家庭訪問で担任の南先生に、先生が主催する合唱グループに入らないかと誘われた時のことだ。
「広子さんには歌の才能があります。ぜひ、本格的に勉強すべきです」
南先生は熱心に言った。
南先生は音楽の授業でシューベルトの魔王を弾き語りしてしまうような才能のある先生で、そんな先生に「広子さんには歌の才能がある」と言われ、私は雲の上にも昇るような気持だった。
「ねぇ、お母さん合唱、やってもいい?」
思わぬ才能が開花して有名人になれるかもしれない。期待に胸を膨らませ母に尋ねた。
「だめよ。アンタなんかが舞台に立ったらみっともないでしょ。男の子みたいだし、声もヘンだし」
あの時、母は今みたいに笑っていた。
「いえ、とんでもない。深みのある素敵な声ですよ」
「お世辞なんていいですよ、先生。あっ、よかったらお菓子をどうぞ。何軒も訪問して疲れたでしょう。ゆっくり休んでいってくださいな」
うろたえる南先生に、母は笑いながら、わざわざパティスリーで買ってきたマドレーヌを渡し、自分もフィナンシェを頬張った。
「広子さん、本当に歌が上手なんですよ。音楽の授業では誰よりも声が響いてて」
「やだわ。声が大きいだけですよ。広子に合唱なんて無理ですって。ねぇ、広子」
上機嫌に問いかけてくる母になんと答えていいか分からず、私は黙って自分の膝小僧を見つめていた。
「嫌ね、三年生にもなってまともに返事もできないなんて。この子、ピアノ教室の練習もちゃんとしないんですよ。ほんと恥ずかしいわ」
母はその後も笑顔で私の悪口を言い続け、先生はすっかり困っていた。
「お母さん、私、合唱やってみたい」
先生が帰ってから、私は勇気を振り絞って母に伝えた。先生が見つけてくれた才能をどうしても伸ばしてみたかったのだ。
「なに言ってるのよ。ピアノもろくに練習しないくせに。この前もバイエルで丸もらえなかったでしょ。他の子はできてたのに」
「ピアノは苦手だもん。でも歌は先生も上手いって」
ピアノの音は好きだけど弾くのは苦手だ。背の順で毎年一番前の私は手も小さくて、他の子が楽々届く和音にも指が届かない。
でも歌は違う。自分でも上手に歌えていると思う。私は母にそう力説した。
「あーあ。ちょっと褒められたからって調子に乗っちゃって」
母は呆れた顔をしていた。
「あんなのお世辞に決まってるでしょ。先生は自分の合唱のグループに人を集めたいだけなのよ。どうせ趣味でやってる小さなグループでしょ。そんな所で練習しても時間のムダ。それに南先生は音楽の先生だから、子どもに音楽を好きになってもらいたくて褒めてるの。才能があるなんて真に受けて、バカねぇ」
漫画みたいに「ぷっ」と吹きだした母の顔は今でも忘れない。棘となっていつまでも心に刺さっている。
私は二度と合唱クラブに入りたいとは言えなかった。
「広子さんには歌の才能があります。ぜひ、本格的に勉強すべきです」
南先生は熱心に言った。
南先生は音楽の授業でシューベルトの魔王を弾き語りしてしまうような才能のある先生で、そんな先生に「広子さんには歌の才能がある」と言われ、私は雲の上にも昇るような気持だった。
「ねぇ、お母さん合唱、やってもいい?」
思わぬ才能が開花して有名人になれるかもしれない。期待に胸を膨らませ母に尋ねた。
「だめよ。アンタなんかが舞台に立ったらみっともないでしょ。男の子みたいだし、声もヘンだし」
あの時、母は今みたいに笑っていた。
「いえ、とんでもない。深みのある素敵な声ですよ」
「お世辞なんていいですよ、先生。あっ、よかったらお菓子をどうぞ。何軒も訪問して疲れたでしょう。ゆっくり休んでいってくださいな」
うろたえる南先生に、母は笑いながら、わざわざパティスリーで買ってきたマドレーヌを渡し、自分もフィナンシェを頬張った。
「広子さん、本当に歌が上手なんですよ。音楽の授業では誰よりも声が響いてて」
「やだわ。声が大きいだけですよ。広子に合唱なんて無理ですって。ねぇ、広子」
上機嫌に問いかけてくる母になんと答えていいか分からず、私は黙って自分の膝小僧を見つめていた。
「嫌ね、三年生にもなってまともに返事もできないなんて。この子、ピアノ教室の練習もちゃんとしないんですよ。ほんと恥ずかしいわ」
母はその後も笑顔で私の悪口を言い続け、先生はすっかり困っていた。
「お母さん、私、合唱やってみたい」
先生が帰ってから、私は勇気を振り絞って母に伝えた。先生が見つけてくれた才能をどうしても伸ばしてみたかったのだ。
「なに言ってるのよ。ピアノもろくに練習しないくせに。この前もバイエルで丸もらえなかったでしょ。他の子はできてたのに」
「ピアノは苦手だもん。でも歌は先生も上手いって」
ピアノの音は好きだけど弾くのは苦手だ。背の順で毎年一番前の私は手も小さくて、他の子が楽々届く和音にも指が届かない。
でも歌は違う。自分でも上手に歌えていると思う。私は母にそう力説した。
「あーあ。ちょっと褒められたからって調子に乗っちゃって」
母は呆れた顔をしていた。
「あんなのお世辞に決まってるでしょ。先生は自分の合唱のグループに人を集めたいだけなのよ。どうせ趣味でやってる小さなグループでしょ。そんな所で練習しても時間のムダ。それに南先生は音楽の先生だから、子どもに音楽を好きになってもらいたくて褒めてるの。才能があるなんて真に受けて、バカねぇ」
漫画みたいに「ぷっ」と吹きだした母の顔は今でも忘れない。棘となっていつまでも心に刺さっている。
私は二度と合唱クラブに入りたいとは言えなかった。



