気合十分でノートを広げて机に向かうこと三十分。歌詞は一向に完成しなかった。

「あー、私ってこんなに文才なかったっけ」
「てゆーか、ソウの曲が最強すぎるのよ。なんか言葉を入れれば入れるほど、ダサくなっちゃう」

 二人揃って床に撃沈する。
 最終オーディションまでそう時間はない。少しでも早く歌を完成させなければ。その気持ちが足枷になっているのだろうか。奏夜の旋律はさまざまな感情を掻き立てるのに、ノートのページは真っ白なままだった。
 今まで誰かの歌のカバー、つまりは借り物の歌でずっと満足してきた。それがようやく自分ための歌が歌える。なのにこの体たらくはどうだろう。

「これは不味いね」
「いっそ、奏夜くんに作詞も依頼するのはどう」
「だめ、ソウは口下手だもん。ぜったい曲が台無しになる。あいつにできるのは作曲だけ」
「酷い言いようだね」
「褒めてるのよ。だからソウは天才なの」
 苦笑する私にルナは嬉しそうに笑った。
「あっ、その顏可愛い。いっそ歌詞にしちゃう?」
「やだ、ふざけないでよ」
「頭でっかちで固すぎって、いつも言うくせに」
「なら石頭の友達がふざけるってフレーズ、歌詞に入れるから」
「なにそれ、変だよ」

 きゃあきゃあ言い合いながら、思いついた言葉をノートに刻んでいく。だが、いざ組み立てようとすると形にならない。いいワンフレーズが偶々出来ても、音やリズムに合わなかったりする。考え過ぎて脳の皺が全部伸びきってしまいそうだ。

「私、ちょっと体を動かす。ヒロは一人でうんうん唸ってて」

 言うなりルナがヨガを始める。ルナは猫のように柔らかい。身も心もこっちこちの石みたいな私とは本当に正反対だ。

「こうなったら私は、茉理にSOSしようかな」

 彼氏発言以来、茉理とは連絡を絶っていた。今さら助けてなんて言うのはためらわれたが、素直にと自分に言い聞かせ、思い切ってメッセージを送る。
 返事はすぐに来た。私が茉理のノロケを無視したことには触れていない。気を遣わせているなと苦笑いしつつ、有難いアドバイスに目を通す。

『まずは頭を柔らかく。上手に作ろうと考えず、素直な気持ちで取り組んで』

 なるほど。私はなんでも上手くやろう、失敗しないようにしようと構えてしまう傾向がある。

『あと気分転換も重要。机に齧りつかないで散歩でもして。ノートは必ず持ち歩き、感じたことがあればすぐにメモすること。創作は一日にしてならず、以上』

『ありがとう、すごく参考になった。彼氏とは仲良くやってる? また写真見せてね』

 そう返すと、さっそくノートとペンを手に立ち上がった。

「ちょっと、歩いてくる」
「忙しいわね。まぁ、健闘を祈るわ」
「ルナもね」

 緑が茂る裏庭は、夏だと言うのに爽やかな風が吹いていた。大きな木の下に座り、まだ明るい空を見上げながら、奏夜の曲をハミングする。
 空は恐ろしく晴れていてどこまでも澄んでいる。そこに白い真昼の月が浮かんでいた。
 なんだか今年の夏は目まぐるしかった。あの月ほどまでではないけど、遠くに来たなとしみじみ思う。平坦で退屈な日常はすっかりどこかに行ってしまった。

 ぜんぶ心次第だったのかもしれない。一歩踏み出せば、新しい世界はすぐそこにあった。
 あぁ、今なら書けそう。
 思いつくままに溢れだす言葉をメロディに乗せる。早くこの歌を奏夜に聞かせたい。透明なメロディに私とルナの想いを託すのだ。

 その夜はルナと二人、明け方まで話し合って歌詞を書き続けた。何度も埋めては消して、ノートのページがどんどん塗り潰されていく。そうして朝がきた。

「やっとできた」
「きゃあ、早く歌おう」

 寝不足で青褪める私に、頬をバラ色に上気させたルナが抱きついてくる。待ちきれない。キラキラした目は餌を前にした猫みたいだ。

「ほら、ぼやぼやしないでヒロ。ファーストテイク。ソウに送ってあげよう」

 あぁ、なんてしなやかで輝きに満ちているのだろう。ぐずぐず立ち止まっている暇なんてないとばかりに、いつでも速攻。きっとルナだって悩んだり迷ったりするのだろうけど、それを振り切って進んでいくひたむきさ。

「よぉし、歌おう。せっかくだから外で」

 私はMP3プレイヤーを掴むと、軽く伸びをした。
緑の庭に透明なメロディが流れ出す。

青空に浮かぶ 歪な白い月
片割れの光を 探している
名前を呼んだ時から 世界に色が溢れた
雨に一人打たれた夜も 君と迎えた朝も
懐かしい思い出なんかにしない
 
最初から全力、声も鼓動もどんどん高鳴っていく。歌いながら興奮した瞳を向けるルナに、私は「どうだ」と言わんばかりの笑顔を浮かべた。

貴方は今どこにいるの きっと届けてみせる
離れていても 聞こえるから
だから聞かせて 貴方だけの歌
歌声は遥か あの未来に辿り着く
 
 二人の感情が溶けあうように混ざり合い、響き合う。パズルのピースがはまり合うように、異なる形の感情が、声が、一つの世界を生み出していく。
 奏夜にも届くだろうか。今、間違いなく人生で一番充実している。
 こんな時間がずっと続けばいいのに。
 希望に満ちた朝日を眺めながら、心の底からそう願わずにはいられなかった。