九時過ぎにバイトをあがったルナと肩を並べて帰る。

「ねぇ、奏夜となに話してたの?」
「オーディション頑張れって励ましてくれたの」
「ふぅん。珍しいね。アイツがそんな気の利いたこと言えるんだ」

 ルナが猫目の瞳を丸くする。それからニッと弾けるように笑った。

「レアだし、ご利益ありそうじゃん。頑張ろうね、ヒロ」
「うん……」

 答える声が意図せず沈んだ。明後日で私の非日常は終わるかもしれない。そのことに寂しさを覚えた。

「ねぇルナ、聞いてもいい?」
「なに?」
「この前、どうして急に練習休んだの」

 いつまでも小さいことに拘るなんてと思うが、どうしても気になった。

「あぁ、あれね」
 少し迷うような素振りを見せてから、ルナは恥ずかしそうに話し出した。

「私、トレーニングがてら学校からシークレットベースまで走ってるの」
「うそ。結構な距離だよね」
「腹筋と肺活量も鍛わるし、電車代も浮くし一石二鳥なのよ。歌手は体力仕事だもん。でもぼーっとしてたら、つまづいて捻挫しちゃって」
「大変。大丈夫なの?」
「うん。湿布貼ったら治った。でも恥ずかしいじゃん。プロだったステージ前にケガなんてありえないもん。だから言えなかったの」

「すごいね、ルナは」
 さらりと出てくるプロ意識と地道な努力。眩しいくらい真っすぐだ。

「私さ、小学校の文集で将来の夢に公務員って書いたんだよね」
「なに、急に。てゆーか、めっちゃ真面目じゃん。つまんないなぁ」
「そう、つまんないの」

 五年生の時の文集の作文だった。他の子がパティシエや美容師、芸能人など華やかな職業をあげて夢一杯の作文を書く中、私はなんの面白味も無い将来を書いた。先生にはしっかりしていると褒められたが、誰よりもつまらない作文だったと今でも思う。

 何が楽しくて生きているの。
 
 屋上でルナに言われた通りだ。ただ失敗しないように縮こまって生きて楽しいはずがない。そうまでして一体、誰に笑われたくなかったのだろう。失敗しても満足ができる生き方。このところ不確かな道も悪くない気がしている。オーディションは希望だ。それも人生最後のかもしれない。

「ルナ、見つけてくれてありがとう」

「なに恥ずかしいこと言ってるのよ」
 ルナが頬を染めて笑う。風で雲が流れ、月明かりがルナの笑顔を照らす。
 やっぱり月の女神だ。ルナにはいつでもスポットライトが当たっている。
 見上げると白銀の三日月が笑っていた。私はそっと水っぽい夜気を吸いこんだ。