顔を洗ってテレビを点けて、いつもの占い番組を見る。


 今日もメイクばっちりのテレビキャスターのお姉さんが、にこやかな笑顔で星座占いの結果を紹介していた。


『本日の1位は……獅子座のあなた!ラッキーカラーは紫色!素敵な出会いがあるでしょう。ただし、浮かれ過ぎて転ばないように足元に気を付けましょう』


 その言葉を聞き終え、テレビの電源を消す。部屋の引き出しを開けると、大小様々な色のリボンに埋め尽くされていた。その中から迷いなく紫色のシースルーのリボンを取り出し、通学鞄に結び付けた。


 リビングに下りて朝食を摂っていると、まだ寝ぼけ眼のお母さんが起きてくるのが視界の端に映り込んだ。


「また占い番組見てたの?あんな、何十年も前から放映されているやつ。スマホで見ればいいじゃないスマホで。朝から大きな音を立てられたらゆっくり寝られないわよ」


 寝ぼけていてもいつもの口調を保てるんだからそこまで長く寝る必要はないんじゃないかと反論したくなるが、慌てて口を閉ざす。


 お母さんはいつも昼間から出勤していて、夜遅くまで帰ってこないことが多い。私には早寝早起き朝ごはんが大事だと言うくせに、自分は早起きしないのかと私は常に思っているので、叱られても気に留めないようにしている。反論したら、説教がいつもの2倍に延びるのは目に見えている。


「遅れるから、そろそろ行くね」


 お母さんが何か言いたげな顔をしていたが、無視をして玄関を飛び出した。


 なぜ星座占いなんか信じるって?まぁ、小さい頃からの習慣みたいなものだ。


 小学校に入学したてのときに友達が全くできなかった私は、何気なく目にした星座占い通りに一日を過ごしてみた。すると、ラッキーなことばかり起きたり、クラスメイトが話しかけてくれたりした。明日も信じよう、明日も信じようと日々を重ねていくうちにいつしか星座占いにのめり込んでしまったのだ。


 それから現在に至るまで、ずっと占いを信じ続けている。そうすれば、幸せになれるから。


「おはよう、瑠奈」


 幼馴染の奏哉が通学鞄を肩にかけ、ニカッと笑った。幼馴染で隣に住んでいるというなんともベタな関係だが、そこそこ仲はいい。高校生になっても相変わらず話をしてくれる奏哉には感謝している。普通は人の目を気にして、会うことを躊躇うはずだから。


 柔らかそうな長めの黒髪がふわふわと風になびいているのを見つめながら、今日は髪にワックスを塗っていないんだなと思った。


「ごめん、今日は足元に気をつけて登校するから話しかけてこないで」


「まだ星座占いとか信じてるのかよ?あれ朝にたまたま見かけたけど、物理的に転ぶわけじゃないと思うけど。毎日見るの大変なのに、よく何10年も同じもの毎朝見続けられるよなぁ」


「私の一日の過ごし方を占いで決めているんだから、見ないと大変なことになる」


 直感を信じて突き進む奏哉と、占いを信じて慎重に生きていく私。


「速く歩かないと遅刻するぞ」


「足元に気をつけているから無理。速く歩けない」


「はいはいわかったよ」


 面倒だと口では言いながらも、結局はいつも私のペースに合わせてくれる。それは小さい頃から変わらなくて、奏哉といる時間がいつも心地良いのも変わらない。ずっと隣で過ごしていくうちに、彼に惹かれていく自分がいることもわかっている。それでも、告白はいつまで経っても成功しないままだった。単に玉砕したわけではない。


 もちろん、占いの結果がいい日に何度も告白を試みたことはあった。でも、必ずと言っていいほど失敗してしまうのだ。告白しようと覚悟を決めたときに別の子が彼に告白している場面に遭遇したり、いい雰囲気になったのになぜか犬が吠えかかってきたり。


 そんなこんなで告白は出来ずじまいになってしまっていた。やはり、占いの結果がいい日にしようとしても駄目なんだ。告白日和だとはっきりわかる日にしないと。


 そう決意してから何年も経つけれど、告白日和だとテレビキャスターに告げられた日は一回もない。


 このまま告白できずに私の恋は終わってしまうのかと焦る日もあるけれど、告白はしない。


 だって、占い通りじゃないから。



  *




足元に気をつけて歩いたおかげで、転ばなかった。ラッキーカラーのおかげで、登校時に卒業してから会えていなかった部活の先輩に会うことができた。


「ほら、占いってやっぱりいいでしょ?」


「占いなんか信じて、自分の道決められなくても知らねーぞ」


「そういう時こそ、占いに頼る」


 占いの話ばかりする私に、奏哉は心底呆れたような顔をした。心外だ。今日こそは占いの良さをわかってくれると思ったのに。
 十年間占いを信じてきて、告白以外で占いが外れた試しがない。いつも当たるし、その通りに行動すれば、いいことがある。信じることのどこが悪いのだろう。


「要はさ、瑠奈は占い通りに生きていきたいわけでしょ?」


 高校生になってから初めてできた友達の咲良が昼食の唐揚げを頬張りながら、親指を立てる。


「別にそれでもいいんじゃないの?幸せならさ」


「だよねー。さすが咲良。このカタブツとは違うわー」


「誰がカタブツだ。俺は自分の直感を信じているだけだ」


 自分を信じるからいつも失敗してしまうんだ。


 修学旅行に着ていく服の色を自分で選んで、ダサいって小学校の頃に笑われたくせに。その時にどうしても海鮮丼が食べたいって言い出して、みんなが反対しているのを気にも留めず食べてしまったから、お腹が痛くなったくせに。


 占いに頼らないにしても、少し直感で動きすぎだと思う。周りの意見もきちんと踏まえたうえで行動していれば、あんなことにはならなかったはずだ。迷惑をかけずに済んだだろうし、もっといろいろなところを巡ることができたはずなのに。


「でもさ、占いばっか信じてたらつまんなくね?自我ないじゃん。もっと自分のこと信じてもいいんじゃねーの」


「どの占いを選ぶかは私なんだから、自我あるじゃん」


「そういう問題じゃねーよ」


「どういう問題よ」


 息ぴったりだー、とげらげら笑う咲良を横目に、大きなため息を吐く。


 今日の占いで激推しされたアスパラベーコン巻きを食べながら思う。


 私は自我がないわけではない。奏哉みたいに、自分で考えるのが怖いだけだ。考えれば考えるだけ不安になるからだ。


 この色の服、変じゃないかな。


 今日は何に気をつければいいのだろう。


 奏哉は私のこと、どう思っているんだろう。


 そんな悩みから解放される。


 占い通りに生きれば、幸せになれる。間違えることなく、日々を過ごしていける。


「あ、昼休み終わっちゃう。私次のテスト勉強しなきゃ」


 そそくさと自分の机に戻り始めた咲良を見習い、私も手元の弁当箱を片付ける。


「そんなんじゃ、大切なことに気づけねーぞ…」


「え?」


 ぽつりと呟いた奏哉の言葉の意味を問おうと思ったけれど、慌てて呑み込んだ。


 私もテスト勉強をしないとちょっと危うい。今回のテストが悪い点数だと、また両親に叱られてしまうだろう。


 筆箱からお気に入りの紫色のシャープペンを取り出し、勉強し始めた。



  *




 一昨日のテストの結果は上々だった。ラッキーカラーの紫色のシャープペンを使ったおかげだ。お母さんも珍しく褒めてくれたし、この調子で頑張ろう。


 るんるんと鼻歌を歌いながら、テレビの電源を点ける。


 今日も眩しい笑顔のキャスターが、よく通る声で占いの結果を発表し出した。


『獅子座のあなた!!今日は超ラッキー!!あなたのことが好きな人から告白されると、何かいいことがあるかも!』


「ええっ!!」


 思わず大きな声で叫んでしまい、お母さんのいる寝室のほうに目を向けた。いつもの怒声が聞こえないので、今日は珍しく起きないらしい。


 とりあえず、テレビの向こうのキャスターの言う通り、ラッキーカラーの灰色のリボンを通学鞄に結び付けながら、思案する。


 占い通りに過ごさないと、私のモットーが達成されない。


 ならば、今日中に私のことが好きな人に告白してもらわないと。


 告白とは言っても別に自分の恋心を吐露することだけが、告白というわけではない。


 自分の胸の内にある秘密を人に言うのも、告白のひとつとも言えるはずだ。


 別になんでもいいから、ただ占い通りに過ごしたい私は灰色の物を身に着けまくって、外へ出た。
  



  *




「えっ、大変じゃん」


 早めに家を出たおかげで、いつも一番に教室に来ている咲良に相談をすることができた。自分のことのように心配してくれる親友の気持ちが嬉しい。でも、


「私を好きになった人なんてみたことないんだよね……」


 誰かの秘密なんて、今までに聞いたことがない。


 それに、奏哉に好きになってもらったこともない。


 しょんぼりと肩を落とす私に、咲良は励ますように、私の背中を思い切り叩いた。


「大丈夫だって!なんとかなるなる!」


「でもぉ………」


「だって超ラッキーだったんでしょ?ならいーじゃん」


 ラッキーならもし告白されなくても、不幸なことは起こらないという咲良の考え方に、私は感心した。


 それと同時に、そんな能天気な考え方を自分がするというイメージを持つことができなかった。


 だんだんと人が教室に集まり始めたので、この話は後で続けることになった。


 咲良の言う通り、まだ時間はある。気長に待とう。


 告白されたときのことを想像してニヤける私を見て、隣の席の女子がすごく引いていたと咲良に教えてもらったのは、放課後になったときだった。

 

  *




「あのー、咲良。全く告白されないんですけど……」


 放課後になっても誰からも告白されないなんて、予想外だった。昼休みくらいに誰かから呼び出されるかなと期待していた私が馬鹿だった。そんな急に冴えない私がモテるわけがない。過去の自分を殴り飛ばしてやりたい。


「まー、これからっしょ!」


その咲良のポジティブさが羨ましい。なんなら、少し分けてほしい。


「瑠奈ー、カラオケ行こーぜー」


 遠くの席からノコノコやってきた奏哉を私は軽く睨みつける。


 まだ告白されていないのにカラオケなんかで遊んでいる場合じゃ………


「行こーよ瑠奈。テストも終わったことだし、私も久しぶりに瑠奈と遊びたいからさ。ね?」


「でも、」


「いーから、いーから」


 なんだかいつもより咲良の瞳がギラギラと輝いているように見える。私が奏哉に放課後、遊ぼうと誘われることが嬉しいのだろう。嬉しいは嬉しいのだけれど、この状況で誘われるのは少々酷である。


 そんな私の気持ちは咲良に伝わることなく、カラオケへと連行されてしまった。解せぬ。


 カラオケは平日だからか割と空いていて、待つことなく入ることができた。


 テスト期間中のストレスを晴らすようにシャウトしまくる咲良に失笑しながら、適度に私もタンバリンを振ったり、咲良が歌うロックとは正反対の穏やかな曲を選んで歌う。


 意外にも奏哉は音痴なので、歌うたびに咲良がお腹を抱えて笑っていた。笑っている本人は歌が上手で、奏哉が口をとがらせる様子に私まで笑みが止まらなかった。


 そんなこんなで3時間も歌っていた。


「あー、疲れた。流石に3時間ぶっ通しで歌うのはきついなぁ……」


「お前シャウトしすぎてたからだろ」


「そういう奏哉こそ、声枯れてるよ?」


「カラオケ来たらそんなもんだろ」


「さっきと言ってること違う………」


 やり取りを聞きながら私はふたりの仲のよさに違和感を覚えた。


「なんでそんなに仲いいの?」


 何気なく口にした言葉に、ふたりは意味ありげに顔を見合わせた。


 私がきっかけで仲良くなったから、今までふたりだけで話しているところなんてほとんど見たことがなかったのに。


「なに?もしかしてなにかあったんじゃないの?テストの勉強ふたりでしてたとか、メールのやりとりがすごく楽しいとか、なんかあったのかなーと思っちゃって」


 落ちた沈黙に居た堪れなくて、思わずべらべらと冗長な話をしてしまった。


「特に、なんもないよ?」


 不意に目を逸らしたのを私は見逃さなかった。


「ふたりともわかりやすいね。しかも同じ方向に目逸らしてるし」


 「よし、会計誰出すか決めよ。時間ないし」


 10時頃から塾があると咲良が言っていたのを忘れていた。時間がないことを気にしているんだとは思うが、明らかに今の話題を変えたくて、言うタイミングを見計らったに違いないと疑ってしまう。


「いくよー、最初はグー、ジャーンケン、ポン」


 咲良はチョキ。奏哉はパー。私もチョキ。


「はい今日は奏哉の奢りね〜!ご馳走様でした〜」


「ご馳走様」


 咲良とハイタッチをして喜びを分かち合い、奏哉が会計するのを見届けた後、店の前で咲良と別れた。


「ふたりともまたね〜!」


「また明日ー!塾頑張ってね」


「ありがとうー!」


 夜遅いというのに大きな声で、しかも小学生のように腕をぶんぶんと振りながら見送ってくれる彼女に注意しながらも、微笑ましく思ってしまう。


 「咲良ってやっぱりすごいよね。人懐っこいし、分け隔てなく人に接するし」


 奏哉とは家が隣同士なので、自然とふたりで帰る流れになる。


 彼はさっき私がした思いがけない質問のことで気まずいと思っているのか、こちらを見ようともしない。
 「俺も朝の占い、見たんだけどさ」


 しばらく歩いてからふいに零した奏哉の唐突な言葉を黙って聞いていると、彼は面白そうにニヤリと笑った。


「獅子座、告白されたら超ラッキー、だっけ。告白された?」


「されてない……」


 そうだった。カラオケで浮かれ過ぎて占いのことが頭から抜けていた。


 明日から不幸になったらどうしよう。今まで散々占いを信じてきたのに、こんな形で占い通りにいかないなんてあんまりだ。


 それから奏哉とは会話らしい会話もなく、家の前に着いてしまった。彼と話したいことがまだたくさんあるのに。


 奏哉のひょろりと高い背を見つめる。


 小学校の頃は私よりも身長が低かったのに、中学生あたりから追い越されてしまった。高校生になった今は、その差は10センチ以上もある。


 全然運動できなかったくせに、バスケ部に入って運動が得意になって。


 高校生になってから髪型を意識し始めたのか、ワックスなんか塗って格好ばかりつけちゃって。


 本当は、本当は。


 ずっと、奏哉に告白したかった。それを私自身が望んでいた。


 でもそんなことは、ありえなかった。


 幼馴染という関係が崩れ、気まずくなるくらいなら私から告白はしない。


 そうやって占いという予防線を張って、自分を守っていた。傷つかないように、失敗しないように。


 「じゃあ、また明日な」


 でも、ここで諦めてしまうの?


 告白されたらラッキーというだけで、告白したらラッキーになれるわけではない。でも、明日から占い通りの生活に戻って、また自分が傷つかないように守り続けるの?


 占いばかり信じて、大切な人に想いを伝えられないなんて……


「待って」


 その手を掴んで引き寄せる。奏哉が大きな目を私に向ける。その瞳には私がちゃんと映っている。


 占いばかりに頼ってきた。占いだけが、私の全てだった。だけど。


 大切な人に好きだと伝えることを決めるのは、占いじゃない。


 自分の意志で、決めることなんだ。当たり前の事だけど、私はその事に気づけていなかった。



「私、奏哉が好き」



 溢れた言葉はとめどなく流れて、奏哉の心に届いた。


  何も言わない奏哉に不安になって、言葉を積み重ねる。


「小さいときからずっと、好きだった。もう占いなんかで自分の気持ちを無視し続けるのは限界。私と、付き合ってください」


 無言で私を見つめる彼の手を私は離した。


 これで、よかったんだ。想いはちゃんと伝えることができた。


 零れてきた涙を拭いながら、背を向けて走り出そうとした。


 突然、私の首に腕を回され、ぎゅっと抱きしめられる。


「俺から言えなくてごめん。俺もずっと瑠奈のことが好きだったんだ」


 耳元で囁かれた言葉が信じられなくて、思わず「嘘」と呟いてしまう。


「占いばっかり見て、俺の気持ちになんて気づいてなかっただろ。瑠奈は占いしか見ていないから、俺に勝ち目なんて、ないと思ってた……」


 私のせいだったんだ。私が占いばかりに気を取られていたから、大切な人の気持ちに気がつけなかった。


「で、でも。何であんなに咲良と仲良さそうだったの?」


 せっかく想いが伝わったというのに、私はまた奏哉の気持ちを試すようなことを言ってしまった。


「瑠奈のことが好きで、どう気持ちを伝えればいいかずっと相談に乗ってもらってたんだ。ごめんな、勘違いさせちゃって」


 「疑っちゃって、ごめん。それに、今まで気がつかなくてごめ……」


「謝らなくていい。俺こそごめん。俺がちゃんと、言えばよかったんだ」


 大きく息を吸って、彼は笑った。


「俺も、瑠奈が好きだ。俺と、付き合ってください」


「はい……」


 占いだけが、私の全てだった。でもそれは、ただの幻想だった。占いで行動を縛り付け、自分の可能性を縮めていたんだ。


 これからは、自分の意志で決めていこう。


 なにか失敗することがあるかもしれない。傷つくことがあるかもしれない。


 それでも私には、奏哉がいてくれるから。



  *
 



 10数年が経った今、もう占いは見ていない。


 けれど久しぶりに、見たくなってしまった。


『獅子座のあなた!今日はスペシャルラッキーデーです!ラッキーカラーは純白!最高の日になるでしょう』


 思わず大きな声で笑ってしまった。今日ばかりは占いを信じてもいいのかもしれない。占いってやっぱり、当たるから。


「新婦様。そろそろ式の時間です」


「はい、すぐに行きます」


 係の人が私を呼びに来てくれた。そろそろ時間だ。


 私は純白のウエディングドレスの裾を翻しながら、奏哉のもとへと急ぐ。


 あの日から私は、占いなんか見なくても幸せになることができた。


 その幸せは全て、奏哉がくれたものだ。


 幸せだと胸を張って言える日が来るなんて、思いもしなかった。


 この大きな扉を開ければ、奏哉が満面の笑みで待っているだろう。あの頃と全く変わらない、私の大好きな笑顔で。


 扉がゆっくりと開く。式場の様子が見え始める。


 純白のタキシードを身に纏った私の愛する人が、手を差し伸べてくれている。


 自分の人生の中で最高の笑顔で、私は笑った。


 これが私の信じた占いです。


 奏哉という最高のFortuneteller。