言えなかった“ごめんね”と、言いたくなかった“さよなら”を


*      *       *

「……美紗?」
 はっとしたように、彼はその瞳を見開いた。
だが、それもほんの一瞬の出来事。彼はすぐに視線を彷徨わせ、不思議そうな顔になった。
「どうしたんですか」
「いや、今一瞬、美紗が見えた気がして。はは、そんなわけないのにね。ごめんごめん」
 でも、と彼は付け足した。優しさと愛しさが滲んだ瞳で、さっきまで彼女がいた方を見つめて。
「凄く、いい笑顔だった。ただの見間違いだろうけど、あんな可愛い美紗の笑顔、初めて見たよ」
 きっとまだここに彼女がいたら、顔を真っ赤にしていただろう言葉を告げて、彼は微笑んだ。
「……可愛い、だってさ」
 彼には聞こえないようにそっと呟いた。
 格好いい彼女じゃなくても、きっと彼は愛してくれただろうに。
 大切なものは、いつだって失ってから気付くと言う。
 だったら、死んでからでしか、人は大切なものに気付けないのだろうか。
「それじゃあ、ありがとうございました。美紗さんにはイヤリングの場所はわからなかったって伝えておきますね。あと、親が近くまで迎えに来てくれたらしいので、見送りは気持ちだけで結構です」
これ以上面倒に巻き込まれて堪るかと踵を返す。
「あ、じゃあね! 美紗によろしく!」
 ──もう、彼女は、この世界(ここ)にいないのに。
 一瞬だけ立ち止まる。でも、それは本当に一瞬。
「行くよ、茜」
 心配そうな顔で見守っていた茜にそっと声をかけ、月明かりの下、私は歩き出した。
 見えない人間(彼ら)は、見えない世界で生きていく。
 見える世界で生きる、化け物(私)化け物()とは違って。
 ──きっとそれは、いつまでも交わらない世界なのだ。