「当たり前だけど、スクール、ちゃんと来てくれるんだよね」
こちらの都合も考えず、六時半に駅前の古い喫茶店に私を呼びだすなり、ルナは脅すような口調で言った。
「そう、ねぇ」
思わず生返事をした私に、「ちょっと、何その反応」とルナがテーブルからルナが身を乗り出す。
長い金髪がふわふわ揺れ、そのたびにシャンプーの甘い香りが漂った。染めているのに艶々として綺麗。若さというより私とは素材が違う。
「一抜けたはナシだからね」
「分かってる。問題は仕事なの。一か月もさすがに休めないしどうしようかなって」
「辞めればいいじゃない。どうせ死にたくなるような仕事なんでしょ」
こともなげに言ってのける横顔が眩しい。やりたいことに真っ直ぐ。それはルナだからなのか、世代の違いなのか。
「相変わらず簡単に言うなぁ」
「会社は別の社員がなんとかすればいい。でも、私とソウにはヒロが必要なの」
デュエットの相方としてという意味だろう。私が棄権すれば当然、ルナも棄権になる。頭では分かっていたが「必要」の二文字に舞い上がってしまう。
私だけの何か。私じゃなきゃいけない何か。その何かをずっと探していた。
「ヒロは仕事と私、どっちが大切なの?」
「ルナ」
つられて言ったもののなんだか恥ずかしい。でもルナは会心の笑みを浮かべている。
「決まりね。あぁ、あと十日もしたらスクールか。明日からでもいいのに」
夏休み前の小学生みたいに希望に満ちた顔。見ているうちに、私もだんだん楽しくなってくる。仕事がなんだというのだろう。こうなれば、とことん本能に忠実な子供になってやる。
「すみません、クリームソーダ下さい!」
「何で突然、クリームソーダ?」
突然店員を呼びとめた私に、ルナが猫目の瞳を真ん丸にする。
「好きなの」
「へぇ、以外と子供っぽいんだ」
悪戯っぽく目を細めたルナの長い睫毛が、青みがかった瞳に影を落とす。馬鹿みたいに可愛い顔だ。こんな天使みたいな小悪魔と並んで同じステージに立とうなんて、私もどうかしている。
「悪かったわね。それより、ルナも好きなの頼んで。今日は奢るから」
「えっ、いいの。やったぁ。じゃあトリプルベリーパンケーキ、ホイップ増量で」
二千円以上するメニュー。清々しいくらい遠慮が無い。私ならきっといろいろ忖度して、クリームソーダと同じがそれよりも安いメニューを頼んでいた。でもルナのこういう所が好きだ。
しばらくして鮮やかなグリーンに真っ赤なチェリーの浮かんだクリームソーダと、白い生クリームの山で化粧されたきつね色のパンケーキが運ばれてきた。
「うわー、カロリー過ごそう」
「たまにはいいの。ほら、ヒロにも分けてあげる」
「ありがとうって、私のお金なんだけどな」
「あっ、そうだった。ごちそうさまです」
ルナがペロリと舌を出す。
ふいに、私たちの関係ってなんだろうと疑問になった。友達とはちょっと違う。仲間というのも曖昧だ。同志も交渉過ぎてピンとこない。
「どうしたの、ぼんやりして」
「大人には色々あるの」
ルナのことを考えていたとは言えず笑ってごまかす。
「なんでも難しく考えすぎじゃない。まぁ、私はあんまり考えないほうだから、相棒のヒロはそれくらいでちょうどいいのかもね」
「相棒かぁ……」
辞書では同じ籠を担ぐ者、ともに一つのことを成す仲間。少なくとも対等なのは分かる。ともすれば事務的な響きが無くもない。
「また、ボーっとして。変なヒロ。そんなことよりパンケーキ食べてよ。すっごくおいしいから」
「えっ、あぁ」
小皿に取り分けられたパンケーキにナイフを入れる。ホイップと真っ赤なベリーのソースをたっぷりつけて放り込むと、口の中で幸せが弾けた。
「やばい、おいしい!」
「でしょ。ムーミンママのパンケーキみたい」
「ムーミンって。ルナいくつよ。私だってリアルタイムでは見てないし」
「ムーミンに世代は関係ないもん。アニメだって何回も再放送してるじゃん。いいよね、ムーミンママ」
呟いたルナがアニメの話をしているとは思えない顏をしていたので、「家族と上手くいってないの」と、危うく聞きそうになった。
かわりにパンケーキを頬張る。甘酸っぱい森の味。ムーミンママが作ったパンケーキもこんな味だったのだろうか。なぜか「馬鹿じゃないの」と嗤う母の顔が浮かんできて、胸が軋んだ。
母親ってなんだろう。毒親なんて言葉もあるが、母の愛は無償で無限だという風潮は未だに根強い。周りを見ても親に愛されて育ったんだなと思う人ばかりだ。なのになぜ、私やルナは違うのだろう。
そんなことを考えながら、二人でひとしきりムーミントークで盛り上がった。歌以外でもこんな風に話せるなんて思ってもみなくて、クリームソーダのアイスはすっかり溶けてしまったけど、白く濁った甘ったるいソーダもそれはそれで悪くないと思えた。
「寮生活ちょっと不安だったんだけど、楽しみになってきたかも」
「私は最初から楽しみだけど。スクールが始まるまでに可愛いパジャマが欲しいな」
「なんでパジャマ?」
「中学のジャージで寝てるの見られたくないもん」
「へぇ、中学のジャージで寝てるんだ」
「あっ、やだ。今の忘れて」
ルナが顔を赤らめる。顔を見合わせて笑った。
「それより最終オーディション! ソウの作った曲が歌えるの、楽しみだな」
「どんな曲、作ってくれるんだろ」
「う~んどうだろ。案外、乙女心満載のラブソングだったりして」
「うっ、苦手分野」
情けない声が出た。プロになるのならそんなこと言っていられないかもしれないが、どんな風に歌えばいいのかまるでか分からない。
「冗談よ。ソウがそんな曲作るわけないじゃん」
ルナの笑顔に一瞬、棘が混ざる。
「ルナと奏夜くんって、どういう仲なの?」
「えっ、なに? 気になるの?」
ルナは妙にぎくりとした顔をしていた。細めた目は少しだけ剣呑で、なんだかドキリとする。せっかく仲良くなれたと思ったのに、変なことでぎくしゃくしたくなくて私は慌てて言葉を紡いだ。
「だって、私だけ後から入ったし。仲間外れっていうか」
「なんだ、そっち? ヒロって案外淋しがり屋なんだ」
しどろもどろの私の手を、ルナが笑いながら握る。人形みたいに華奢で綺麗な手。本物の美少女。性格も忙しない風みたいに面白い。きっと私が男なら恋に落ちていた。
「あのね、私とソウは幼馴染で友達で音楽仲間。それだけ」
「そっか」
複雑な気持ちで頷く。私はまだ上手く、ルナの内側に踏み込めない。
「三人でデビューしようね、ヒロ」
「うん」
今はその言葉だけで十分だ。将来への不安はルナと話しているうちにどこかに行ってしまった。
喫茶店を出ると、空には点々と星が輝いていた。
「気持ちいいし、ちょっと散歩しない」
ルナに誘われて、駅前から少し離れた大きな人工池のある公園をぶらつく。池の表面にも星空が輝いて、見慣れた場所のはずなのに別の町に来たみたいだ。
夏から始まるスクールのことや音楽のことを話すのは楽しく、いつまでもこうしてルナと歩いていたかった。ルナと自分を結ぶのは今のところ歌くらいで、でも、もっと色々なことで繋がれたらいいのに。
もっと話したい。なのに歌以外になると、とたんに話題が出てこない。八歳の年の差はけっこう大きい。
「ねぇ、ルナの好きな食べ物は?」
「なに突然。意味わかんない。ヒロっておかしい」
考えがまとまらず拙いお見合いの質問みたいなことを聞いてしまった私にルナが爆笑する。赤くなって口の中で言い訳をしているうちに、いつのまにか駅前まで戻ってきていた。
短い散歩は終わり。それぞれのホームに続く階段の前で別れた。
「カレー、しかもお子様用の甘口で野菜がゴロゴロ入ったやつ」
階段を上っていたルナが振り返って叫ぶ。白い頬がほんのりと染まっていた。
「なんか意外。私はね、マックのポテト」
「それも意外。けっこうジャンクな舌してるんだね」
はにかんだルナの顔がふわっと綻ぶ。なんだか胸が温かくなり、私は元気に階段を駆け上がっていく後ろ姿をいつまでも見送った。
こちらの都合も考えず、六時半に駅前の古い喫茶店に私を呼びだすなり、ルナは脅すような口調で言った。
「そう、ねぇ」
思わず生返事をした私に、「ちょっと、何その反応」とルナがテーブルからルナが身を乗り出す。
長い金髪がふわふわ揺れ、そのたびにシャンプーの甘い香りが漂った。染めているのに艶々として綺麗。若さというより私とは素材が違う。
「一抜けたはナシだからね」
「分かってる。問題は仕事なの。一か月もさすがに休めないしどうしようかなって」
「辞めればいいじゃない。どうせ死にたくなるような仕事なんでしょ」
こともなげに言ってのける横顔が眩しい。やりたいことに真っ直ぐ。それはルナだからなのか、世代の違いなのか。
「相変わらず簡単に言うなぁ」
「会社は別の社員がなんとかすればいい。でも、私とソウにはヒロが必要なの」
デュエットの相方としてという意味だろう。私が棄権すれば当然、ルナも棄権になる。頭では分かっていたが「必要」の二文字に舞い上がってしまう。
私だけの何か。私じゃなきゃいけない何か。その何かをずっと探していた。
「ヒロは仕事と私、どっちが大切なの?」
「ルナ」
つられて言ったもののなんだか恥ずかしい。でもルナは会心の笑みを浮かべている。
「決まりね。あぁ、あと十日もしたらスクールか。明日からでもいいのに」
夏休み前の小学生みたいに希望に満ちた顔。見ているうちに、私もだんだん楽しくなってくる。仕事がなんだというのだろう。こうなれば、とことん本能に忠実な子供になってやる。
「すみません、クリームソーダ下さい!」
「何で突然、クリームソーダ?」
突然店員を呼びとめた私に、ルナが猫目の瞳を真ん丸にする。
「好きなの」
「へぇ、以外と子供っぽいんだ」
悪戯っぽく目を細めたルナの長い睫毛が、青みがかった瞳に影を落とす。馬鹿みたいに可愛い顔だ。こんな天使みたいな小悪魔と並んで同じステージに立とうなんて、私もどうかしている。
「悪かったわね。それより、ルナも好きなの頼んで。今日は奢るから」
「えっ、いいの。やったぁ。じゃあトリプルベリーパンケーキ、ホイップ増量で」
二千円以上するメニュー。清々しいくらい遠慮が無い。私ならきっといろいろ忖度して、クリームソーダと同じがそれよりも安いメニューを頼んでいた。でもルナのこういう所が好きだ。
しばらくして鮮やかなグリーンに真っ赤なチェリーの浮かんだクリームソーダと、白い生クリームの山で化粧されたきつね色のパンケーキが運ばれてきた。
「うわー、カロリー過ごそう」
「たまにはいいの。ほら、ヒロにも分けてあげる」
「ありがとうって、私のお金なんだけどな」
「あっ、そうだった。ごちそうさまです」
ルナがペロリと舌を出す。
ふいに、私たちの関係ってなんだろうと疑問になった。友達とはちょっと違う。仲間というのも曖昧だ。同志も交渉過ぎてピンとこない。
「どうしたの、ぼんやりして」
「大人には色々あるの」
ルナのことを考えていたとは言えず笑ってごまかす。
「なんでも難しく考えすぎじゃない。まぁ、私はあんまり考えないほうだから、相棒のヒロはそれくらいでちょうどいいのかもね」
「相棒かぁ……」
辞書では同じ籠を担ぐ者、ともに一つのことを成す仲間。少なくとも対等なのは分かる。ともすれば事務的な響きが無くもない。
「また、ボーっとして。変なヒロ。そんなことよりパンケーキ食べてよ。すっごくおいしいから」
「えっ、あぁ」
小皿に取り分けられたパンケーキにナイフを入れる。ホイップと真っ赤なベリーのソースをたっぷりつけて放り込むと、口の中で幸せが弾けた。
「やばい、おいしい!」
「でしょ。ムーミンママのパンケーキみたい」
「ムーミンって。ルナいくつよ。私だってリアルタイムでは見てないし」
「ムーミンに世代は関係ないもん。アニメだって何回も再放送してるじゃん。いいよね、ムーミンママ」
呟いたルナがアニメの話をしているとは思えない顏をしていたので、「家族と上手くいってないの」と、危うく聞きそうになった。
かわりにパンケーキを頬張る。甘酸っぱい森の味。ムーミンママが作ったパンケーキもこんな味だったのだろうか。なぜか「馬鹿じゃないの」と嗤う母の顔が浮かんできて、胸が軋んだ。
母親ってなんだろう。毒親なんて言葉もあるが、母の愛は無償で無限だという風潮は未だに根強い。周りを見ても親に愛されて育ったんだなと思う人ばかりだ。なのになぜ、私やルナは違うのだろう。
そんなことを考えながら、二人でひとしきりムーミントークで盛り上がった。歌以外でもこんな風に話せるなんて思ってもみなくて、クリームソーダのアイスはすっかり溶けてしまったけど、白く濁った甘ったるいソーダもそれはそれで悪くないと思えた。
「寮生活ちょっと不安だったんだけど、楽しみになってきたかも」
「私は最初から楽しみだけど。スクールが始まるまでに可愛いパジャマが欲しいな」
「なんでパジャマ?」
「中学のジャージで寝てるの見られたくないもん」
「へぇ、中学のジャージで寝てるんだ」
「あっ、やだ。今の忘れて」
ルナが顔を赤らめる。顔を見合わせて笑った。
「それより最終オーディション! ソウの作った曲が歌えるの、楽しみだな」
「どんな曲、作ってくれるんだろ」
「う~んどうだろ。案外、乙女心満載のラブソングだったりして」
「うっ、苦手分野」
情けない声が出た。プロになるのならそんなこと言っていられないかもしれないが、どんな風に歌えばいいのかまるでか分からない。
「冗談よ。ソウがそんな曲作るわけないじゃん」
ルナの笑顔に一瞬、棘が混ざる。
「ルナと奏夜くんって、どういう仲なの?」
「えっ、なに? 気になるの?」
ルナは妙にぎくりとした顔をしていた。細めた目は少しだけ剣呑で、なんだかドキリとする。せっかく仲良くなれたと思ったのに、変なことでぎくしゃくしたくなくて私は慌てて言葉を紡いだ。
「だって、私だけ後から入ったし。仲間外れっていうか」
「なんだ、そっち? ヒロって案外淋しがり屋なんだ」
しどろもどろの私の手を、ルナが笑いながら握る。人形みたいに華奢で綺麗な手。本物の美少女。性格も忙しない風みたいに面白い。きっと私が男なら恋に落ちていた。
「あのね、私とソウは幼馴染で友達で音楽仲間。それだけ」
「そっか」
複雑な気持ちで頷く。私はまだ上手く、ルナの内側に踏み込めない。
「三人でデビューしようね、ヒロ」
「うん」
今はその言葉だけで十分だ。将来への不安はルナと話しているうちにどこかに行ってしまった。
喫茶店を出ると、空には点々と星が輝いていた。
「気持ちいいし、ちょっと散歩しない」
ルナに誘われて、駅前から少し離れた大きな人工池のある公園をぶらつく。池の表面にも星空が輝いて、見慣れた場所のはずなのに別の町に来たみたいだ。
夏から始まるスクールのことや音楽のことを話すのは楽しく、いつまでもこうしてルナと歩いていたかった。ルナと自分を結ぶのは今のところ歌くらいで、でも、もっと色々なことで繋がれたらいいのに。
もっと話したい。なのに歌以外になると、とたんに話題が出てこない。八歳の年の差はけっこう大きい。
「ねぇ、ルナの好きな食べ物は?」
「なに突然。意味わかんない。ヒロっておかしい」
考えがまとまらず拙いお見合いの質問みたいなことを聞いてしまった私にルナが爆笑する。赤くなって口の中で言い訳をしているうちに、いつのまにか駅前まで戻ってきていた。
短い散歩は終わり。それぞれのホームに続く階段の前で別れた。
「カレー、しかもお子様用の甘口で野菜がゴロゴロ入ったやつ」
階段を上っていたルナが振り返って叫ぶ。白い頬がほんのりと染まっていた。
「なんか意外。私はね、マックのポテト」
「それも意外。けっこうジャンクな舌してるんだね」
はにかんだルナの顔がふわっと綻ぶ。なんだか胸が温かくなり、私は元気に階段を駆け上がっていく後ろ姿をいつまでも見送った。



