オーディションが近づくにつれ、ピリリとした緊張感がスクール内に漂いだした。どの子も研がれた刃物みたいな、張りつめた空気を纏っている。カメラが回っていることも忘れ殺伐とすらしていた。
 私たちは間違いなく勝負の舞台に立っている。もうすぐ未来が決まる。勝てば栄光への一歩、負ければすべてが思わってしまう。皆、人生で初めて自分の人生に責任を持つという緊張感に晒されているのかもしれない。
 もちろん社会人経験者の私も緊張するのは同じだ。むしろ仕事を辞めて後が無い分、人一倍といってもいい。気を抜けば胃が捩じれてしまいそうだ。
でも同じくらい、わくわくしている。
 ルナはどうなのだろう。
 授業中も二人で練習している時も清々しいくらい幸せそうなルナの瞳は、真っ直ぐに前だけに向けられているように見える。

「ルナはオーディション、怖くないの」
「やだ、今から緊張してるの? 早いよ」
 スポーツドリンクを飲んでいたルナが苦笑する。
「だって、駄目だったら今度こそ夢から醒めなといけないし」

 眩しい夏のようなこの日々ができればずっと続いて欲しい。実力で勝ち取ってみせるという意気込みはあるが、もしもを考えるとやっぱり胃の底が冷える。

「なに言ってるの。負けたって終わりじゃないでしょ。見続けようとすれば夢から覚めることはないの」
「ルナは今回ダメでも次のチャンスを探すの?」
「当たり前でしょ。私は歌手として生きてくって決めたの。何度だって挑戦する。ヒロは違うの?」
「私は……」
 すぐには答えられなかった。歌を仕事に出来たら幸せだ。ずっとアマネのようになりたいと思っていたし、奏夜だけでなく、もっと大勢の人に私の歌が必要だと言わせたい。
 でも永遠に無邪気な子どもではいられない。もし何度挑戦してもダメだったら、仮に歌手になっても売れなかったら、年をとったら、考え出したら際限なく暗い方へ思考が転がり落ちていく。

「ヒロの人生でしょ。好きなことしなくてどうするの?」
 ルナがあっけらかんと言う。

「そうは言っても、いろいろ考えるの。私、ルナより八つも上なんだし」
「また年の話? だから朱音にオバさんって呼ばれるのよ」
「ひどーい。もう少し真面目に聞いてよ」
「真面目だよ。私は勝つ。欲しいものを勝ち取るまでは絶対にあきらめないの」

 ふいにルナが真剣な目をする。
 その表情が好きだと、私は思った。自らの望むもののために、ひたむきに努力を重ねることができる強さ。自分を信じる力。私に欠けている物をルナは持っている。だからこんなにも惹かれるのかもしれない。

「やる前から負け犬は卒業したんじゃないの?」
「きっついなぁ。でもそうだよね。つい」

 情けなさに苦笑する。勝手に限界を決めていつも挑戦することから逃げてきた。自分を縛っているのは自分自身なのだ。私なんかはもう本当に卒業しよう。

「私も、勝つ」
 口にすると力が沸いてきた。ルナがにっと笑う。
「そうだよ。それに私が一緒だもの。大丈夫よ」
「なにそれ、すごい自信」
 思わず笑った。そこまで潔く自分を信じられる彼女が羨ましい。

「私、今度の日曜日に母親にもう一度会ってくる」
 ルナにというよりは自分に対する宣言だった。
「気が合うわね、私もオーディションまでにママと話すつもりだったの」
 ルナが目を瞬いて言う。
 初めてルナより先手を取ったね。そう冗談めかした私に、ルナは複雑な顔で笑った。私たちはそれぞれの家に帰り、公園で待ち合わせしてその結果を報告し合うことにした。