* * *
「いっちゃったね……」
茜が少し寂しそうな顔で、もう今は誰の姿もなくなった空間を見つめた。
「……ねえ、カズ爺。あいつ、ちゃんと成仏できたのかな」
いつも幽霊は白い光に包まれていなくなるのに、柿本信次はそうじゃなかった。透明になって、空気に溶けるように消えていった。
「……さあな。ワシも四十九日を過ぎてから成仏した霊がどうなるかは知らんのじゃ。ワシのようにあの世にいくのか、それともそのまま消えてしまうのか……。わからんが、それでもワシは、あの坊主は成仏したんじゃと思うぞ」
「何で? どうして、そう思うの」
その問いかけに、カズ爺はくしゃりと笑った。
「霊の中には、負の感情に呑まれて悪霊になったり、絶望のあまり自ら消滅してしまう者もおる。じゃがな、自分の死を受け入れて笑える奴は、きっと成仏できる。ワシはそう思うんじゃ」
「そういう、ものなのかな」
柿本信次の最期を思い出す。目元に涙は光っていたけれど、彼は確かに笑っていた。
「──難しいな」
「……レイ? 何か言った?」
茜の不思議そうな顔がこちらを見る。
「いや、何でもない」
私は置いてきぼりになっていた小久保一樹の方を向いた。
「……もう、いったのか」
「うん。だからもう帰っていいよ」
「……俺は」
何かを噛み締めるように、小久保一樹が声を漏らす。
「俺は、あの人の分まで生きるなんて到底言えない。あの人の人生は、あの人しか生きることはできないから。でも俺、精一杯生きるよ。彼に恥じないような、そんな生き方をするって、そう決めた」
真剣な表情でそう宣言した小久保一樹が、なぜだか少しだけ眩しく思えて目を逸らす。
「じゃ、帰るかな。あ、協力してくれてありがとね、カズ爺……と、あんたも」
一応礼を言うと、カズ爺は「いいんじゃよ」と笑って姿を消した。恐らく、小久保一樹の中に戻ったのだろう。しかし一方、小久保一樹の方は目を大きく見開いていた。
……私は礼も言わないような失礼な奴だと思われていたのか。
苛立ってそのまま帰ろうとすると、「ちょっと待って」と引き留められた。思わず小久保一樹を睨み付ける。
「何なの」
「……俺、怜香が頼ってくれて嬉しかったんだよ。お前、いつも俺のこと避けるからさ、もう話してもらえないのかと思ってたんだ」
「別に。今回はたまたま未練を解消するのにあんたが都合良かっただけだし。もう今後話しかけることはないだろうし」
冷たく突き放して、私は奴に背を向けた。これ以上言うことなどない。あとは帰るだけだ。
「──それでもいいんだ。都合の良い時だけでも、便利屋みたいな扱いでも良い。俺にできることがあれば何でもする。だから、いつでも頼ってくれ。俺はいつでもお前の味方だから。それだけ、伝えておく!」
後ろから小久保一樹の声が追いかけてくる。「バッカじゃないの」、そう口の中で呟いてから足早にその場を立ち去る。
「……いいの? レイ」
心配そうに茜が私の顔を覗き込む。
「何が?」
茜の言いたいことがわからないふりをして、私はやり過ごす。
……わからないのは、茜の言いたいことじゃない。
死ぬことを受け入れて笑えるのも、精一杯生きようとするのも、誰かの力になりたいと思うことも。
──生きている人間の感情も、死んだ人間の感情も、私が理解するには、少し難しすぎるようだった。
