昼間の月を見つけて

「次は、ヒロコ&ルナの『昼間の月』」
 とうとう出番がやってきた。名前を呼ばれて舞台に進む。脚が震えるのは、やっぱり緊張だろうか。心を落ち着けようと、大勢の顔の向こうに茉理の姿を探した。特別目立つわけでもないが、大きく両手を振ってこちらを見ている茉理の姿は、すぐに見つけることが出来た。その隣には寄り添うように、体の大きな優しい顔をした男の人が立っている。
 あれが茉理の彼氏か。
 跳ねあがっていた鼓動が一つ、静まった。
 茉理以外の知っている顔、宮田がこちらを見つめている。自分が舞台に立っているみたいに緊張した顏だ。目が合ったような気がして微笑むと、小さく手を振ってくれた。
 なんだか力を貰った気がした。
 そして、奏夜。顔を上げているから前髪に隠れた涼しげな瞳が良く見える。やっぱり奏夜も緊張しているようで、でも口元だけが薄らと笑っていた。
 大丈夫、きっと素敵に歌いこなすから。
 小さく頷くと、奏夜がフワリと目を細めた。

 残念ながら母の姿は無かった。今ごろ家でドラマの再放送かバラエティでも見ているのだろうか。来て欲しかったが、くよくよしても仕方がない。
 今日の様子はライブで放送されている。録画予約もしてきた。後でDVDにやいて渡せばいい。見てくれるかどうかは分からない。私にできるのはディスクを渡すところまでだ。母には母の意思がある。
 ルナの母親はどうだろうか。ちらりと隣にたつ彼女に目をやると、そんなことは気にもしていない顔をしていた。
 そう、今は歌手としてステージに立っている。まだアマチュアだろうと、客が誰であろうと、最高の歌を届けるのが自分たちの仕事なのだ。

 イントロが流れた。演奏してくれるのはプロのミュージシャンだ。隣のルナが「いくよ」とばかりに微笑みかけてくる。
 眩しいくらいのスポットライトが目を焼いた。今からこの白い光に照らされた舞台に立ち、人々を魅了するのだ。
 心臓が静かに高鳴り始める。さっきまでの締めつけるような動悸とは違う。期待に胸が膨らんでいく。
 歌いながら今までの楽しい、あるいは哀しい思い出が走馬灯のように頭を駆け巡る。数か月前、奏夜に屋上で声をかけられたあの日には、まさか自分がこんな所まで来るなんて考えもしなかった。
 視界の端でルナの金髪と淡いピンクゴールドのスカートが揺れる。ひらひらとまるで金魚の尾のよう。光を反射する華奢なデザインのアクセサリーも、床を高らかに鳴らすハイヒールも翻る衣装も、全てが音楽を奏でている。
 歌うことに専念したいから、あえて振付は考えなかった。でも声だけでなく全身で音を奏でたい、そんな思いが体を勝手に動かす。
 今、私たちの歌が大勢の観客を揺らしている。不思議な興奮。もっと聴いて欲しい、もっと感じて欲しい。そんな思いに駆り立てられ、全身全霊で歌う。
 まるで楽器にでもなったみたいだ。あるいは呪具。音楽という魔術を紡ぎだす、大いなる器。ルナという一見全く異なる、しかし根柢の所では通じ合ったもう一つの楽器と共鳴し合い、音楽をつま弾いていく。

 歌いながら頭の中に、憧れてやまない風景が浮かび上がる。花の香りを含んだ風が通り過ぎていくのを肌で、嗅覚で感じた気がした。
 静かに澄んだ水面に輪が広がっていくように、ハーモニーが人々に伝わっていく。白い光が溢れ、目の前の景色がちかちかと瞬く。眩暈のするような恍惚の中、光の向こうに何かが待っている気がした。

 新しい世界、新しい命。
 そんな言葉が頭の中を過る。歌を通して、私は確かにそれを掴もうとしていた。
 気がつくと拍手が聞こえた。会場を揺らす波のようだ。頭がまだふらついている。隣ではルナが肩で息をして呆然と客席を見ている。その横顔は美しく、神々しくすら見えた。

「ありがとうございました。では、次はリョウ&リリカのお二人です」

 司会者に促されたが、いつまでもここに立っていたかった。私は舞台そでに引っ込む前に、もう一度観客席を見渡した。拍手は惜しみなく続いている。肌を打つその振動が心地いい。

「もう途中から何にも考えられなかった」

 ルナが満足げに笑う。今死んでもいい。そんな笑顔だった。私もきっと同じ顔をしているにちがいない。
 ぼんやりとしたまま、控室のパイプ椅子に座る。なんだか落ち着かない。

「ちょっと、どうしたのヒロ。そわそわしすぎ」

 高すぎるピンヒールを脱ぎ、隣で体を伸ばしていたルナが苦笑する。

「だって、結果が気になって」
「大丈夫。あんなに会場を沸かせたんだから、自身持ちなって」
「そうだけど」

 会場の喧騒が壁を抜けて微かに聞こえてくる。
次の組も、その次の組も、全身全霊で歌っている。みんな才能を認められて勝ち上がり、さらに必死で練習してきた。そんな中で自分だけは特別だと思えるほど図太くない。こんな時はルナの能天気さが羨ましくなる。

「いまからジタバタしても仕方ないでしょ。もう終わったんだから。あとは大きく構えてればいいのよ」

 呆れた顔をすると、ルナは目を閉じてしまった。
 私はまだそわそわとしながら、ラインを開いたりお茶を飲んだりした。