――また補習?
夏休みの補習帰りのこと。校舎の廊下を僕は歩いていた。
快晴でとても眩しい日だ。通りかかった扉が開いたままの空き教室。
その中の机に座って足をプラプラとさせている女子生徒に声をかけられた。
爽やかな明るい声。長い黒髪。第一ボタンを開けて赤のリボンを緩めていた。
おまけにスカート膝より少し上まで折っている。
僕は彼女を知っている。だが名前は憶えていない。
「別にいいだろ」
吸い込まれるように足を向ける。
彼女の座っている机の横の机に僕も座る。
今年も僕は彼女と少しの間、話すことにした。
――久しぶり
「久しぶり」
――また来たの?
「君が呼んだんだろ」
――ほんとは話したかったんでしょ?
「そりゃまぁ。君にはこの季節しか会えないからね」
僕と彼女は同じクラスでもなければ教室が近いわけでもない。
しかし、この季節だけは2人で閉校ギリギリまで話していた。
これもなにかの縁なのだろうか。それともたまたまだろうか。
「君も補習?」
――ううん
(補習でもないのに登校なんて変わっているな。彼女は学校がすきなのかな)
「学校すきなの?」
――すきじゃないけど前は楽しかったよ。きみは?
「同じだ。すきじゃない」
人と話すのも誰かと一緒にいるのもすきじゃない。
でも君といるときと話しているときは嫌いじゃない。
(君には友達は多かっただろう……)
「学校にいてもつまんないしね」
――でも、きみと話してるときは楽しいよ
「そりゃどうも」
――きみも笑いなよ
そう言って彼女ははにかんだ。
爽やかな、夏がよく似合う笑顔だった。
今度はその笑顔を絶やさないでいてくれるだろうか。
僕は彼女の顔をしっかりと見ることができなかった。
「いつからここに居るの?」
――うーん。去年くらいからかな
彼女は笑っているが僕は笑えない。去年からなんて冗談だと思いたい。
「笑えない冗談だな」
――そうかな。私はきみに笑っててほしいんだよ
「……そうかい。なにしに学校に出てきたのさ」
――きみを待ってたんだよ
「なんのために……?」
――私がいたらさ、きみがまた笑ってくれるかなと思ってさ
「……それで僕を待つ時間はどうだった?」
――それはとても暇だったよ
そう言って彼女は座っていた机からぴょんっと飛び降りた。
それから、近くの安全策のない窓を半分開けて、青空を見上げた。
生暖かい風が教室に一気に吹き込む。教室が暑いせいか涼しく感じる。
――やることないし誰もいないしさぁ
「君は誰にも見られてないからね」
普段は使われてない空き教室だ。
なかなかこの教室に入ってくる人はいない。
もし来るとしても教師か用事のある生徒だけ。
――ひどいなぁ。まさか影が薄いって言いたいの?
「……ごめん。そこまで言ってないよ」
――まぁ、そのとおりなんだけどさ
「だからそこまで言ってないって」
――それはそうと、きみはこれからどこへ行くの?
「まだなんにも決まってない。でもとりあえず進学かな。君は?」
高校2年生の夏休み。
進学を決めるには少し遅いかもしれない。
そろそろ進路を決めておくべきなのかも知れない。
――実は私もまだ決まってないだよねぇ。でもきみと同じところ行きたいかな
彼女は窓の枠より少し内側に肘をついて答えた。
後半のほう彼女の声が小さくてなんて言っているか聞き取れなかった。
「最後のほうなんて言ったの?」
――ううん。大学とかいってみたいなぁって
「君の今の学力ならいけるでしょ」
彼女は僕なんかよりずっと頭がいい。
僕なんかよりもずっといいところに行けるのに。
なぜ、彼女は勉強しないでこんなところにいるのか。
――できればここにずっといたいな
「と言うと?」
――涼しいし居心地がいい
それを聞いて、聞くんじゃなかったという気持ちになった。
ちゃんとしたまじめな答えが返ってくると思っていたから。
――あとずっと高校生でいたい
「できるといいな」
それから僕と彼女は他愛のない話やくだらない話をした。
この時間がずっと続けばと僕はそう思っていた。いや思ってしまった。
気付けば午後6時を過ぎようとしていた。夕暮れの空が彼女を照らしていた。
「もう6時か」
――はやいねぇ
そう言いながら彼女は窓を全開にして窓枠に座った。
後ろに体重を預けたらそのまま頭から落ちてしまいそうだ。
「何をしてるんだ。危な――」
――もう、私のことは忘れなよ?
僕の言葉を遮り彼女はそう言った。
彼女は靴と靴下を脱いで壁際に揃えた。
「何をして――」
――ありがとう。楽しかったよ。さようなら
彼女はまた僕の言葉を遮り、後ろに倒れた。
彼女の座っていた場所に僕は手を伸ばしたけどその手が届くことはなかった。
窓枠に手をつき1階を見下ろす。外を見渡してもどこにも彼女はそこにいなかった。
コンクリートの床。そこに広く濃いシミが残っていた。
夕暮れの空。1人だけになった教室。ジジジ、とセミの声だけが響いていた。
「また助けられなかった……」
涙で視界が滲み溢れて零れる。夕焼けが反射して余計に眩しい。
僕と彼女の2度目の別れ。2度目のはずなのに1回目よりもっと辛い。
1年前。この日、僕は彼女と同じ別れ方をした。
夏休みの補習帰りのこと。校舎の廊下を僕は歩いていた。
快晴でとても眩しい日だ。通りかかった扉が開いたままの空き教室。
その中の机に座って足をプラプラとさせている女子生徒に声をかけられた。
爽やかな明るい声。長い黒髪。第一ボタンを開けて赤のリボンを緩めていた。
おまけにスカート膝より少し上まで折っている。
僕は彼女を知っている。だが名前は憶えていない。
「別にいいだろ」
吸い込まれるように足を向ける。
彼女の座っている机の横の机に僕も座る。
今年も僕は彼女と少しの間、話すことにした。
――久しぶり
「久しぶり」
――また来たの?
「君が呼んだんだろ」
――ほんとは話したかったんでしょ?
「そりゃまぁ。君にはこの季節しか会えないからね」
僕と彼女は同じクラスでもなければ教室が近いわけでもない。
しかし、この季節だけは2人で閉校ギリギリまで話していた。
これもなにかの縁なのだろうか。それともたまたまだろうか。
「君も補習?」
――ううん
(補習でもないのに登校なんて変わっているな。彼女は学校がすきなのかな)
「学校すきなの?」
――すきじゃないけど前は楽しかったよ。きみは?
「同じだ。すきじゃない」
人と話すのも誰かと一緒にいるのもすきじゃない。
でも君といるときと話しているときは嫌いじゃない。
(君には友達は多かっただろう……)
「学校にいてもつまんないしね」
――でも、きみと話してるときは楽しいよ
「そりゃどうも」
――きみも笑いなよ
そう言って彼女ははにかんだ。
爽やかな、夏がよく似合う笑顔だった。
今度はその笑顔を絶やさないでいてくれるだろうか。
僕は彼女の顔をしっかりと見ることができなかった。
「いつからここに居るの?」
――うーん。去年くらいからかな
彼女は笑っているが僕は笑えない。去年からなんて冗談だと思いたい。
「笑えない冗談だな」
――そうかな。私はきみに笑っててほしいんだよ
「……そうかい。なにしに学校に出てきたのさ」
――きみを待ってたんだよ
「なんのために……?」
――私がいたらさ、きみがまた笑ってくれるかなと思ってさ
「……それで僕を待つ時間はどうだった?」
――それはとても暇だったよ
そう言って彼女は座っていた机からぴょんっと飛び降りた。
それから、近くの安全策のない窓を半分開けて、青空を見上げた。
生暖かい風が教室に一気に吹き込む。教室が暑いせいか涼しく感じる。
――やることないし誰もいないしさぁ
「君は誰にも見られてないからね」
普段は使われてない空き教室だ。
なかなかこの教室に入ってくる人はいない。
もし来るとしても教師か用事のある生徒だけ。
――ひどいなぁ。まさか影が薄いって言いたいの?
「……ごめん。そこまで言ってないよ」
――まぁ、そのとおりなんだけどさ
「だからそこまで言ってないって」
――それはそうと、きみはこれからどこへ行くの?
「まだなんにも決まってない。でもとりあえず進学かな。君は?」
高校2年生の夏休み。
進学を決めるには少し遅いかもしれない。
そろそろ進路を決めておくべきなのかも知れない。
――実は私もまだ決まってないだよねぇ。でもきみと同じところ行きたいかな
彼女は窓の枠より少し内側に肘をついて答えた。
後半のほう彼女の声が小さくてなんて言っているか聞き取れなかった。
「最後のほうなんて言ったの?」
――ううん。大学とかいってみたいなぁって
「君の今の学力ならいけるでしょ」
彼女は僕なんかよりずっと頭がいい。
僕なんかよりもずっといいところに行けるのに。
なぜ、彼女は勉強しないでこんなところにいるのか。
――できればここにずっといたいな
「と言うと?」
――涼しいし居心地がいい
それを聞いて、聞くんじゃなかったという気持ちになった。
ちゃんとしたまじめな答えが返ってくると思っていたから。
――あとずっと高校生でいたい
「できるといいな」
それから僕と彼女は他愛のない話やくだらない話をした。
この時間がずっと続けばと僕はそう思っていた。いや思ってしまった。
気付けば午後6時を過ぎようとしていた。夕暮れの空が彼女を照らしていた。
「もう6時か」
――はやいねぇ
そう言いながら彼女は窓を全開にして窓枠に座った。
後ろに体重を預けたらそのまま頭から落ちてしまいそうだ。
「何をしてるんだ。危な――」
――もう、私のことは忘れなよ?
僕の言葉を遮り彼女はそう言った。
彼女は靴と靴下を脱いで壁際に揃えた。
「何をして――」
――ありがとう。楽しかったよ。さようなら
彼女はまた僕の言葉を遮り、後ろに倒れた。
彼女の座っていた場所に僕は手を伸ばしたけどその手が届くことはなかった。
窓枠に手をつき1階を見下ろす。外を見渡してもどこにも彼女はそこにいなかった。
コンクリートの床。そこに広く濃いシミが残っていた。
夕暮れの空。1人だけになった教室。ジジジ、とセミの声だけが響いていた。
「また助けられなかった……」
涙で視界が滲み溢れて零れる。夕焼けが反射して余計に眩しい。
僕と彼女の2度目の別れ。2度目のはずなのに1回目よりもっと辛い。
1年前。この日、僕は彼女と同じ別れ方をした。

