オーディションが始まった。
一番目のペアがステージに上がる。中学生くらいだろうか。子供特有の目の大きさと人形のように細くて長い手足が羨ましい。二人はキレッキレに踊りながら、可愛らしくラブソングを歌いあげていく。
「えぇっ、踊りもありなんだ」
「今さら何言ってるの。歌だけじゃない。持てる魅力の全てを出し切るのが当然でしょ」
驚く私にルナが呆れた顔で言う。
「でもいいよね。女は若いってだけで価値があるから」
「それ、私の前で言わないで」
恨めしげに呟くルナにがっくりと肩を落とす。なんたって出場者の中では間違いなく最高齢。二十五歳なんてまだまだ若者のはずなのに、一気に年寄りになった気がしてくる。
「日本ほど女の若さ至上主義の国もないよね」
思わず溜息が漏れる。芸能界なんて特に若さが尊ばれる世界だ。アイドルが最たる例で、十代前半の少女が大人たちに祭り上げられ、もてはやされる。一歩間違えればロリコン。未来性があると言えば聞こえはいいが、ちょっと異常じゃないかと思う。そんな業界に二十五歳で飛び込もうとしているなんて、ほとんど無謀だ。
「いいじゃん。実際はともかく、ヒロは若く見えるもん。童顔って得だわ」
「それ、フォローになってない」
「えぇ、なんでよ?」
ルナが唇を尖らせる。その顔はまさしく可憐な少女で、余りの眩しさに直視できない。これじゃあまるでキミコイの主題歌だ。そんなことを考えているうちに一組目のステージが終わる。心なしか審査員の目が好意的に見えた。
こんなネガティブなことではダメだ。
「大丈夫。私たちは大人の厚みで魅せましょう」
若さが武器になる世界でもし勝ちあがれたら。それってすごいことだ。そう切り替えて微笑んでみせる。
「めずらしくポジティブじゃん」
ルナがキョトンとした顔する。
「ヒロの言う通りだね。負けてらんない。ぜったいに掴んでみせる」
呟いた横顔は切実で、応援したいような、守ってあげたいような気分になる。
「次は由奈&舞ペア」
二十歳前後の二人組がステージに上がる。背が高くて綺麗なロングヘアが印象的だ。曲は自分たちと同じ。高く澄んだ声で旋律を紡いでいく。
上品な歌い方だった。同じ曲でも歌い手によってさまざまな色がある。もちろん勝負だけど、出場者たちの熱を持った歌を聞くのは楽しかった。
やっぱり歌はいいな――。
美しい音に満たされていると時間も日常も忘れてしまう。早く歌いたくなってきて、私はじりじりしながら出番を待った。
「次は、ルナ&広子ペア」
ついに司会者に名前を呼ばれる。
ドキンと弾んだ心臓を飲み下して、ステージに立つ。大勢の目が私を見ている。店で歌った時とは比べものにはならない人数に、背筋が震えた。
私は人の波の中に茉理を探した。少し前まで俯いていた茉理が、一生懸命に顔を上げているのが見えた。その隣では奏夜が真っ直ぐにこちらを見つめている。
鼓動がすっと静まった。
頭上には青い空が広がり、声はどこまでも届きそうだ。目を閉じて体でカウントを取りながら、人々の興奮が混ざった風を体の深くまで吸い込む。
イ短調、始まりの音はラ。
私の声にルナの切なげな声が重なる。観客の視線、ステージを通り抜ける風を感じながら、悲しげだけどどこか心地よい旋律を紡いでいく。
自分の声とルナの声が共鳴しながら広がっていくのが、見える気がした。
遠い記憶を追って醒めない夢にすがる女。甘く暗い空想に堕ちていく心地良さにまどろみながら、それでも明日を捕まえようともがいているのは、私でありルナだ。この幸福を、この苦悩を誰かに知って欲しい。
気持ちを声に換えて曲を織り上げていく。
体の中が空っぽになるそばから、客たちの視線が空白を埋めていく。
不思議な感覚に全身トリハダが立った。声の調子がどんどん上がっていく。頬が熱い。
やっぱり、人前で歌うって最高――。
私は観客たちを見渡した。ステージと客席は近く、一人ひとりの顔が見える気がした。その中にはやっぱり茉理の姿があって必死でこちらに手を振っている。奏夜が形の良い唇を薄く開き、恍惚の表情を浮かべている。
雨のような拍手が鼓膜を叩いた。我に返って隣を見ると、白い頬を上気させ神々しくすらあるルナの姿が見えた。
「ヒロ! 最高だったね。ビリビリきたよ」
ステージを降りるなり、ルナがはしゃぎながら飛びついてくる。
「よかった。何が何だか分からない間に終わってて」
記憶が抜け落ち興奮だけが残っている。私も少しはルナに近付けていたのだろうか。
「別人って感じだった。マイクを持つと化けるよね」
「それ、褒めてるんだよね」
「あたりまえじゃん。あとは優勝の報告を待つだけだね」
「凄い自信。でも今は同意、かな?」
人事を尽くしたというのだろうか。確かな手ごたえがある。夢見心地のまま、茉理が待つ観客席に向かう。
「広子、よかったよ。鳥肌たった」
「ありがとう、マツリ。自分でもすごく気持ち良く歌えた」
さっきまでの緩慢な口調が嘘のように、茉理が元気よく私の手を握ってぶんぶん振った。
「だったら、あの二人くらい堂々としてなよ」
茉理が視線を背後に向ける。隆秋が人目もはばからずルナを抱きしめていた。生々しい抱擁に、幽かに不快感が込み上げる。
「ルナが優勝したら、会社の奴に自慢して良い?」
「いいよ。サインもつけてあげる」
隆秋の頬に軽くキスをすると、ルナはその腕からするりと抜け今度は奏夜にハグした。
「ソウ、どうだった? 最終は間違いないでしょ」
「うん、最高だった」
奏夜がルナの頭をぽんぽん撫でる。
二人の仲睦まじい様子を眺めながら、さっきからチリチリと胸が焦げそうだ。この感情の正体はなんだろう。焦り、不快、それとも嫉妬。なんだか混乱しそうだ。
「ほらヒロも出し切ったんだから一緒に喜ばないと」
こちらの気など知らず、ルナが桜貝のような唇をほころばせる。
どきりとしつつ輪に入る。どうかしている。今日が駄目だったら、この輪には二度と入れないというのに。終わらせたくない。ルナと奏夜の体温を手の平や背中に感じながら、そんな切実な思いが今になって込み上げてきた。
一番目のペアがステージに上がる。中学生くらいだろうか。子供特有の目の大きさと人形のように細くて長い手足が羨ましい。二人はキレッキレに踊りながら、可愛らしくラブソングを歌いあげていく。
「えぇっ、踊りもありなんだ」
「今さら何言ってるの。歌だけじゃない。持てる魅力の全てを出し切るのが当然でしょ」
驚く私にルナが呆れた顔で言う。
「でもいいよね。女は若いってだけで価値があるから」
「それ、私の前で言わないで」
恨めしげに呟くルナにがっくりと肩を落とす。なんたって出場者の中では間違いなく最高齢。二十五歳なんてまだまだ若者のはずなのに、一気に年寄りになった気がしてくる。
「日本ほど女の若さ至上主義の国もないよね」
思わず溜息が漏れる。芸能界なんて特に若さが尊ばれる世界だ。アイドルが最たる例で、十代前半の少女が大人たちに祭り上げられ、もてはやされる。一歩間違えればロリコン。未来性があると言えば聞こえはいいが、ちょっと異常じゃないかと思う。そんな業界に二十五歳で飛び込もうとしているなんて、ほとんど無謀だ。
「いいじゃん。実際はともかく、ヒロは若く見えるもん。童顔って得だわ」
「それ、フォローになってない」
「えぇ、なんでよ?」
ルナが唇を尖らせる。その顔はまさしく可憐な少女で、余りの眩しさに直視できない。これじゃあまるでキミコイの主題歌だ。そんなことを考えているうちに一組目のステージが終わる。心なしか審査員の目が好意的に見えた。
こんなネガティブなことではダメだ。
「大丈夫。私たちは大人の厚みで魅せましょう」
若さが武器になる世界でもし勝ちあがれたら。それってすごいことだ。そう切り替えて微笑んでみせる。
「めずらしくポジティブじゃん」
ルナがキョトンとした顔する。
「ヒロの言う通りだね。負けてらんない。ぜったいに掴んでみせる」
呟いた横顔は切実で、応援したいような、守ってあげたいような気分になる。
「次は由奈&舞ペア」
二十歳前後の二人組がステージに上がる。背が高くて綺麗なロングヘアが印象的だ。曲は自分たちと同じ。高く澄んだ声で旋律を紡いでいく。
上品な歌い方だった。同じ曲でも歌い手によってさまざまな色がある。もちろん勝負だけど、出場者たちの熱を持った歌を聞くのは楽しかった。
やっぱり歌はいいな――。
美しい音に満たされていると時間も日常も忘れてしまう。早く歌いたくなってきて、私はじりじりしながら出番を待った。
「次は、ルナ&広子ペア」
ついに司会者に名前を呼ばれる。
ドキンと弾んだ心臓を飲み下して、ステージに立つ。大勢の目が私を見ている。店で歌った時とは比べものにはならない人数に、背筋が震えた。
私は人の波の中に茉理を探した。少し前まで俯いていた茉理が、一生懸命に顔を上げているのが見えた。その隣では奏夜が真っ直ぐにこちらを見つめている。
鼓動がすっと静まった。
頭上には青い空が広がり、声はどこまでも届きそうだ。目を閉じて体でカウントを取りながら、人々の興奮が混ざった風を体の深くまで吸い込む。
イ短調、始まりの音はラ。
私の声にルナの切なげな声が重なる。観客の視線、ステージを通り抜ける風を感じながら、悲しげだけどどこか心地よい旋律を紡いでいく。
自分の声とルナの声が共鳴しながら広がっていくのが、見える気がした。
遠い記憶を追って醒めない夢にすがる女。甘く暗い空想に堕ちていく心地良さにまどろみながら、それでも明日を捕まえようともがいているのは、私でありルナだ。この幸福を、この苦悩を誰かに知って欲しい。
気持ちを声に換えて曲を織り上げていく。
体の中が空っぽになるそばから、客たちの視線が空白を埋めていく。
不思議な感覚に全身トリハダが立った。声の調子がどんどん上がっていく。頬が熱い。
やっぱり、人前で歌うって最高――。
私は観客たちを見渡した。ステージと客席は近く、一人ひとりの顔が見える気がした。その中にはやっぱり茉理の姿があって必死でこちらに手を振っている。奏夜が形の良い唇を薄く開き、恍惚の表情を浮かべている。
雨のような拍手が鼓膜を叩いた。我に返って隣を見ると、白い頬を上気させ神々しくすらあるルナの姿が見えた。
「ヒロ! 最高だったね。ビリビリきたよ」
ステージを降りるなり、ルナがはしゃぎながら飛びついてくる。
「よかった。何が何だか分からない間に終わってて」
記憶が抜け落ち興奮だけが残っている。私も少しはルナに近付けていたのだろうか。
「別人って感じだった。マイクを持つと化けるよね」
「それ、褒めてるんだよね」
「あたりまえじゃん。あとは優勝の報告を待つだけだね」
「凄い自信。でも今は同意、かな?」
人事を尽くしたというのだろうか。確かな手ごたえがある。夢見心地のまま、茉理が待つ観客席に向かう。
「広子、よかったよ。鳥肌たった」
「ありがとう、マツリ。自分でもすごく気持ち良く歌えた」
さっきまでの緩慢な口調が嘘のように、茉理が元気よく私の手を握ってぶんぶん振った。
「だったら、あの二人くらい堂々としてなよ」
茉理が視線を背後に向ける。隆秋が人目もはばからずルナを抱きしめていた。生々しい抱擁に、幽かに不快感が込み上げる。
「ルナが優勝したら、会社の奴に自慢して良い?」
「いいよ。サインもつけてあげる」
隆秋の頬に軽くキスをすると、ルナはその腕からするりと抜け今度は奏夜にハグした。
「ソウ、どうだった? 最終は間違いないでしょ」
「うん、最高だった」
奏夜がルナの頭をぽんぽん撫でる。
二人の仲睦まじい様子を眺めながら、さっきからチリチリと胸が焦げそうだ。この感情の正体はなんだろう。焦り、不快、それとも嫉妬。なんだか混乱しそうだ。
「ほらヒロも出し切ったんだから一緒に喜ばないと」
こちらの気など知らず、ルナが桜貝のような唇をほころばせる。
どきりとしつつ輪に入る。どうかしている。今日が駄目だったら、この輪には二度と入れないというのに。終わらせたくない。ルナと奏夜の体温を手の平や背中に感じながら、そんな切実な思いが今になって込み上げてきた。



