日曜日、緊張しつつ私は家の戸を叩いた。
「また帰ってきたの? いい加減、懲りないわね」
母はやっぱり笑っていた。くじけそうになる気持ちを呑み込んで私はリビングに座った。
「今日は学校が休みなの。だから話に来た」
母が無視してテレビに向き直る。丸い背中に拒絶の二文字が浮かんで見える気がした。
「今度の土曜日、最終オーディションがあるの」
そこまではつかえずに言えた。けれど、「だから見に来て」という言葉は、すんなりとは出てこない。小さく深呼吸する。言葉にしなければ今までと同じだ。
「見に来て欲しいと思ってる。できれば、ううん、絶対に見に来て」
母はテレビから目を離さない。
私はそっとリモコンに手を伸ばした。ぷつんと音がして画面が真っ暗になる。
「なんで、あんたの下手くそな歌なんか、わざわざ聞きに行かないといけないのよ」
母は迷惑そうな顔で言うと、私からリモコンをとりあげた。テレビの中でドッと笑い声が起きた。母も一緒になって笑う。
棘が刺さった。心の柔らかい所に刺さった棘はなかなか抜けない。幼いころから刺さり続けた棘が一緒になって蠢く。
「私、歌が好きなの。だから歌手になる。認めてなんて言わない。でも私を見て!」
「いい加減にしなさい! いい年して恥ずかしいっ」
庭で姦しく叫んでいた蝉が一斉に泣き止んだ。
明るいリビングに耳の痛くなるような静寂がおりる。
「仕事が嫌なだけでしょ! 歌手になりたいなんて今まで一度も言わなかったじゃない。それを二十五にもなっていきなり。ただの逃避よ!」
「小学校の時に合唱団に入りたいって言ったよ。でも、お母さんが入るなって。社交辞令を真に受けてバカねって嗤ったでしょ。すごくショックだった」
「はぁ? そんなこと言ってません。あー人聞きの悪い。あんたが勝手に『やらない』って決めたんでしょ。人のせいにしないで。やりたかったならやればよかったじゃない。たかが地元の合唱団のことで十年以上も根に持って、バカじゃないの」
捲し立てる母の姿が滲んだ。ダイニングの景色が水に沈んだみたいに揺れる。
「とにかく私、自分のやりたいこと頑張る。気が向いたら見に来て」
なんとかそれだけ伝えると、オーディションの見学チケットをテーブルに置いた。母は目もくれず、テレビを見てせんべいを齧っている。
「あーうける。あははは」
誰に向けたか分からない大きな声を背に、私は家を後にした。
「また帰ってきたの? いい加減、懲りないわね」
母はやっぱり笑っていた。くじけそうになる気持ちを呑み込んで私はリビングに座った。
「今日は学校が休みなの。だから話に来た」
母が無視してテレビに向き直る。丸い背中に拒絶の二文字が浮かんで見える気がした。
「今度の土曜日、最終オーディションがあるの」
そこまではつかえずに言えた。けれど、「だから見に来て」という言葉は、すんなりとは出てこない。小さく深呼吸する。言葉にしなければ今までと同じだ。
「見に来て欲しいと思ってる。できれば、ううん、絶対に見に来て」
母はテレビから目を離さない。
私はそっとリモコンに手を伸ばした。ぷつんと音がして画面が真っ暗になる。
「なんで、あんたの下手くそな歌なんか、わざわざ聞きに行かないといけないのよ」
母は迷惑そうな顔で言うと、私からリモコンをとりあげた。テレビの中でドッと笑い声が起きた。母も一緒になって笑う。
棘が刺さった。心の柔らかい所に刺さった棘はなかなか抜けない。幼いころから刺さり続けた棘が一緒になって蠢く。
「私、歌が好きなの。だから歌手になる。認めてなんて言わない。でも私を見て!」
「いい加減にしなさい! いい年して恥ずかしいっ」
庭で姦しく叫んでいた蝉が一斉に泣き止んだ。
明るいリビングに耳の痛くなるような静寂がおりる。
「仕事が嫌なだけでしょ! 歌手になりたいなんて今まで一度も言わなかったじゃない。それを二十五にもなっていきなり。ただの逃避よ!」
「小学校の時に合唱団に入りたいって言ったよ。でも、お母さんが入るなって。社交辞令を真に受けてバカねって嗤ったでしょ。すごくショックだった」
「はぁ? そんなこと言ってません。あー人聞きの悪い。あんたが勝手に『やらない』って決めたんでしょ。人のせいにしないで。やりたかったならやればよかったじゃない。たかが地元の合唱団のことで十年以上も根に持って、バカじゃないの」
捲し立てる母の姿が滲んだ。ダイニングの景色が水に沈んだみたいに揺れる。
「とにかく私、自分のやりたいこと頑張る。気が向いたら見に来て」
なんとかそれだけ伝えると、オーディションの見学チケットをテーブルに置いた。母は目もくれず、テレビを見てせんべいを齧っている。
「あーうける。あははは」
誰に向けたか分からない大きな声を背に、私は家を後にした。



