昼間の月を見つけて

 オーディション直前はそれぞれ別行動にしよう。
 ルナに言われて、私は応援に駆けつけてくれた茉理とお茶をすることにした。
 久しぶりに会った茉理は、なんだか綺麗になっていた。鬱はだいぶ良くなったようだ。彼氏のおかげなのだろうか。そう思うと、少しだけ嫉妬にも似た感情を覚えた。

「とうとう最終オーディションだね」
 茉理がフルーツ入りのアイスティーを飲みながら、感慨深げにつぶやく。
「うん、とにかくやることはやったって感じ」
「そうそう、これ見て。広子の絵を描いたの」

 茉理はいそいそとスケッチブックの一ページを開いた。そこには、黒い髪を風に踊らせて歌う女性の姿が描かれていた。

「これは幾らなんでも美化しすぎでしょ」

 夢見るように潤んだ黒い瞳に、長い睫毛が濃い影を落としている。頬はつるりと白く、唇は柔らかなピンク色――凛として、どこか視線を惹きつけるような雰囲気。どう見ても私はこんなに美人じゃない。

「そんなことないよ。広子、歌ってる時は別の人みたいにオーラがあるんだよね」
「そうかな」
「そうだよ。私、広子の歌を聞いてからまたイラスト始めたの。これが仕事になるかは分からない。でもたくさん描いて、色々なコンテストに挑戦するんだ」
「マツリなら、いつか大きな賞が取れると思う。私は好きだよ。マツリの絵」
「私も広子なら歌の仕事、できると思う」
「ありがと」

 お世辞でも親友のヒイキでも、そう言われると本当にできそうな気がしてくる。茉理はそうやっていつもエネルギーをくれるのだ。そんな茉理を、彼氏ができたくらいで遠く感じた己の狭量さが情けない。

「私、ファン第一号ってことでいいよね?」
「もちろん。これからも応援してくれる?」
「あたりまえじゃん」
「そういえば、彼氏、今日は来てないの?」
「えっ、いや、その」

 急に慌てだした茉理が、視線を落ち着きなくうろつかせる。きっと、こんな風に遠慮させているのは自分なのだろう。

「じつは一緒に来てるんだよね。応援は少しでも多い方がいいと思って」
 少しだけ後ろめたそうに、でも幸せそうな顔で茉理は白状した。
「ありがとう、二人で見守ってて」
 彼氏と少し観光してから会場に向かう。そう遠慮がちに言った茉理に笑顔で手を振ると、私は少し早めにオーディション会場に足を向けた。
 途中、思わぬ人に会った。

「久しぶりだな」
 宮田がこちらに気づき、手を上げる。
「こんにちは。お久しぶりです」

 上ずりそうになる声を押えて、笑顔で返す。なぜここにいるのだろう。内心首をかしげていると「会場までいいかな」と遠慮がちに尋ねられた。
「はい」
 驚きながらも隣に並んで歩く。
 どちらかといえばお喋りな印象の宮田は、なかなか喋りださなかった。オーディション会場までは約十五分。まさか無言のままじゃないだろうなと疑い始めたころ、ようやく口を開いた。

「テレビ、見た」
「それは、なんというか、ちょっと意外です。ああいう番組は嫌いそうだなって思ってました」
「まぁ正直、興味はないかな。でもさ、なんか相田さんのこと気になっちゃって」
「はぁ」
「葉月さんや百合奈ちゃんも見たってさ」
「知ってます。この前、ぐうぜん町で会って笑ってました」
「そっか」
「みっともなかったですか。若い娘たちに混じって足掻いて、転げまわって」
 自嘲ではない。自慢のつもりで尋ねる。宮田がほんの少しだけ口元を緩めて頷いた。

「必死だったな。あんな相田さん初めて見たよ。仕事じゃいつも涼しい顔してたから。すげぇ格好よかったよ。きっついこと言われてもめげずに頑張って、その、綺麗だった」

 最後は消え入りそうな声だった。いつも大声で話す宮田とはまるで別人で、なんだかこっちまで恥ずかしくなる。

「そんな風に言ってもらえて嬉しいです。私、じつは宮田さんのことちょっと苦手だって思ってました」
「まじかぁ。気づかんかったわ」

 宮田ががくっと項垂れる。通行人の何人かがぎょっとしてこちらを振り返った。

「でも、それは自分に自信がなくて、私が勝手にいじけただけで。今は全くそんな風に思ってませんから。宮田さんは私のこと頼りにしてくれてたんですよね」

 私はにっこり笑って尋ねた。ルナを見ていて思う笑顔って武器だ。自分も向けられた相手も明るく前向きな気持ちになれる。

「よかった」
 宮田がにかっと向日葵みたいに笑った。

「相田さん、変わったよな。きっと俺には仕事、相田さんには歌だったんだな。あのさ、相田さんの歌、すげぇ心に響いたぜ」
「ありがとうございます」
 じんと胸が熱くなった。私が変わったとしたらそれはきっとルナと奏夜、そして歌のおかげだ。少しだけ素直で、感激屋になったと思う。

「時間があるようならオーディション見ていってください。チケット、じつは余っちゃってて」
「いいのか」
「ここまで来てくれたの、宮田さんだけですから」
「サンキュー。全力で応援するよ」

 宮田が手を差し出す。私は恐る恐るその手を握った。ぎゅっと力強く握り返されて、一瞬どきんと心臓が跳ねる。

「頑張れ、相田さん」

 宮田がまた笑う。職場でもこんな風だったら、もっと仲良くなれていたかもしれない。

「ありがとう。頑張ります」

 いつのまにか会場についていた。
 そびえるようなドームを見上げる。ドームの前にはすでにたくさんの人が集まっていて、ざわめきが迫ってくるようだった。みんな私たちの歌を聞きに来たのだ。不思議な感慨が押し寄せてきた。宮田に手を振って、私は関係者入口へと足を向けた。