部屋に戻ると十二時を回っていた。明日も早いからとベッドに潜り込む。数分もたたずに、下のベッドから寝息が聞こえてきた。
 スクールが終わればルナとは他人同士。夢に破れるのと同じくらい、今はその事実も怖かった。
 眠れそうにないので腹筋をする。一回、二回、十回、十五回――無言で続けているうちに余計な思考が削ぎ落されていく。体は努力すればその分だけ応えてくれる。ダンスだって踊れるようになった。でも心はどうだろう。どれだけ考えても、自分に恋愛できるとは思えなかった。

 なぜ、と考えてみる。そもそも誰かを好きになる感覚が分からない。私は心の冷たい人間なのだろうか。でも茉理やルナのことは好きだ。ただし恋愛的な意味でなく。ではダメなのは恋愛で異性か。どうして。分からない。ただなんとなく恋愛が怖い。

「ヒロ、まだ起きてるの?」
 暗闇にルナの声が響いた。

「ごめん、うるさかった?」
「ううん。腹筋? すごいね、ヒロは」
「せんぜん。少しでもルナや他の子たちに追いつきたいだけだよ」
「それがすごいの。素直にダメな所を認めて変わろうとできる人って中々いないよ」
「そうかな」
「そうだよ。ヒロは自分のスゴイ所もっと認めてあげて。私、ヒロと一緒で良かったと思ってるんだから」

 ルナがベッドの柵から顔を出す。
 じっとこちらを見つめる青みがかった宝石みたいな目。綺麗だ。まるで月明かりに輝く夜空みたい。ルナこそすごいと思う。自分が輝くだけでなく、思わぬ光で私を照らしてくれる。だからこそ、負けたくない。

「ところで、土曜日の夜はどうするの」
「えっ? 土曜日の夜?」

 唐突な話題転換に面食らう私にルナは続けた。

「日曜日は休みでしょ。土曜の夜から外出許可が出るし、ヒロは家に帰るの?」
「たぶん、寮に残るかな」

 帰ったら母が「もう戻ってきたの?」とドヤ顔するに違いない。想像しただけで帰りたくなくなる。

「ルナは?」
「私は隆秋の家に泊るの。あいつ、淋しがっちゃって。男のくせに女々しいわよね」
「そう、よかったね」
 グチに潜む得意げな響きに、とたんに心が冷めていく。
「やな感じ。なによその反応」
 そっけなく返した私に、ルナが不満そうに唇を尖らせる。
「ラブラブだねって、はしゃげばよかった? 別に興味ないんだけど」
 ついキツイ言葉が漏れて、ふいにルナの表情が固くなった。

「ヒロさ、課題のことちゃんと考えてる? 下手したら途中退場だよ」

 真剣なトーンで問いかけるルナを、雲の隙間から現れた半月が煌々と照らす。

「それは分かってるけど」
「私が誰か紹介してあげようか? 隆秋の職場にも何人かフリーの人がいるみたいだけど、どう?」
「はぁ?」
「ヒロ経験まだでしよ? サクッと経験しちゃえばラブソングだってきっと歌えるよ」

「大きなお世話!」

 お前は女衒か。なんだか無性に腹が立ってきた。

「なによ、人が親切に言ってあげてるのに。分かった、もう言わない。でも足は引っ張らないでね」

 バサッと布団を被る音が聞こえてくる。
 別にケンカしたいわけじゃない。謝らなければ。そう思ったがどうしても「ごめん」の一言が出てこない。でも、これは私が悪いのだろうか。デリカシーの無いことを言ったのはルナのほうだ。
 ぐるぐる考えているうちに、安らかな寝息が聞こえてきた。
 信じられない。沸騰しそうな感情を飲み込んで、私はカーテンを乱暴に閉めた。嘲笑うような月はもう見えなかった。