はじまりは蝶

 フランクさんが叫んだ隣で、耐え切れずにサドが気絶した。
 王子がそう言って手を差し伸べたのは、宇佐美先生だったのだ。

「あら、かわいいじゃない♡」

 そこからは、あっという間だった。宇佐美先生は、王子の腕を取った。

「よろしくね、王子さん」
「はい」

フランクさんが、動揺したように言う。

「いやしかし王子、彼女はポウ星人で……」
「それがどうかしたの?」

 意識が戻ったサドがかすれた声で言う。

「我々の星では、同じ星同士のものが結婚することが通例になっているんですよ」
「僕が、その初めての例になればいい」

 自信に満ち溢れた声だった。
「ほらいくよサド」と言って、まだ状況が飲み込めない彼を王子は立たせようとしたけど、王子の変貌ぶりに精神が追いつかなかったサドは、「あぁ……」と声にならない声を呟いて、また意識を失ってしまった。
 わからんでもないな。確かに今の王子は、今までとは別人のようだ。
 だけど、僕は王子のことが好きになった。彼の言動、行動の全部がキラキラしていたんだ。
 フランクさんと美沙には、再び彼女を見守るように指示をした。
 王子は、気絶したサドをおぶりながら僕に言った。

「君、尾長君と言ったよね」
「あっ、はい」
「彼女のこと、よろしく頼むね」
「はい!」

 そして最後に振り向きざま、こう言ってくれたんだ。

「もう少し落ち着いたら、彼女と一緒にチュン星に遊びにおいでよ。僕がそのとき案内するからさ」

 もうそこに、メソメソしていたタタンはいなかった。
 誰もが認める立派な王子様だ。
 堂々たる佇まいで、タタン王子の背まで伸びたように感じた。
 とってもかっこいいなって、僕は思った。

「じゃあまた会おうね」

 またがある。それだけで僕は十分に嬉しかったけど、夢碧さんの生まれた星に行けるだなんてさらに最高だと思った。
 しかも、王子自ら誘ってもらえるなんて、とっても光栄なことだ。
 宇佐美先生には、また週明けから学校に来るように、と言われた。
 僕たちは揃って元気に返事をした。タタン王子と宇佐美先生は、寄り添ってワープから出ていった。
 学校に行ったら、先生に王子とのことをぜひ聞きたないなと思っている。

「尾長ぁ、じゃああたしら先行くから」

 そう言って、美沙は放心状態のフランクさんの肩を叩いた。
 フランクさんは、この状況を把握するなり、「胃が……胃が痛い」と言った。
 美沙の、「お嬢様に何かあったらあたしがお前を殺る」という確固たる視線を一瞬見たけど、僕はもう怖かなかったね。
 いや、やっぱ慣れないや。
 けど、震えながらもその場に立っていられるくらいにはなったと思う、多分。
 二人と見送りながら、僕は周りの景色が変わったような気がした。
 どうやらさ、背が伸びたみたいなんだ。
 こんな短時間でって言うかもしれないけどさ、マジなんだよ。
 今身長を測ったらさ、この前の身長測定のときより少なくとも数ミリは伸びてんね。間違いないよ。
 それにさ、もし美筋コンテストってのがあったら、僕優勝できる気がする。
 ワープには、僕と夢碧さん以外誰もいなくなった。

「何だか、嵐みたいだったね」
「うん」

 こうしてまた夢碧さんと一緒にいられるのが、夢みたいだと思った。

「夢碧さん」
「なーに?」
「聞きたいんだけどさ、夢碧さんは僕……あ、いや俺のことなんで好きになってくれたのかなーって」

 しまったよ。あんなにひた隠しにしてきたのに、すっかり忘れて一人称をずっと「僕」で話してしまってたんだ。

「フフフ、もういいんだよ? 無理に一人称変えようとしなくても。私、尾長君のそのままの口調が好きだよ。無理に変えてたの、知ってるんだからね」
「え、俺、あっ、ええっ?」

 ば、ばれてたの?

「ま、そうやって強がってるとこもかわいいけどっ」
「なっ……」

 僕は、恥ずかしくなって口を閉じた。こういうとこも、ずっと疑問だった。
 特別夢碧さんが転校してきたから接点という接点もなくて、みんなが羨むようなとこも正直ない。
 それなのに、どうして夢碧さんは僕のことを見ててくれるのか。
 些細なことも知ってくれてるんだろう?
 高嶺の花の夢碧さんが自分を好きなってくれたなんて、世界の七不思議なのだ。

「ねぇ尾長くん、私の本当の姿を見てくれない?」
「えっ?」
「尾長君に、知っていて欲しいの。ダメ、かな?やっぱり怖いよね」

 僕は、少しの間黙ってから、一つ一つの言葉をゆっくりと話した。
 今度こそ、夢碧さんにしっかり伝えられるように。

「正直なことを言うとね、ちょっと…いやかなり、怖いんだ。その、ネルヴァルとか見ちゃってるからさ」
「うん」

 夢碧さんが真剣に僕の目を見つめた。
 夢碧さんが、僕の話をちゃんと聞こうとしてくれているのが伝わってきた。
 夢碧さんだって、本当は僕より以上に怖いかもしれない。だから、ちゃんと向き合わなきゃ。

「宇宙人とかはよくわからないけど、僕は宇宙人とか人間とかそういうんじゃなくて、僕は夢碧さんが好きなんだと思う。だから、びっくりしちゃうかもしれないけど、どんな姿でも僕は夢碧さんが好きだよ」
「尾長君……」 

 夢碧さんは安心したように微笑んだ。

「私ね、初めて地球に来た時に言いつけを破って逃げたことがあったの」
「うん」

 夢碧さんらしいかも、と僕は思った。

「そのときにね、助けてくれた人がいたの」
「助けてくれた、人?」
「そう、それが尾長くん。あなただったの」
「え、僕?」
「あのとき、助けてくれたよね」
「人違いじゃないの?」
「ううん、尾長君だよ」

 夢碧さんの体が光り出した。みるみるうちに、夢碧さんが手のひらで包めるくらいの光の玉になった。
 僕の頭より上の高さで、太陽のように光り輝いている。
 太陽だったら直接見てらんないけど、これは似て非なるものだよ。
 物凄く明るいはずなのに、眩しくない暖かい光なんだ。

「あ……っ」

 僕は、思わず声を出した。
 光が収まって現れたのは、なんと蝶だったのだ。
 それは、僕が生まれて初めて見て、そして二度と出会うことが無かった蝶。
 僕が筑波山に登った時に蜘蛛に捕まってたペパーミント色の蝶、間違いない。

「あの蝶は、夢碧さんだったの?」

 僕は、そっと言った。

「そう、あれが私」

 優しい声が、空気に流れて鼓膜を揺らす。

「綺麗……、綺麗だよ、夢碧さん」

 そうか、僕たちのはじまりは、蝶だったんだ。

「僕たち、あの時からずっと繋がってたんだね」

 僕は、人の姿に戻った夢碧さんと抱き合っていた。
 体から熱が伝わってきて、僕たちは生きてるんだという喜びが体を駆け巡った。

「助けてくれた男の子が、私はずっと忘れられなかった。最初はずっと命の恩人ってだけだったの。それがね、時が経つにつれて憧れから好きに変わっていった。知ってた?転校する前から美沙は尾長君を見に行ってたんだよ」
「美沙が?!」
「うん。美沙はね、ああ見えて結構尾長君のこと信頼してるの」

 美沙、いつも攻撃的だけどなあ。信頼してくれてるのかなぁ。相当不安げな顔をしていたのか、夢碧さんは安心させるように言った。

「大丈夫、本当だって。美沙はちょっと照れ屋さんで素直になれないだけなのよ」

 美沙が、あの美沙がちょっと照れ屋だって?!

「美沙が教えてくれた尾長君の話を聞いて、私はどんどん尾長君が好きになってたんだよ?それに、会ってみてそれが本当だってわかった」
「僕、褒め殺しで溶けちゃいそうなんだけど」

 褒め褒めの魔法に、かけられてるみたいだ。

「いいじゃん、溶けちゃっても」
「え、嫌だよ」
「私が治してあげるよ?」
「それなら、いいかも」
「ほんとに素直だね、尾長君」

 僕たちは、宇佐美先生たちが通ったワープの穴に歩き出した。
 穴の目の前に来て、僕は歩みを止めた。

「夢碧さん、一つ約束して?」
「どんなこと?」
「もうさ、簡単に命かけるのはやめてね。僕、本当に夢碧さんが死んじゃうのかと思って、怖かったんだよ」
「それは、ごめんなさい」
「自分で自分がわかんなくなって、バラバラに砕け切っちゃうと思った。心臓が何個あってもありないよ?」

 ちょっと冗談めいた口調で言った。

「これからはこの僕がいるんだからさ、ちゃんと相談してよね」
「うんそうだよね、約束する」

 ちょっとかっこをつけすぎた気がして、気恥ずかしくなって顔を逸らせた。

「それから、直ぐにパスを申請してね。今度あんなことになったら、僕本当にバラバラになっちゃうや」
「うん、尾長君がバラバラにならないようにちゃんとしなくちゃね」

 僕たちは笑い合った。
 僕たちは、これからどんなこともできる。未来はこれからなんだ。
 手を繋いで、一緒にワープをくぐった。






 外は、日が傾いてきて日暮が鳴いていた。日暮の鳴き声を聞いてると、自然と体が涼しくなるような気がするんだ。
 でも、僕の心はあったかいままだった。
 僕たちは、手をブラブラさせながらワープ探しをした森の中を歩いた。
 
「尾長君、夏休み一緒にどっかにいかない?」
「うん、もちろんだよ」
「やった!楽しみだなぁ」
 夢碧さんの笑顔を見て、僕も嬉しくなった。
「一回と言わずに、何回も行こうよ」
「うん、そうだね。まずは海とかどう?」
「いいね!」

 夢碧さんが望んでたことを、僕が叶えてあげられるんだ。
 絶対に素晴らしい一日にしようと僕は誓った。
 僕たちは、夏休みにどんなことをしたいか、アイデアを出し合った。

「海でどんなことする?」
「貝殻拾いとかどう?」
「貝拾い、いいね。僕、貝が落ちてるとこ沢山知ってんだ」
「ええすごいっ」

 あの大人びた男の子を、僕は急に思い出した。

「あ、そういえばさ、もしかして砂浜の男の子も宇宙人?」
「ううん、あの子はちゃんと人間だよ」
「ああそうなんだね」
「いつもね、同じ場所で砂遊びしてるから声掛けやすかったの」
「なーるほど。ここに来る前にね、その男の子とフランクさんとで砂のお城を作ったんだ」

 三人で協力して作った砂の城は、世界のどんな立派なお城よりも大好きな城だ。

「え、フランクが砂遊び?」

 クスクスと二人で笑う。

「そうそう、でも楽しかったよ。三人で作った、オリジナルのお城なんだ。フランクさんね、大活躍だったんだよ。夢碧さんにも見て欲しいな。そうだ、今からちょっと寄ってって見に行こうよ、きっとまだ残ってるんじゃないかな」
「うん、見たい!」

 僕たちは早く砂浜に行きたくて、自然と走り出した。夢碧さんはいたずらっ子のように笑みを浮かべる。

「ねぇ、尾長君。夏休みに海行くときはさ、二人きり、だよね?」
「ええっ?」

 僕はあっけに取られた後、夢碧さんとおんなじ顔をして言った。

「もちろんさ!」

 ああ、もうすぐ楽しみな夏休みがやってくる。