「じゃあね~、イ・ノ・コ・リ」
「うるせぇっ」
きゃーとわざとらしい声を上げて、美沙が教室から出ていく。教室には俺以外誰もいない。
俺は、その後の授業もまたその後の授業も見事に居眠りを決め、宇佐美先生からごみ捨て大将に任命された。他の先生から聞いたに違いない。
俺だって、不真面目を決め込もうと思ってやったんじゃないないんだ。不可抗力ってやつさ。
目をかっぴらきながらノートをとっていたら、磁石のS極とN極みたいに机とおでこがくっついてんだもの。それに、給食の後ってのは無条件に眠くなるもんなんだよな。
掃除の時間もあったっていうのに、週末でゴミが多いところにこの役目を押し付けてくるとは、宇佐美先生はなかなかの策士であるとみた。
このやろー、と気が済まないので悪態をついておく。
週末に近づくほど、なんだかみんなの気も緩んで、ごみの捨て方も雑なんだよな。自分ちのゴミなら平気なんだけど、どーも学校となると抵抗がある。
どうやったら嫌じゃなくなるかなって考えてたら、突然俺は足を動かしたくなった。
足を動かすってのは、ダンスのことさ。俺は時々、急にダンスを踊りたくなっちゃうことがあるんだ。
社交ダンスでパートナーがいるのを想像してね、手をぐっと上げてから女の人の手を取って、腰にそっと手を回す。
これは、おじいちゃんに教えてもらったんだ。
おじいちゃんは昔会社の社交ダンスサークルに入ってて、県大会でも優勝したことがあるっていう実力の持ち主なんだ。今でも、東京のダンスホールに時々踊りに行くんだって。
俺も、遊びに行ったときにワルツを教えてもらったんだけど、全然覚えられなくってさ。だからでたらめなんだ。でもなかなか楽しいもんだよ、でたらめダンスでもね。
「さあ、華々しく社交界デビューを決めた尾長香さんです」
アナウンスする人がいないからさ、俺がやるんだ。すっかりビニールの口を縛って出来上がったゴミ袋を両手に持つと、俺は一人舞踏会を始めた。
教室をダンスホールに見立ててタップを踏む。
「どうして~僕は~こんな目ぇに~ルルルル~」
思うがままに、教室を右から左へとクルクル回る。
「リズムに乗って~ワン、トゥーサンッ、僕は踊るよ~机の間をぬって」
ハサミ歩きのように華麗な足さばきをしながら、今度は教室を後ろから前に、くるくるくるくる。
「みんな~の注目の的さぁ~、さあ一緒に踊ろうよ……」
「それなんて踊り?」
なんてこったい。両手からゴミ袋がポテッと落ちた。
教室のドアの前に立っていたのは俺の意中の相手、夢碧さんだったのだ。
「ゴ、ゴミのワルツ……」
自分でも何言ってるかわかんない。
ダンス上手だね、とかなんとか言われたかもしれないが、それどころじゃない。
「尾長くん、すんごい驚いた顔してる」
「ゆ、ゆ、夢碧さん、これはその」
夢緑さんがクスクス笑いながら、植木鉢を持って教室に入ってくる。
俺はすかさずゴミ袋を拾い上げて、ズサササっと後ずさった。
「あっ私ね、緑化委員なの。週末だし最近熱くなってきたでしょ? だから、たっぷりお水あげとこうと思って」
「へ、へぇーそうなんだ」
夢碧さんは特に俺の奇行について追及する気はないらしく、鼻歌を歌い出した。
何も聞かれないのはありがたいんだけど、さっきまで適当に歌ってた「ゴミのワルツ」を早速歌ってるもんだから、気恥ずかしくて仕方ない。
とんでもなく恥ずかしくはあるんだけど、夢碧さんと教室で二人っきりっていうのは素直に嬉しい。
要は、いろんな意味で俺の心臓はバックバクだ。
「ねぇ、尾長くん」
「は、はい。なんでしょう」
ちくしょー、何て情けない返事なんだ。
夢碧さんは、ミニひまわりの鉢をベランダに置くと、俺の方に振り向いた。振り向き様に、サラッと髪の毛も揺れる。
「尾長くんは、好きな人いる?」
「えっ、ど、どうしてそんなこと?」
ほ、本人の前で言えるわけがないだろー!。
「う~ん尾長くん、いるのかな~と思って」
夢碧さんのまん丸で少し緑がかった綺麗な目が、俺を見ている。
「夢碧さんこそ、す、好きな人いるの?」
とうとう聞いてしまったー。怖いけど、やっぱり気になる。
世にも奇妙な物語がやるって時期に、怖いけどちょっとみたいっていう、怖いもの見たさとこれは似てる気がすんだな。
「うん、いるよ」
俺はメデゥーサに見つめられた人みたいに固まって、「ふ、ふ~ん。そう、なんだ」とかなんとか声を絞り出した。
いるよ……いるよ……いるよ……。悲しきリフレイン。
ああー神様―。尾長香ただいま十二歳、失恋。
「そのー、聞いてもいいかな? 夢碧さんの好きな人」
こうなったらとことん落ち込んでやるって俺は思ったんだな。
例えばさ、冷蔵庫に入れておいたプリンが食べられてたとするじゃんか。そうするとさ、もちろんもちろん勝手に食べられたことに腹を立てるわけだ。もう賞味期限が近いのにいつまでも食べないから、いらないと思ったって、食べた犯人は言うんだな。
でもそれは違うのさ。全くもってね。プリンを食べるタイミングっていうのが、俺の中にはちゃんとあるんだよ。プリンはプリンの方で、今食べごろですーっていうのをある瞬間に発し始めるわけよ。
それが必ず買ってきた日に起こるわけではないんだな。なんでわからないかなっていうのがこの間あったから、言ってみただけなんだけど。
とにかくだ、ぶっちゃけプリンは買ってくればまた食べられるわけだけど、その時はしばらく憂鬱に浸っていたいんだ。そうするとさ、しばらく上手くいかないのも他人のせいにできるんだな。
だから、俺はいっそのこと夢碧さんのハートをかっさらった野郎を聞き出して、とことん今後の不幸をそいつのせいにしてやろうって思ったんだ。
「うん。じゃあ、思い切って言うね」
夢碧さんが顔を伏せると、ふわっと風にカーテンが揺れ、一瞬彼女の体を包み込む。
夢碧さんの動きが、全てスローモーションに見えた。
小さな口が、ゆっくりとソイツの名前を刻む。
「……くんなの」
だけどあんまり魅入ちゃってたもんでね、全然聞き取れなかったのさ。
だから、「え、誰だって?」と聞き返したのね。
彼女はもじもじと手をすり合わせると、「尾長、くんなの」ともう一度言った。
なるほどなるほど、そいつが夢碧さんの……ん?
「えぇえええええー! 俺?!」
夢碧さんはこくんと頷いた。な、なんてこったい。
俺は、自分を指さしたまま、あんぐり口を開けて固まった。
「あの、尾長くんは私のこと、どう思ってますか?」
俺の頭から、シューシュー蒸気が噴き出し始めたのがわかった。キャパオーバーってやつだ。
嬉しいというより、俺はもう蒸発寸前だったね。
だってどう思うよ。ずうっと好きだと思ってた女の子から告白されちゃったんだぞ。学校中のアイドルなんだぞ。
「どう思ってる?」だなんて上目遣いで見られちゃった日には君、ねぇ。
「ええっと、ええっと、俺も、夢碧さんのことが好きです、はい!」
「ほ、ほんと?」
少し不安そうに見つめてくる夢碧さんの破壊力、効果はバツグンだ!
言葉にならなくて、俺はヘッドバンキングのごとく首を縦に振りまくった。
「良かった~」
ぱあっと夢碧さんは笑った。かわいすぎる。嬉しいのを通り越して、俺はじーんとしちゃったね。
「尾長くん……」
「夢碧さん……」
俺たちは吸い寄せられるように、夢見心地で数秒間見つめあった。
こんな奇跡が起きたからには、ここで男を決めなければなるまい。
夢碧さんを抱きしめたい! そんな感情が、もりもりと沸き上がった。
「夢碧さんっ」
俺は、彼女に近づいた。桜色をした唇との距離が縮まって、夢碧さんに心臓の音が聞こえてくるんじゃないかってくらい俺はドキドキした。
スッと大きく息を吸ったとき——
「探しましたよ」
ギョッとしたのと同時に、俺は目を疑った。
足音も気配だって何もしなかったってのに、真横に黒いスーツを着た、クリームっぽい髪色の男が立っていたんだ。
「だ、誰ですか」
あまりにびっくりしちゃって、そう言うのが精一杯だった。入学してからこの方、一度だって見たことがない。
一瞬だけクリーム男はこちらを見ると、その後じっと夢碧さんを見つめた。
夢碧さんは口を堅く結び、首を横にフルフル振って後ずさった。夢碧さんが危ない。
口元にきゅっと力を入れ、俺は夢碧さんを庇うように、前に立って手を広げた。
男は何も言わないから、それが余計に怖かった。
冷たい視線が俺を突き刺すように感じたけど、何とかその場に踏みとどまって睨み返す。
けれども、クリーム男が手を伸ばしてくると、俺はやっぱり耐え切れなくなってぎゅっと目を瞑った。
「うるせぇっ」
きゃーとわざとらしい声を上げて、美沙が教室から出ていく。教室には俺以外誰もいない。
俺は、その後の授業もまたその後の授業も見事に居眠りを決め、宇佐美先生からごみ捨て大将に任命された。他の先生から聞いたに違いない。
俺だって、不真面目を決め込もうと思ってやったんじゃないないんだ。不可抗力ってやつさ。
目をかっぴらきながらノートをとっていたら、磁石のS極とN極みたいに机とおでこがくっついてんだもの。それに、給食の後ってのは無条件に眠くなるもんなんだよな。
掃除の時間もあったっていうのに、週末でゴミが多いところにこの役目を押し付けてくるとは、宇佐美先生はなかなかの策士であるとみた。
このやろー、と気が済まないので悪態をついておく。
週末に近づくほど、なんだかみんなの気も緩んで、ごみの捨て方も雑なんだよな。自分ちのゴミなら平気なんだけど、どーも学校となると抵抗がある。
どうやったら嫌じゃなくなるかなって考えてたら、突然俺は足を動かしたくなった。
足を動かすってのは、ダンスのことさ。俺は時々、急にダンスを踊りたくなっちゃうことがあるんだ。
社交ダンスでパートナーがいるのを想像してね、手をぐっと上げてから女の人の手を取って、腰にそっと手を回す。
これは、おじいちゃんに教えてもらったんだ。
おじいちゃんは昔会社の社交ダンスサークルに入ってて、県大会でも優勝したことがあるっていう実力の持ち主なんだ。今でも、東京のダンスホールに時々踊りに行くんだって。
俺も、遊びに行ったときにワルツを教えてもらったんだけど、全然覚えられなくってさ。だからでたらめなんだ。でもなかなか楽しいもんだよ、でたらめダンスでもね。
「さあ、華々しく社交界デビューを決めた尾長香さんです」
アナウンスする人がいないからさ、俺がやるんだ。すっかりビニールの口を縛って出来上がったゴミ袋を両手に持つと、俺は一人舞踏会を始めた。
教室をダンスホールに見立ててタップを踏む。
「どうして~僕は~こんな目ぇに~ルルルル~」
思うがままに、教室を右から左へとクルクル回る。
「リズムに乗って~ワン、トゥーサンッ、僕は踊るよ~机の間をぬって」
ハサミ歩きのように華麗な足さばきをしながら、今度は教室を後ろから前に、くるくるくるくる。
「みんな~の注目の的さぁ~、さあ一緒に踊ろうよ……」
「それなんて踊り?」
なんてこったい。両手からゴミ袋がポテッと落ちた。
教室のドアの前に立っていたのは俺の意中の相手、夢碧さんだったのだ。
「ゴ、ゴミのワルツ……」
自分でも何言ってるかわかんない。
ダンス上手だね、とかなんとか言われたかもしれないが、それどころじゃない。
「尾長くん、すんごい驚いた顔してる」
「ゆ、ゆ、夢碧さん、これはその」
夢緑さんがクスクス笑いながら、植木鉢を持って教室に入ってくる。
俺はすかさずゴミ袋を拾い上げて、ズサササっと後ずさった。
「あっ私ね、緑化委員なの。週末だし最近熱くなってきたでしょ? だから、たっぷりお水あげとこうと思って」
「へ、へぇーそうなんだ」
夢碧さんは特に俺の奇行について追及する気はないらしく、鼻歌を歌い出した。
何も聞かれないのはありがたいんだけど、さっきまで適当に歌ってた「ゴミのワルツ」を早速歌ってるもんだから、気恥ずかしくて仕方ない。
とんでもなく恥ずかしくはあるんだけど、夢碧さんと教室で二人っきりっていうのは素直に嬉しい。
要は、いろんな意味で俺の心臓はバックバクだ。
「ねぇ、尾長くん」
「は、はい。なんでしょう」
ちくしょー、何て情けない返事なんだ。
夢碧さんは、ミニひまわりの鉢をベランダに置くと、俺の方に振り向いた。振り向き様に、サラッと髪の毛も揺れる。
「尾長くんは、好きな人いる?」
「えっ、ど、どうしてそんなこと?」
ほ、本人の前で言えるわけがないだろー!。
「う~ん尾長くん、いるのかな~と思って」
夢碧さんのまん丸で少し緑がかった綺麗な目が、俺を見ている。
「夢碧さんこそ、す、好きな人いるの?」
とうとう聞いてしまったー。怖いけど、やっぱり気になる。
世にも奇妙な物語がやるって時期に、怖いけどちょっとみたいっていう、怖いもの見たさとこれは似てる気がすんだな。
「うん、いるよ」
俺はメデゥーサに見つめられた人みたいに固まって、「ふ、ふ~ん。そう、なんだ」とかなんとか声を絞り出した。
いるよ……いるよ……いるよ……。悲しきリフレイン。
ああー神様―。尾長香ただいま十二歳、失恋。
「そのー、聞いてもいいかな? 夢碧さんの好きな人」
こうなったらとことん落ち込んでやるって俺は思ったんだな。
例えばさ、冷蔵庫に入れておいたプリンが食べられてたとするじゃんか。そうするとさ、もちろんもちろん勝手に食べられたことに腹を立てるわけだ。もう賞味期限が近いのにいつまでも食べないから、いらないと思ったって、食べた犯人は言うんだな。
でもそれは違うのさ。全くもってね。プリンを食べるタイミングっていうのが、俺の中にはちゃんとあるんだよ。プリンはプリンの方で、今食べごろですーっていうのをある瞬間に発し始めるわけよ。
それが必ず買ってきた日に起こるわけではないんだな。なんでわからないかなっていうのがこの間あったから、言ってみただけなんだけど。
とにかくだ、ぶっちゃけプリンは買ってくればまた食べられるわけだけど、その時はしばらく憂鬱に浸っていたいんだ。そうするとさ、しばらく上手くいかないのも他人のせいにできるんだな。
だから、俺はいっそのこと夢碧さんのハートをかっさらった野郎を聞き出して、とことん今後の不幸をそいつのせいにしてやろうって思ったんだ。
「うん。じゃあ、思い切って言うね」
夢碧さんが顔を伏せると、ふわっと風にカーテンが揺れ、一瞬彼女の体を包み込む。
夢碧さんの動きが、全てスローモーションに見えた。
小さな口が、ゆっくりとソイツの名前を刻む。
「……くんなの」
だけどあんまり魅入ちゃってたもんでね、全然聞き取れなかったのさ。
だから、「え、誰だって?」と聞き返したのね。
彼女はもじもじと手をすり合わせると、「尾長、くんなの」ともう一度言った。
なるほどなるほど、そいつが夢碧さんの……ん?
「えぇえええええー! 俺?!」
夢碧さんはこくんと頷いた。な、なんてこったい。
俺は、自分を指さしたまま、あんぐり口を開けて固まった。
「あの、尾長くんは私のこと、どう思ってますか?」
俺の頭から、シューシュー蒸気が噴き出し始めたのがわかった。キャパオーバーってやつだ。
嬉しいというより、俺はもう蒸発寸前だったね。
だってどう思うよ。ずうっと好きだと思ってた女の子から告白されちゃったんだぞ。学校中のアイドルなんだぞ。
「どう思ってる?」だなんて上目遣いで見られちゃった日には君、ねぇ。
「ええっと、ええっと、俺も、夢碧さんのことが好きです、はい!」
「ほ、ほんと?」
少し不安そうに見つめてくる夢碧さんの破壊力、効果はバツグンだ!
言葉にならなくて、俺はヘッドバンキングのごとく首を縦に振りまくった。
「良かった~」
ぱあっと夢碧さんは笑った。かわいすぎる。嬉しいのを通り越して、俺はじーんとしちゃったね。
「尾長くん……」
「夢碧さん……」
俺たちは吸い寄せられるように、夢見心地で数秒間見つめあった。
こんな奇跡が起きたからには、ここで男を決めなければなるまい。
夢碧さんを抱きしめたい! そんな感情が、もりもりと沸き上がった。
「夢碧さんっ」
俺は、彼女に近づいた。桜色をした唇との距離が縮まって、夢碧さんに心臓の音が聞こえてくるんじゃないかってくらい俺はドキドキした。
スッと大きく息を吸ったとき——
「探しましたよ」
ギョッとしたのと同時に、俺は目を疑った。
足音も気配だって何もしなかったってのに、真横に黒いスーツを着た、クリームっぽい髪色の男が立っていたんだ。
「だ、誰ですか」
あまりにびっくりしちゃって、そう言うのが精一杯だった。入学してからこの方、一度だって見たことがない。
一瞬だけクリーム男はこちらを見ると、その後じっと夢碧さんを見つめた。
夢碧さんは口を堅く結び、首を横にフルフル振って後ずさった。夢碧さんが危ない。
口元にきゅっと力を入れ、俺は夢碧さんを庇うように、前に立って手を広げた。
男は何も言わないから、それが余計に怖かった。
冷たい視線が俺を突き刺すように感じたけど、何とかその場に踏みとどまって睨み返す。
けれども、クリーム男が手を伸ばしてくると、俺はやっぱり耐え切れなくなってぎゅっと目を瞑った。
