「アイス食いたいかも」
 ダブルベッドの上で、樋口が唐突にそうつぶやいた。
「冷凍庫にあんの?」
 俺は小さなあくびをしつつ、半身を起こしている樋口を見上げる。樋口の強い希望でカーテンがぴったりと閉じられているから、部屋の中には月明りすらない。光源と呼べるのはベッドボードに置かれた光るアヒルだけだ。
「んー、ない」
「ないのかよ」
 思わずふっと笑えば、細い指先が髪の間を通り抜けた。
「お前、よく笑うようになったよね」
「そうか? あんま変わんねえと思うけど」
「うん。僕の前では、あんまり笑わなかったでしょう」
 頭を撫でていた指先がたわむれに頬に触れる。光るアヒルが樋口の背後にいるせいで、表情はほとんど見えなかった。きっと愉快な顔をしているのだろうに、残念だ。
「そりゃ、お前がむかつくことばっか言ってたからだろ」
 こんな風に、触れ合うことを知らなかった学生の頃。全寮制の学校だったから、休みの日にも何かと顔を合わせては、互いにおちょくりあっては、罵りあった。目を閉じて思い返してみると、確かに、樋口の前では怒った顔ばかりしていたような気もする。
「話しかける術を、それしか知らなかったんだよ。お前と話がしたくて、一生懸命頭をひねってからかってたのに。清水、馬鹿正直にぜんぶ喧嘩を買うんだから」
「買ってほしくねえなら売るんじゃねーよ。好きな子に意地悪しちまうガキか」
「そうだよ」
 あの頃のように冗談半分で『好きな子』なんて言ってみたのに、樋口はそれをはっきりと肯定する。
「なっ」
 思わず目を見開けば、やわらかくほほ笑む樋口と目が合った。なんとも素敵なタイミングで通知がきたスマホの画面が、樋口の顔を下から照らす。普通のひとならホラー映画のワンシーンになりかねない角度で光が当たっているのに、イケメンだといっそロマンチックに見えるから不思議だ。
「僕は、あの頃からずっと、お前のことが好きだから」
 くすぐるように樋口の指先が耳を撫でる。電気なんかついていなくても分かる。鏡なんて見なくても自覚できる。体中の血液が沸騰して顔に集まっているんじゃないかってくらい、顔面が熱かった。
「あははっ! 僕が好きって言うと、なんでそんなに、毎回照れるのさ」
 樋口は肩を震わせて笑った。そういえば、こんな風に顔をくしゃくしゃにして笑うところは、恋人になるまで見たことがなかった気がする。
「うるせー。お前が羞恥心を道端に捨ててきてるから、俺がその分照れてやってんだよ」
「なにそれ。謎理論」
「うるせえ、うるせえ」
「あはは、馬鹿っぽい反論だ」
「お前の言動の方がバカップルのそれだろうが」
「バカップルってことは、清水も同罪じゃん。僕の恋人なんだから」
 上から顔を覗き込まれて言葉に詰まった。さっきから、好きだとか、恋人だとか、こいつは本当に恥ずかしいセリフを恥ずかしげもなく吐きやがる。にんまり笑った顔が近づいてきて、脊髄反射で目を閉じた。暗闇の中で、唇が触れる。
 キスの時には目を閉じる。
 そんな風に刷り込まれたのは、絶対に樋口のせいだ。
「っ、は、おまえ、アイスは」
「うん。あとで」
 まだ服を脱いだままだった体に、覆いかぶさってきた樋口の手が触れる。キスの仕方も、他人の温度も、軽く触れる指先がくすぐったいだけじゃないことも。ぜんぶ、樋口に会うまで、知らなかったのに。
「はぁー? おれ、っもう、アイス食う気分、なん、だけど」
 話しているのに指先が触れるから、呼吸が勝手に乱れる。
「うん、ごめんね」
 謝るくせに、一向に止まる気はないらしく、もう一度顔が近づく。目を閉じる。そのまま、思考がどろりと溶けていく。仕方がないから、俺は樋口の背中に爪を立てた。


 結局、俺たちがアイスにかじりついたのは日が昇る直前だった。時間がかかったのは、だいたい全部、樋口のせいだ。
「あの時間に宅配頼むやつ世界でお前だけだと思うわ」
 俺は半目で樋口を見た。心の中の呆れを素直に顔全体に出したというのに、樋口はどこ吹く風でコンビニのアイスをなめる。真ん中で縦に二つに割れるタイプの棒付きアイスだ。樋口が割ったら、綺麗な半分じゃなくて、数字の七と短い方に分かれてしまった。
「そう? でも運んでくれるひと居たんだから僕だけじゃないんじゃない」
「普通に歩けばよかっただろ。配達員が見つかるまで何時間かかったと思ってんだよ」
 散々笑ってから、正々堂々じゃんけんで勝負した結果勝ち取った、短い方を一口かじる。樋口は悠々と大きなアイスを食べている。
「しょうがないでしょう。お前、外に出せる顔してないんだから」
「誰のせいだと思ってんだよ、馬鹿」
 キッとにらみつければ、何がうれしいのか、樋口はまたにっこり笑った。
「うん。僕のせい」
 そう言って俺の指先をきゅっと握るこいつも。その指先を握り返してしまう俺も。
 たぶん、どっちも変わらず大馬鹿だ。

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