校庭を突っ切り野球部員たちが練習している脇をひた走る。
「わっ、なんだ?!」というサードの選手のわきを抜けると、続け様に野郎どもの悲痛な叫びが聞こえた。
「夢碧さんが拐われた!」「あいつ、気安く手を握ってやがるぞ」「俺たちの夢碧さんが……!」
校庭の端々から、雄叫びと共に抜群のコントロールで俺に飛んでくる。
物凄いスピードなんだよこれが。
この調子なら、今年は全国制覇できるに違いないって、俺は確信したね。
「おりゃぁあああっ!」
涙と汗に塗れた流れ弾が、俺の頭上を通過していった。
入学してからもう夢碧さんの魅力は学校中に知れ渡ってるんだ。
みなさん、夢碧さんと手を繋いで、いや、繋がせていただいております。
歓喜余る想いであります。
見よ、両思いだぞーと、本来なら腕を高らかに上げたいところだったけど、優越感に浸る間もなかった。
身の危険を感じたもんでね。
裏門から外に飛び出してすかさず後ろを振り向くと、誰も追いかけて来てはいなかった。
ほっと息を付いたけど、夢碧さんの不安そうな目はまだそのままだ。握った手のひらがやけに冷たい。
「こっちにいこう」
俺たちは、そのまま路地に入ってから急停車した。
「ん?!」
いや、実際そうせざるを得なかったんだよ。
道を塞ぐように横一面に、学校で使っているような机が並べられててね。
その奥にもバリケードみたいに、椅子を積み重ねたのがいくつか作ってあるんだ。
横一面に並べられた机上の真ん中には、小さなお婆さんがちょこんと座ってて、それがすっごいんだ。
紫っぽいフード付きのマントみたいな、いかにも占い師という格好をしているんだけど、背が小さすぎて逆に服に着られている感じ。
お婆さんは、笑点に出てくるような紫の座布団を下に五、六枚は敷いていて、おまけに姿勢がピザの斜塔みたいに斜めってるんだ。
うちのばあちゃんは背中が丸まってるけどね。
こういうタイプは始めてだ。
きっと斜めになりながら作業してたんだと思うよ。
膝の上には、バスケットボールくらいの水晶玉が乗っかってて、そのうち水晶に潰されて、地面にめり込まないかなって心配だった。
あまりにも静かで、だんだんとお婆さんが神聖な感じに思えてきたもんで、俺たちは静かに一礼した。
でもお婆さんは、目を閉じて人形のように微動だにしない。
俺は、斜めったまま人形みたいに動かないお婆さんを見上げて言った。
「あの~すいません、そこをどいてもらっても良いですか?」
反応なし。
「俺たちちょっと今急いでるんです」
と……、
「あほーにゃららーー」
「うわっ」
突然お婆さんが声を上げて、斜めった体がゆでる前のスパゲッティみたいにピンと伸びた。
どっちしろ斜めってるんだけどね。
すると何処からか、ヒュ~ロロロと笛の音が聞こえてきた。
それに続くかのように、太鼓やお祭りで聞くときの鐘の音があっという間に合わさって、思わず体を動かしたくなってしまうような拍子の曲が始まった。
俺はさ、スーパーとかでその店のテーマソングとかかかってると、ついついダンスしちゃうんだよ。
ほんとうについついなんだ。
現に足が動き出してきちゃったよ。
「あほーにゃららーー、あほーにゃららーー」
お婆さんのちんちくりんな言葉と一緒に、バリケードのあちこちから、鉢巻と法被を着た人が沢山出てきた。
肩から太鼓を掛けて叩く人、横笛を吹く人、扇子をひらひらさせる人、提灯をもってリズムをとる人。
みんなそれぞれの役割を持っててだな、掛け声も賑やかなんだ。
「あほーにゃららーー、あほーにゃららーー」
「ほっ」
お婆さんの口が、梅干しを食べたときみたいにモスモス動く。
曲に合わせて体と一緒に左右に腕をくにゃんくにゃん動かすんだけど、これがまた物凄く絶妙な具合に外れているんだな。
何人かがおばあさんを神輿みたいの上に移動させた。
太鼓の演奏が、ズーンズーンと胸に響く。
思わずヨーヨーすくいがないか探しちゃったけど、そんなのなかったね。
水玉とか白い線が描かれたカラフルなあの丸いのを見ると、お祭りだって俺は思うんだ。
お祭り騒ぎで逃げなきゃいけないことを忘れそうになっていると……。
「見えますじゃー、見えますじゃー、二人の未来が見えますじゃ」
どんどこどんどこ!
お祭り気分で、法被の人たちのほっ、ほっという謎の掛け声に合わせ、お婆さんは歌い出して、懐から扇を取り出してこちらを指した。
夢碧さんと顔を見合わせる。
お婆さんは、今度はくるりくるりと大袈裟に水晶の上で手を動かし始めた。
その割には焦点は水晶にあってないんだなこれが。
めためたにうさんくさいんだ。
法被の人たちが神輿を上下に持ち上げて、お婆さんをリズムに合わせて空へと高くあげる。
「あほーにゃららーー、あほーにゃららーー」
どどんどどんどどん!
さらに黒子が姿を現した。
神輿の周りを、木の棒の先に紙で作った海の生き物をつけたのを持って回る。
スイミーみたいな大群が泳いでるみたいで、これが結構きれいなんだ。
想像してみてよ。アジ、たこ、イルカ、トウモロコシ。ん? マンボウ、クラゲ、カクレクマノミ、トウモロコシ……。
かなりお腹が空くラインナップだったな!
魚の動きに合わせて、お婆さんを乗せた神輿も回りだした。すると、
「カッ!」
と、占いお婆さんは目を見開き、両腕を水平に広げてからパチンと両手を合わせた。
神輿も正面で止まる。
「おぬしら、先々に数々待ち受ける困難あり」
続いてどどん! と太鼓が鳴り、俺と夢碧さんはまた顔を見合わせた。
「先ずは『とどのつまり』に行くべし」
と、お婆さんはババッと扇を広げた。
どどどん!
「……はぃ?」
またまた俺たちは顔を見合わせた。
だって『とどのつまり』だよ?
これは、知らないうちに町の仲間入りをしてたバーのことなんだ。
場所もへんちくりんな場所にあって、周りにお店も家もないような町から外れた位置にあるから通りかかる機会もないんだ。
俺は虫取りに行く途中に一度だけ通りかかったことがあるけど、誰かがお店を利用している様子なんて微塵も無かった。
そのときは霧がかかっちゃってさ、へンゼルとグレーテルに出てくるようなお菓子の家みたいに、怪しさを放ってたね。
聞いた話では、マスターは相当な変わり者らしいし、おまけに負の大魔神と呼ばれるお得意様が居座っているようなんだ。
その負の大魔神の波動を受けた者は、あまりのマイナスオーラに次の日に富士の樹海行きを検討するって話さ。
そんな人がいる場所に俺たちを行かせるっていうのは、怪しいと思うんだよな。
俺は夢碧さんを守んなきゃいけないから、危険な場所に連れて行きたくないし。
「その、とても言いにくいんですが、かなり嘘くさいです」
俺の一言に、黒子たちがポーズを決めたままカチリと固まった。
やっとこさで目をパチクリさせたお婆さんは、モスモスと口を動かした。
「お主……」
「なっ、なんですか?」
扇をぴしゃっと閉じて鋭く俺に向けてきたものだから、背がすっと伸びた。
ネコのように婆さんはスッと目を細めて、俺を見つめてくる。
俺は、レントゲン検査みたいに、内部まで見られてしまったみたいな気がした。
「おムースのように繊細なメンタルはどうにかしたいところですな」
「えっ、なんですって!」
おムースなメンタルっていうのは俺の唯一の短所なんだ。
俺の勘が当たっちまった。本当に丸裸にされるとは。
びっくりするかもしれないけどね、俺は結構物事に敏感で、いわゆる繊細さんってやつなんだ。
黙ってたけどね、とりわけ好きな女の子にはそうなんだ。
だから夢碧さんに弱い男に思われないか、心配で心配でたまんないわけよ。
一人称だってね、「僕」の方がこうなんていうか、すっと入ってくるんだよ? ほんとは。
でも普段から「俺」って言うように心掛けてるし、夢碧さんには絶対バレてはいない。
必死になってる時にはついつい戻っちゃったりするんだけどね。
こればっかりは死守しなけばならないんだ。
こんな重大な秘密を一瞬で見破るとは、このお婆さんは一体何者なんだっ。
「ほっ!」
どどん!
「お主の気持ちがびっしびっしと伝わってくるわ。好きな乙女に告白もできずに逆プロポーズされてしまったじゃー」
「ぎくっ」
どどん!
「その上初めてのキッスもできないとは、なんと俺は情けないんじゃー」
どどん!
「ちょっと、それ本人の前で言わないでくださいって……、あ」
「尾長くん……」
「表では俺ヨユーだぜという顔をしながら、乙女と目が合う度、トランポリンで跳ねるみたいに心臓バックバクじゃ〜」
どどどん!
「夢碧さん何も言わないでこっちを見ないでお願いだからっ」
本物だ、本物だよこのお婆さん。的中し過ぎて俺は返す言葉もない。男が廃るだろ、ぐすん。
「ほっ!」
「うるさいぞ!」
我慢がならなくなって、外野の黒子に俺は叫んだ。
「『とどのつまり』でうぬらは真実を知るのじゃ」
どどどん!
これ以上、夢碧さんに俺のバレてはいけない部分を暴露されたらたまったもんじゃない。
さらに何かを言おうとするお婆さんに被せて俺は言った。
「わかりました、わかりましたって! 俺たち行きます、その『とどのつまり』に」
パッパカパカパカパー
おもちゃみたいなトランペットが鳴り響くと、続けざまに太鼓の音が後押しするように響き渡る。
それに合わせて掲げられた旗に、俺はあんぐりと口を開けた。
『パフォーマンス代、一万五千円』
「んじゃ、はい」
今までのキレッキレだったお婆さんが、急に生気をなくしたように皺だらけの片手を差し出してきた。
「なんじゃそりゃ?!」
これには驚いちゃったね。一万だなんて額持ってないもの。
急いで飛び出してきたもんだから、そもそもお金は今持ってないんだ。
けど、お婆さんにはなにかしらの対価ってものは払わなきゃいけないと思ったんだよね。
本物ってやつをこの目に見せつけられちまったからさ。
だから俺は、ポケットに手を突っ込んだ。
シャカッと手に何か当たったので、そのままお婆さんに差し出す。
「これで勘弁してください」
シーンと全てが静まり返った。
「へ……」
お婆さんの口がモスッと動いた。
俺がオレが渡したのは、今朝美沙から貰った菓子の袋だ。
どうやら、そのままズボンに入れていたらしい。
お婆さんが両手で菓子の袋を受けもったままフリーズし、周りの黒子たちも、変なポーズのまま固まっている。
立派な請求旗だけが、バタバタ音を立てていた。
「えーと行こう、夢碧さん」
「……うん」
これは気持ちってやつだからいいんだよ、うん。
ここは一本道だから、もたもたしていたらすぐに追いつかれてしまうだろうしね。
一向に占いパフォーマーたちが退きそうにないから、俺たちはここから退却することにした。
一応汚しちゃだめだと思って、膝をつきながら机を上る。
大掃除の時とかも上履きは脱ぐし、土足で上がるもんじゃないって思ったんだ。
夢碧さんが机から降りる時に手を差し出して、夢碧さんが地面に降りると再び走り出した。
「待てー」という声が聞こえた気がしたが、俺たちはそのまま振り向かずに『とどのつまり』を目指した。
「わっ、なんだ?!」というサードの選手のわきを抜けると、続け様に野郎どもの悲痛な叫びが聞こえた。
「夢碧さんが拐われた!」「あいつ、気安く手を握ってやがるぞ」「俺たちの夢碧さんが……!」
校庭の端々から、雄叫びと共に抜群のコントロールで俺に飛んでくる。
物凄いスピードなんだよこれが。
この調子なら、今年は全国制覇できるに違いないって、俺は確信したね。
「おりゃぁあああっ!」
涙と汗に塗れた流れ弾が、俺の頭上を通過していった。
入学してからもう夢碧さんの魅力は学校中に知れ渡ってるんだ。
みなさん、夢碧さんと手を繋いで、いや、繋がせていただいております。
歓喜余る想いであります。
見よ、両思いだぞーと、本来なら腕を高らかに上げたいところだったけど、優越感に浸る間もなかった。
身の危険を感じたもんでね。
裏門から外に飛び出してすかさず後ろを振り向くと、誰も追いかけて来てはいなかった。
ほっと息を付いたけど、夢碧さんの不安そうな目はまだそのままだ。握った手のひらがやけに冷たい。
「こっちにいこう」
俺たちは、そのまま路地に入ってから急停車した。
「ん?!」
いや、実際そうせざるを得なかったんだよ。
道を塞ぐように横一面に、学校で使っているような机が並べられててね。
その奥にもバリケードみたいに、椅子を積み重ねたのがいくつか作ってあるんだ。
横一面に並べられた机上の真ん中には、小さなお婆さんがちょこんと座ってて、それがすっごいんだ。
紫っぽいフード付きのマントみたいな、いかにも占い師という格好をしているんだけど、背が小さすぎて逆に服に着られている感じ。
お婆さんは、笑点に出てくるような紫の座布団を下に五、六枚は敷いていて、おまけに姿勢がピザの斜塔みたいに斜めってるんだ。
うちのばあちゃんは背中が丸まってるけどね。
こういうタイプは始めてだ。
きっと斜めになりながら作業してたんだと思うよ。
膝の上には、バスケットボールくらいの水晶玉が乗っかってて、そのうち水晶に潰されて、地面にめり込まないかなって心配だった。
あまりにも静かで、だんだんとお婆さんが神聖な感じに思えてきたもんで、俺たちは静かに一礼した。
でもお婆さんは、目を閉じて人形のように微動だにしない。
俺は、斜めったまま人形みたいに動かないお婆さんを見上げて言った。
「あの~すいません、そこをどいてもらっても良いですか?」
反応なし。
「俺たちちょっと今急いでるんです」
と……、
「あほーにゃららーー」
「うわっ」
突然お婆さんが声を上げて、斜めった体がゆでる前のスパゲッティみたいにピンと伸びた。
どっちしろ斜めってるんだけどね。
すると何処からか、ヒュ~ロロロと笛の音が聞こえてきた。
それに続くかのように、太鼓やお祭りで聞くときの鐘の音があっという間に合わさって、思わず体を動かしたくなってしまうような拍子の曲が始まった。
俺はさ、スーパーとかでその店のテーマソングとかかかってると、ついついダンスしちゃうんだよ。
ほんとうについついなんだ。
現に足が動き出してきちゃったよ。
「あほーにゃららーー、あほーにゃららーー」
お婆さんのちんちくりんな言葉と一緒に、バリケードのあちこちから、鉢巻と法被を着た人が沢山出てきた。
肩から太鼓を掛けて叩く人、横笛を吹く人、扇子をひらひらさせる人、提灯をもってリズムをとる人。
みんなそれぞれの役割を持っててだな、掛け声も賑やかなんだ。
「あほーにゃららーー、あほーにゃららーー」
「ほっ」
お婆さんの口が、梅干しを食べたときみたいにモスモス動く。
曲に合わせて体と一緒に左右に腕をくにゃんくにゃん動かすんだけど、これがまた物凄く絶妙な具合に外れているんだな。
何人かがおばあさんを神輿みたいの上に移動させた。
太鼓の演奏が、ズーンズーンと胸に響く。
思わずヨーヨーすくいがないか探しちゃったけど、そんなのなかったね。
水玉とか白い線が描かれたカラフルなあの丸いのを見ると、お祭りだって俺は思うんだ。
お祭り騒ぎで逃げなきゃいけないことを忘れそうになっていると……。
「見えますじゃー、見えますじゃー、二人の未来が見えますじゃ」
どんどこどんどこ!
お祭り気分で、法被の人たちのほっ、ほっという謎の掛け声に合わせ、お婆さんは歌い出して、懐から扇を取り出してこちらを指した。
夢碧さんと顔を見合わせる。
お婆さんは、今度はくるりくるりと大袈裟に水晶の上で手を動かし始めた。
その割には焦点は水晶にあってないんだなこれが。
めためたにうさんくさいんだ。
法被の人たちが神輿を上下に持ち上げて、お婆さんをリズムに合わせて空へと高くあげる。
「あほーにゃららーー、あほーにゃららーー」
どどんどどんどどん!
さらに黒子が姿を現した。
神輿の周りを、木の棒の先に紙で作った海の生き物をつけたのを持って回る。
スイミーみたいな大群が泳いでるみたいで、これが結構きれいなんだ。
想像してみてよ。アジ、たこ、イルカ、トウモロコシ。ん? マンボウ、クラゲ、カクレクマノミ、トウモロコシ……。
かなりお腹が空くラインナップだったな!
魚の動きに合わせて、お婆さんを乗せた神輿も回りだした。すると、
「カッ!」
と、占いお婆さんは目を見開き、両腕を水平に広げてからパチンと両手を合わせた。
神輿も正面で止まる。
「おぬしら、先々に数々待ち受ける困難あり」
続いてどどん! と太鼓が鳴り、俺と夢碧さんはまた顔を見合わせた。
「先ずは『とどのつまり』に行くべし」
と、お婆さんはババッと扇を広げた。
どどどん!
「……はぃ?」
またまた俺たちは顔を見合わせた。
だって『とどのつまり』だよ?
これは、知らないうちに町の仲間入りをしてたバーのことなんだ。
場所もへんちくりんな場所にあって、周りにお店も家もないような町から外れた位置にあるから通りかかる機会もないんだ。
俺は虫取りに行く途中に一度だけ通りかかったことがあるけど、誰かがお店を利用している様子なんて微塵も無かった。
そのときは霧がかかっちゃってさ、へンゼルとグレーテルに出てくるようなお菓子の家みたいに、怪しさを放ってたね。
聞いた話では、マスターは相当な変わり者らしいし、おまけに負の大魔神と呼ばれるお得意様が居座っているようなんだ。
その負の大魔神の波動を受けた者は、あまりのマイナスオーラに次の日に富士の樹海行きを検討するって話さ。
そんな人がいる場所に俺たちを行かせるっていうのは、怪しいと思うんだよな。
俺は夢碧さんを守んなきゃいけないから、危険な場所に連れて行きたくないし。
「その、とても言いにくいんですが、かなり嘘くさいです」
俺の一言に、黒子たちがポーズを決めたままカチリと固まった。
やっとこさで目をパチクリさせたお婆さんは、モスモスと口を動かした。
「お主……」
「なっ、なんですか?」
扇をぴしゃっと閉じて鋭く俺に向けてきたものだから、背がすっと伸びた。
ネコのように婆さんはスッと目を細めて、俺を見つめてくる。
俺は、レントゲン検査みたいに、内部まで見られてしまったみたいな気がした。
「おムースのように繊細なメンタルはどうにかしたいところですな」
「えっ、なんですって!」
おムースなメンタルっていうのは俺の唯一の短所なんだ。
俺の勘が当たっちまった。本当に丸裸にされるとは。
びっくりするかもしれないけどね、俺は結構物事に敏感で、いわゆる繊細さんってやつなんだ。
黙ってたけどね、とりわけ好きな女の子にはそうなんだ。
だから夢碧さんに弱い男に思われないか、心配で心配でたまんないわけよ。
一人称だってね、「僕」の方がこうなんていうか、すっと入ってくるんだよ? ほんとは。
でも普段から「俺」って言うように心掛けてるし、夢碧さんには絶対バレてはいない。
必死になってる時にはついつい戻っちゃったりするんだけどね。
こればっかりは死守しなけばならないんだ。
こんな重大な秘密を一瞬で見破るとは、このお婆さんは一体何者なんだっ。
「ほっ!」
どどん!
「お主の気持ちがびっしびっしと伝わってくるわ。好きな乙女に告白もできずに逆プロポーズされてしまったじゃー」
「ぎくっ」
どどん!
「その上初めてのキッスもできないとは、なんと俺は情けないんじゃー」
どどん!
「ちょっと、それ本人の前で言わないでくださいって……、あ」
「尾長くん……」
「表では俺ヨユーだぜという顔をしながら、乙女と目が合う度、トランポリンで跳ねるみたいに心臓バックバクじゃ〜」
どどどん!
「夢碧さん何も言わないでこっちを見ないでお願いだからっ」
本物だ、本物だよこのお婆さん。的中し過ぎて俺は返す言葉もない。男が廃るだろ、ぐすん。
「ほっ!」
「うるさいぞ!」
我慢がならなくなって、外野の黒子に俺は叫んだ。
「『とどのつまり』でうぬらは真実を知るのじゃ」
どどどん!
これ以上、夢碧さんに俺のバレてはいけない部分を暴露されたらたまったもんじゃない。
さらに何かを言おうとするお婆さんに被せて俺は言った。
「わかりました、わかりましたって! 俺たち行きます、その『とどのつまり』に」
パッパカパカパカパー
おもちゃみたいなトランペットが鳴り響くと、続けざまに太鼓の音が後押しするように響き渡る。
それに合わせて掲げられた旗に、俺はあんぐりと口を開けた。
『パフォーマンス代、一万五千円』
「んじゃ、はい」
今までのキレッキレだったお婆さんが、急に生気をなくしたように皺だらけの片手を差し出してきた。
「なんじゃそりゃ?!」
これには驚いちゃったね。一万だなんて額持ってないもの。
急いで飛び出してきたもんだから、そもそもお金は今持ってないんだ。
けど、お婆さんにはなにかしらの対価ってものは払わなきゃいけないと思ったんだよね。
本物ってやつをこの目に見せつけられちまったからさ。
だから俺は、ポケットに手を突っ込んだ。
シャカッと手に何か当たったので、そのままお婆さんに差し出す。
「これで勘弁してください」
シーンと全てが静まり返った。
「へ……」
お婆さんの口がモスッと動いた。
俺がオレが渡したのは、今朝美沙から貰った菓子の袋だ。
どうやら、そのままズボンに入れていたらしい。
お婆さんが両手で菓子の袋を受けもったままフリーズし、周りの黒子たちも、変なポーズのまま固まっている。
立派な請求旗だけが、バタバタ音を立てていた。
「えーと行こう、夢碧さん」
「……うん」
これは気持ちってやつだからいいんだよ、うん。
ここは一本道だから、もたもたしていたらすぐに追いつかれてしまうだろうしね。
一向に占いパフォーマーたちが退きそうにないから、俺たちはここから退却することにした。
一応汚しちゃだめだと思って、膝をつきながら机を上る。
大掃除の時とかも上履きは脱ぐし、土足で上がるもんじゃないって思ったんだ。
夢碧さんが机から降りる時に手を差し出して、夢碧さんが地面に降りると再び走り出した。
「待てー」という声が聞こえた気がしたが、俺たちはそのまま振り向かずに『とどのつまり』を目指した。
