「ということで、改めてよろしくね、ヒロ」
「……よろしく」
悪魔よろしく綺麗に微笑んだルナに、私は気の無い返事をする。
どうしてこんなことになったのだろう。二十五歳にもなって素面で歌手デビューを目指すなんて、もはや罰ゲームだ。
「そのやる気の無い感じやめて。一度引き受けたら、本気で取り組むのが礼儀でしょ」
「そう言うけど、無謀だって。恥かくだけだよ」
「そんな顔しないの。私たちに選ばれたんだから胸張りなさい」
「すごい自信だね」
ドヤ顔をするルナに、鬼メンタルかと内心突っ込む。
「当然でしょ。ずっと努力してきたんだもの」
「そんなに自信あるなら、一人で目指せばいいのに」
「たまたま一番近いのがこのデュエットコンテストだっただけ。それにこのコンテスト、最終審査はオリジナルの曲で挑んでもOKなの。そうしたらソウも一緒にデビューできるから」
「ごめん、話しが見えない」
「ソウは作曲家を目指してるの。私たち、一緒にデビューしようって約束したんだから。ソウの曲はすごいのよ。もう、ぶっ飛ぶ感じ。歌ったら分かるわ」
うっとりした目でルナが言う。
「ずいぶん、仲が良いんだね」
「うふふ。私とソウは運命で繋がってるの」
ずいぶん可愛いことを言うものだ。聞いているこっちが恥ずかしくなる。
「分かった、私なんかでよければ協力するよ」
「そういう言い方よくないよ。どうして自分に『なんか』なんて言うの?」
「ご、ごめん」
怒ったような口調に、訳も分からず謝る。
「もっと自信持ちなさい。無いなら謙遜して予防線なんて張ってないでその分、努力する。いいわね?」
やけに大人びた口調だった。夢見がちなのだか、しっかりしているのか分からない子だ。でもこんな風に夢に全力投球できるなんて羨ましい。生まれた時代の差なのだろうか。
「じゃあ早速、歌うわよ。一次審査用に録音するから。なに歌いたい?」
「はやっ。早速にもほどがあるんだけど」
「時間が無いの! ほら、早く言って」
「じゃあ、アマネの歌。なんでもいいから」
「OK」
なんだかいいように振り回されている。
釈然としない私にマイクを押しつけると、ルナが壁のギターを手に取ってスタンドマイクの前にスタンバイする。細い指からは考えられない、しっかりした旋律。アマネの『望月』が流れ出す。
月に見守られて、広い宇宙を逞しく生きていく。世界は残酷で、でもアナタが思うよりもずっと美しい。そう語り掛けてくれるナンバーだ。
アマネの歌の中でもかなり好きな歌、おまけに今の気分にぴったりだった。
音に乗せられるようにして口を開く。ややハスキーな私の声に、ルナの高く澄んだ声が重なる。
うわっ、ぴったり。
タインミングも音程もばっちり重なっている。何より声質だ。深くしっとりと響く私の声に、軽やかなルナの声がピッタリと調和している。
「よし、いい感じね。じゃあこれで一次審査は送っとくから」
「えっ、一発勝負? 普通は何回か録音して一番上手に……」
「何言ってるの? プロになったらいつだって一発勝負よ。じゃあ二次審査の練習ね。とりあえず課題曲ぜんぶ歌うから聞いて。お姉さんならすぐ覚えられると思う」
早口に言うや、ルナが歌いだす。
ぶわっと全身鳥肌が立った。聞いている人を圧倒する声。それに、柔らかく微笑んだり切なげに眉を寄せたりして歌うルナは、酷く魅力的だった。生き生きとした感情の塊が、心の扉を直接叩きに来ているみたいだ。
「すごい。なんかぶわっと来た!」
あっという間に四曲が終わり、私はありったけの拍手を送った。
「ありがと」
ルナがはにかんだ顔で笑う。
「歌って言葉なんかよりずっと、人の気持ちを動かすことができるの。ヒロは私と歌いたくなった。そうでしょ」
「うん……って、ちょっと待って。やっぱり無理。自信ない。もっと上手い人に頼んだほうがいい。私じゃ足引っ張るだけだよ」
「ヒロは筋金入りだね。何がそんなに不安なわけ?」
ルナが呆れた顔で肩をすくめる。
「何がって、とにかく全部だよ」
「フワフワしすぎ。もう少し具体的に言いなよ。やる前から不安なとこばっかり探して無理だって決めつけてたら、何もできないじゃん」
「二次まで二週間だよ。心の準備ができないって。一次で落ちるかもだし」
「やる前から失敗すること考えないの。それに、心の準備に二週間もかけてたら始まる前に人生終わるわよ。石橋を叩いて渡るのもいいけど、叩きすぎて壊してたら意味ないから」
確かにその通りだ。ギャルっぽい見た目のわりには穿ったことを言う。
「はい、もうさっきの録音送っちゃった。ほら名前と生年月日、さっさと教えて」
剣幕に押されて答えた内容を、ルナがすいすい入力
していく。
「完了、今度こそよろしくね」
ぐうの音も出ない私に、ルナはにっこり笑った。
「……よろしくお願いします」
抵抗するだけ無駄だ。私は腹をくくることにした。
「じゃあ早速、練習しよ。どの曲がいい?」
「三番目の曲かな」
恋に胸を躍らせる元気一杯の女の子の心境を歌った一番目の曲は論外。
負けるな頑張れと聞こえてきそうな二番目の曲も違う。
四番目の曲は迫力ある曲調がいい感じだが、怨念じみた恋慕には感情移入できない。
その点、三番目の曲は少し暗いが、美しい旋律と遠い過去を想う切なさが心に響いた。
「ヒロならそれを選ぶと思った」
ルナがにやりと口の端を吊り上げる。
どういう意味だと思ったが、相手にしない。同い年だったら絶対に関われないような相手と、年下だからという気軽さで付き合えるのはオバサンの強みかもしれない。
「デモテープ流すから音程と歌い回し覚えてね。必要なら楽譜もおこしてあるけど」
「見せてもらえると有難いかな」
「どうぞ」
「ありがとう。わぁ、ほんとにちゃんと楽譜だ」
「どういう意味よ」
感嘆した私を、ルナがじろりと睨む。
「ごめん。曲を聴いただけで楽譜が書けるなんてすごいと思って」
「楽器やってる子は普通にできると思うけど」
「ううん。すごいよ。誰にでもできることじゃないって」
「まぁその分、勉強は全くだけど。毎回赤点だし」
ルナがちょっとだけ赤くなる。もしかして照れているのだろうか。
「それって親や先生に叱られない?」
「別に怒られてもいいの。どうせ数式や歴史なんて覚えてもなんの役にも立たないし」
「それもそうなんだけど」
そんな風に割り切れるルナが眩しかった。明確な目的もないのに将来、良い会社に就職するためと机にかじりついて、挙句なんの取柄もない不満だらけの大人になった自分が馬鹿みたいだ。
「じゃあ、曲流すから」
「うん、お願い」
楽譜を見て拍子や音程を確認しつつ伴奏に耳を傾ける。言葉の一つ一つをゆっくりと噛みしる余裕はなかったが、なんとかメロディを辿ることができた。
「へぇ、もう歌えるの? 音程も完ぺき。すごいじゃん」
「昔、ピアノ習ってたから楽譜は読めるんだ」
「いいな。いつから習ってたの」
「幼稚園の時から。そんなに羨ましくもないでしょ」
大袈裟なくらい目を輝かせたルナに、私は首を傾げた。
「羨ましいよ。うちビンボーで習い事とか無理だし」
「あ、そうなんだ」
さらりと衝撃発言。大人の癖になんと返したらいいか分からず曖昧な返答をする。
「でも、どうしてピアノなの? どうせなら歌を習えばよかったのに」
「ほんと、なんでだろうね」
ピアノを弾くと脳の発達にいい影響があるからと母に言われ、半ば強引に習わされただけだ。そう言ったらルナはきっと呆れるだろう。私は母親に逆らえないダメな子だった。
「なにその顏?」
「ううん、別に。私、オーディション頑張るから」
遅ればせながらやってきた反抗期だ。しばらくの間、子供の頃に見損ねた夢を見るのも悪くないかもしれない。
「やだ、遠い顔して。オバさんみたい」
「オバさんなのよ。もう」
他人事みたいに笑っているルナも、いつかはこうやって後ろばかり振り返るオバさんになるのだろう。人生って本当に残酷だ。私は思わず苦笑いした。
「……よろしく」
悪魔よろしく綺麗に微笑んだルナに、私は気の無い返事をする。
どうしてこんなことになったのだろう。二十五歳にもなって素面で歌手デビューを目指すなんて、もはや罰ゲームだ。
「そのやる気の無い感じやめて。一度引き受けたら、本気で取り組むのが礼儀でしょ」
「そう言うけど、無謀だって。恥かくだけだよ」
「そんな顔しないの。私たちに選ばれたんだから胸張りなさい」
「すごい自信だね」
ドヤ顔をするルナに、鬼メンタルかと内心突っ込む。
「当然でしょ。ずっと努力してきたんだもの」
「そんなに自信あるなら、一人で目指せばいいのに」
「たまたま一番近いのがこのデュエットコンテストだっただけ。それにこのコンテスト、最終審査はオリジナルの曲で挑んでもOKなの。そうしたらソウも一緒にデビューできるから」
「ごめん、話しが見えない」
「ソウは作曲家を目指してるの。私たち、一緒にデビューしようって約束したんだから。ソウの曲はすごいのよ。もう、ぶっ飛ぶ感じ。歌ったら分かるわ」
うっとりした目でルナが言う。
「ずいぶん、仲が良いんだね」
「うふふ。私とソウは運命で繋がってるの」
ずいぶん可愛いことを言うものだ。聞いているこっちが恥ずかしくなる。
「分かった、私なんかでよければ協力するよ」
「そういう言い方よくないよ。どうして自分に『なんか』なんて言うの?」
「ご、ごめん」
怒ったような口調に、訳も分からず謝る。
「もっと自信持ちなさい。無いなら謙遜して予防線なんて張ってないでその分、努力する。いいわね?」
やけに大人びた口調だった。夢見がちなのだか、しっかりしているのか分からない子だ。でもこんな風に夢に全力投球できるなんて羨ましい。生まれた時代の差なのだろうか。
「じゃあ早速、歌うわよ。一次審査用に録音するから。なに歌いたい?」
「はやっ。早速にもほどがあるんだけど」
「時間が無いの! ほら、早く言って」
「じゃあ、アマネの歌。なんでもいいから」
「OK」
なんだかいいように振り回されている。
釈然としない私にマイクを押しつけると、ルナが壁のギターを手に取ってスタンドマイクの前にスタンバイする。細い指からは考えられない、しっかりした旋律。アマネの『望月』が流れ出す。
月に見守られて、広い宇宙を逞しく生きていく。世界は残酷で、でもアナタが思うよりもずっと美しい。そう語り掛けてくれるナンバーだ。
アマネの歌の中でもかなり好きな歌、おまけに今の気分にぴったりだった。
音に乗せられるようにして口を開く。ややハスキーな私の声に、ルナの高く澄んだ声が重なる。
うわっ、ぴったり。
タインミングも音程もばっちり重なっている。何より声質だ。深くしっとりと響く私の声に、軽やかなルナの声がピッタリと調和している。
「よし、いい感じね。じゃあこれで一次審査は送っとくから」
「えっ、一発勝負? 普通は何回か録音して一番上手に……」
「何言ってるの? プロになったらいつだって一発勝負よ。じゃあ二次審査の練習ね。とりあえず課題曲ぜんぶ歌うから聞いて。お姉さんならすぐ覚えられると思う」
早口に言うや、ルナが歌いだす。
ぶわっと全身鳥肌が立った。聞いている人を圧倒する声。それに、柔らかく微笑んだり切なげに眉を寄せたりして歌うルナは、酷く魅力的だった。生き生きとした感情の塊が、心の扉を直接叩きに来ているみたいだ。
「すごい。なんかぶわっと来た!」
あっという間に四曲が終わり、私はありったけの拍手を送った。
「ありがと」
ルナがはにかんだ顔で笑う。
「歌って言葉なんかよりずっと、人の気持ちを動かすことができるの。ヒロは私と歌いたくなった。そうでしょ」
「うん……って、ちょっと待って。やっぱり無理。自信ない。もっと上手い人に頼んだほうがいい。私じゃ足引っ張るだけだよ」
「ヒロは筋金入りだね。何がそんなに不安なわけ?」
ルナが呆れた顔で肩をすくめる。
「何がって、とにかく全部だよ」
「フワフワしすぎ。もう少し具体的に言いなよ。やる前から不安なとこばっかり探して無理だって決めつけてたら、何もできないじゃん」
「二次まで二週間だよ。心の準備ができないって。一次で落ちるかもだし」
「やる前から失敗すること考えないの。それに、心の準備に二週間もかけてたら始まる前に人生終わるわよ。石橋を叩いて渡るのもいいけど、叩きすぎて壊してたら意味ないから」
確かにその通りだ。ギャルっぽい見た目のわりには穿ったことを言う。
「はい、もうさっきの録音送っちゃった。ほら名前と生年月日、さっさと教えて」
剣幕に押されて答えた内容を、ルナがすいすい入力
していく。
「完了、今度こそよろしくね」
ぐうの音も出ない私に、ルナはにっこり笑った。
「……よろしくお願いします」
抵抗するだけ無駄だ。私は腹をくくることにした。
「じゃあ早速、練習しよ。どの曲がいい?」
「三番目の曲かな」
恋に胸を躍らせる元気一杯の女の子の心境を歌った一番目の曲は論外。
負けるな頑張れと聞こえてきそうな二番目の曲も違う。
四番目の曲は迫力ある曲調がいい感じだが、怨念じみた恋慕には感情移入できない。
その点、三番目の曲は少し暗いが、美しい旋律と遠い過去を想う切なさが心に響いた。
「ヒロならそれを選ぶと思った」
ルナがにやりと口の端を吊り上げる。
どういう意味だと思ったが、相手にしない。同い年だったら絶対に関われないような相手と、年下だからという気軽さで付き合えるのはオバサンの強みかもしれない。
「デモテープ流すから音程と歌い回し覚えてね。必要なら楽譜もおこしてあるけど」
「見せてもらえると有難いかな」
「どうぞ」
「ありがとう。わぁ、ほんとにちゃんと楽譜だ」
「どういう意味よ」
感嘆した私を、ルナがじろりと睨む。
「ごめん。曲を聴いただけで楽譜が書けるなんてすごいと思って」
「楽器やってる子は普通にできると思うけど」
「ううん。すごいよ。誰にでもできることじゃないって」
「まぁその分、勉強は全くだけど。毎回赤点だし」
ルナがちょっとだけ赤くなる。もしかして照れているのだろうか。
「それって親や先生に叱られない?」
「別に怒られてもいいの。どうせ数式や歴史なんて覚えてもなんの役にも立たないし」
「それもそうなんだけど」
そんな風に割り切れるルナが眩しかった。明確な目的もないのに将来、良い会社に就職するためと机にかじりついて、挙句なんの取柄もない不満だらけの大人になった自分が馬鹿みたいだ。
「じゃあ、曲流すから」
「うん、お願い」
楽譜を見て拍子や音程を確認しつつ伴奏に耳を傾ける。言葉の一つ一つをゆっくりと噛みしる余裕はなかったが、なんとかメロディを辿ることができた。
「へぇ、もう歌えるの? 音程も完ぺき。すごいじゃん」
「昔、ピアノ習ってたから楽譜は読めるんだ」
「いいな。いつから習ってたの」
「幼稚園の時から。そんなに羨ましくもないでしょ」
大袈裟なくらい目を輝かせたルナに、私は首を傾げた。
「羨ましいよ。うちビンボーで習い事とか無理だし」
「あ、そうなんだ」
さらりと衝撃発言。大人の癖になんと返したらいいか分からず曖昧な返答をする。
「でも、どうしてピアノなの? どうせなら歌を習えばよかったのに」
「ほんと、なんでだろうね」
ピアノを弾くと脳の発達にいい影響があるからと母に言われ、半ば強引に習わされただけだ。そう言ったらルナはきっと呆れるだろう。私は母親に逆らえないダメな子だった。
「なにその顏?」
「ううん、別に。私、オーディション頑張るから」
遅ればせながらやってきた反抗期だ。しばらくの間、子供の頃に見損ねた夢を見るのも悪くないかもしれない。
「やだ、遠い顔して。オバさんみたい」
「オバさんなのよ。もう」
他人事みたいに笑っているルナも、いつかはこうやって後ろばかり振り返るオバさんになるのだろう。人生って本当に残酷だ。私は思わず苦笑いした。



