昼間の月を見つけて

 数時間、同じ歌を歌い続けたのに、少しも飽きなかった。歌詞に自分の気持ちを重ね、どんな風に歌うかを考えて工夫していくのは楽しい。それにルナと一緒に歌うのが気持ち良くて溺れてしまいそうだ。

「そろそろいい時間ね」

 ルナが演奏をストップする。腕時計に目を落とすと、もう八時前だった。仕事の時と違って、プライベートな時間はあっという間に過ぎてしまう。

「あたし、今からバイトだから」
「今から?」

「ここの一階ショーステージを売りにしたイタリアンの居酒屋なの。そこで歌とホール担当してるのよ。じゃあね」

 未成年がこんな遅い時間に接客業なんていいのだろうか。

「明日は七時にここに来て。一分でも遅れたら、あの動画ほんとに流すから」

 振り返りざま恐ろしい宣言をすると、ルナはさっさと行ってしまった。

 なんというか、アグレッシブだ。
 慌ただしく去っていく細い背中を、私は呆然と見送った。
 ルナを見ていると、青春を無駄に終わらせてしまったという、どうにもならない焦燥が胸を焼く。ホームレスになったって構うものかと、思い切って好きに突き進んでいたら、世界はもっと色鮮やかだっただろうか。

 本当に今更だ。
 いくら願ったって時間は戻らない。失ったモノの重さを思い知らされるだけだ。

 苦い気持ちを抱きつつ、受付の奏夜に会釈して通り過ぎる。相変わらずイヤホンをつけたままの奏夜はどこか拒絶的で、でもこちらに気づくとちゃんと礼を返してくれた。

「ありがとう」

 そのまま立ち去ろうとしたら小さく言われた。
 本当は盗撮の文句を言いたいくらいだったが、あまりに真っすぐな瞳に苦情も引っ込む。それになんだかんだでちょっと楽しかった。

「こちらこそ。でも私じゃ一次も通らないかもよ」

「どうして?」
 思わず口走ると、思った以上に真剣な眼差しが返ってきた。それにしても綺麗な顔だ。年下とはいえこんな風に見つめられると、さすがに少しドキドキしてしまう。

「えっと、もう二十五歳だし」
「年って関係ある?」

 キョトンとした顔。心の底から不思議そうだ。

「歌手を目指すにはもう遅いかな……って」
「夢に年齢は関係ないよ。AやSって歌手の人、知らない?」
「ごめん、知らない」

しどろもどろの私の手を、奏夜がいきなりがばっと握った。

「ヒロなら大丈夫」
「ありが、とう」

 クールな子だと思ったが変わった子だったのか。いきなりのあだ名呼びと全面肯定に度肝を抜かれつつ頷く。なんだか頬が熱くて、今自分がどんな顔をしているのか知るのが怖かった。

 それにしても二人の親は随分と放任主義らしい。つくづく自分とは真逆の人生を歩いているなと、複雑な思いでシークレットベースを後にする。
 
 なんだかいつもより足が軽いのは、久しぶりに思い切り歌ったからだろうか。
 私って本当に歌が好きなんだ。
 響く音に身を任せ、世界に溶けていくような感触が心地良い。大の大人が往来の真ん中で気ままに歌っていたら怪しいかもしれないが、もし歌が日常の一部、そんな生き方ができたらと思う。

「今からでもなれるのかな」

 見上げると、やけに明るい月が出ていた。なんだか夢を見ているようだ。