、伝えられなかった言葉があるのだ。その人間臭さが、彼女のアドバイスに妙な説得力を持たせていた。 僕は、息をのんだ。彼女の言葉は、僕が雪乃に対して抱える、「言いたかったこと」の核心に、図らずも触れていたからだ。正直な言葉を伝える勇気。

「……でも、もし、それが……相手を、もっと傷つけることになったら？」

　かろうじて、僕はそう問い返した。喫茶店での雪乃の傷ついた表情が、脳裏をよぎる。
　美咲先輩は、その問いに、困ったように眉を寄せた。

「……うん、それも、すごく怖いよね。本当にそう思う。……だから、簡単には言えないんだけど……」

　彼女は、しばらく黙考した後、再び僕の目を見て、はっきりと、しかし優しい声で言った。

「それでも、私は、誠実に向き合おうとすれば、きっと……何かが変わると信じたいな。……ごめん、答えになってないね」

　彼女は、そう言って、少し寂しそうに笑った。
　答えには、なっていなかったのかもしれない。けれど、彼女のその真摯な言葉と、僕の痛みを理解しようとしてくれる優しさは、確かに僕の心に届いていた。明確な解決策ではないけれど、一つの「光」のようなものを、示してくれた気がした。