「ふぁ〜あ……」
五月の風がそよぐ中、文芸部の部室で大あくびをする人物がいた。
俺こと、乾文也である。
俺は今日、少々寝不足だった。
執筆中の小説が山場を迎え、寝る前に少しだけ、あと少しだけ……と書き進めていると、気が付けば日付が変わって久しい時刻になっていたのだ。
うーん、昨日はちょっと張り切りすぎた。執筆に夢中になると時間を忘れる癖、いい加減直さないとな。そのうち体を壊しそうだ。そうなったら元も子もない。俺は小説を書き続けたいから書いているわけであって、体を壊すために書いているんじゃあないからな。
――四月に加入した新入部員、空道凛。
今日、彼女は部室には来ない。
明日の体育祭に向けた準備を手伝うことになったらしい。たぶんあれだよな、保護者用テントを張るやつ。俺も手伝ったことはあるが、体力のなさ、あるいは運動神経のなさが災いしてもう少しで張れそうだったテントを盛大に崩したことがあり、それ以降手を出さないようにしている。賢明な判断ってやつだ。
話し相手もおらず暇を持て余す俺は、ついでにもう一つあくびをしようとした。
そのとき。
ガラゴロ、とお世辞にも建て付けがいいとは言えない部室の扉が開く。
あくびをする直前の俺と、そいつの目が合う。
……これ、ドン引きされるやつか?
「……何をしているのですか?」
案の定、うわぁ……と言いたげな渋い目線が突き刺さる。凛君といいこいつといい、みんなして俺の扱い雑じゃないか?俺に威厳が足りないのか?
「あくびしようとしたところだな」
今、引っ込んだがな。
へー、と気のない返事をしながら、そいつは部室に足を踏み入れる。
「しばらく来ないんじゃなかったのか?」
「ええ、まぁ。忘れ物を取りに来ただけです」
そいつは黒い髪をなびかせ、迷いのない足取りで備え付けの棚に向かう。
ああ、あの詩集な。
心当たりはあった。そいつのお気に入りの詩人の処女詩集が、部室に置きっぱなしになっていたのだ。
そいつは棚から例の詩集を取り出し、それを大切そうに抱える。そしてさっさと部室から出て行こうとするそいつを、俺は引き留める。
「まぁまぁ、そう急がなくてもいいだろ?ちょうど話し相手がいなくて退屈してたんだ、くつろいでいけよ、な?」
そいつは「私は暇ではないのですけれど……」と言いつつも、勧めた椅子に腰を下ろしてくれる。
やったぜ。
「あ、そういえば、新入部員が入ったと聞いたのですが」
部活に顔を出していなくてもそれを知っている辺り、こいつの情報網はどうなっているんだ?
「ああ、入学生から一人、来てくれたよ」
「へぇ、どんなあくどい手を使ったんですか?」
「ひどい!」
あまりにも信頼がない。信頼は何を元手に作るんだ?分からないが、威厳ではなさそうだな。
「その子が部室に来ていないということは、無理やり勧誘したか、名前だけ貸してもらったかのどちらかでしょう?」
「いや今日は偶々来られないだけだって!」
名前だけって。それは幽霊部員って言うんだぞ。
少なくとも、俺の在学中は幽霊部員なんて認めないからな。絶対に。
「ほら、明日は体育祭だろ?その手伝いだとさ」
「ああ……」
体育祭の手伝い。
その言葉を聞いていつぞやの俺の失態を思い出したらしいそいつは、何かかわいそうなものを見る目で俺を見た。やめろ、あんな大昔のことなんて忘れてくれ。
「その新入部員の子、どれくらいの頻度で来ているのですか?」
俺が何を話しても気のない返事ばかりのこいつが、誰かのことを知りたがるのは珍しい。俺はいささか調子に乗って語り出す。
「平日は毎日来てくれてるな。初めは面倒くさそうにしていたが、何回か教室に突撃したらちゃんと部活に出てくれるようになった!」
「うわ……」
「ちなみにこの前まで部室の掃除をしていたんだが、凛君のおかげで見違えるくらい綺麗になったぞ」
「あぁ……どうりで、ズボラが発動されていないと思ったら」
絶対に部室が荒れていると思って来たのに意外と整っていて驚いていたんですよね、と事もなげにそいつは言う。……そんなに散らかしてたつもりもないけどなぁ。
凛君も掃除をしている間、ずっと「何これあり得ない」と呟いていたっけ。この二人、意外と気が合うのかもしれない。綺麗好きがこんなに身近に、しかも二人いるとはなぁ。
「入部して早々、先輩のズボラの結果の後始末をやらされるとは……かわいそうな一年生ですね。どんな子なのですか?」
まぁ、うん。凛君には世話をかけたとは思うので反論はしない。でも、そこまで言わなくてもよくないか?
「凛君は何と言うか、クールな印象だな。何事にも動じない……はちょっと違うか?根が真面目っていうか。とにかく、落ち着いたやつだな」
あと、無茶振りしても文句言いつつこなしてくれそう。
「へぇ、それなら私と同類ですかね」
「……お前のそういうところ、嫌いじゃないぞ」
あんたすぐ怒るし意外と子どもっぽいところあるだろ、と零すと、キッと睨まれる。おっと口が滑った。さらなる地雷を踏む前に話題を変えよう。
「あ、そうそう、明日の体育祭の部活動対抗リレー、頼むぞ。アンカーでいいか?」
俺の足が遅いことは知ってるだろ?と問いかけると、俺の予想に反し、すっと目をそらされた。……なんだろう、嫌な予感がする。
果たしてそいつは、俺の予感を当てるべく口を開いた。
「申し訳ないのですが、私、明日は学校にいません」
「……え、な、なんでだよ?」
まさか体調不良になる予定とか言い出すんじゃないだろうな、と眉をひそめて次の言葉を待つ。
「この前応募した詩文で賞を取ったので、その表彰式に出席しないといけなくて……まぁ体育祭だしいいかと思って、向こうには出席の予定を伝えています」
「おー……さすがセンセイだな」
でも体育祭だからいいか、じゃないんだよ。いてくれないとこっちは困るんだって。
「申し訳ありません。伝達したつもりでいました」
……それなら仕方ないな。俺もよくやる。
「そうかぁ……どうしようか、まさか俺が二回分走るわけにもいかないだろうし」
もしそんなことをしたらぶっちぎりの最下位だぞ。俺のせいで全校生徒を持たせることになる。……いや、その場合、順位が決まった時点で退場になるのか?それはそれで複雑なんだが。
「御冗談を。普通に新入部員の子に走ってもらえばいいのでは?」
「それはちょっと思った」
たぶんそれが一番無難な解決法だ。しかし気乗りしない理由がある。
「前日、もしくは当日にアンカーで走ってくれなんて言われて、走ってくれると思うか?凛君ならまだ走ってくれそうな気はするが、確実に白い目で見られるだろ……」
今回に限っては俺悪くないのに。
「がんばってください」
「いや誰のせいだよ!」
全く、物書きは自由人が多くて困るな。自分のことは一旦棚に上げ、軽くため息をつく。
「まぁそれは置いておくとして。受賞おめでとう。ちなみに、今回のご褒美は何をご所望で?」
「そうですねぇ……タルトが食べたいです」
「金銭的に大丈夫かそれ」
あんたが食べたいって言うの、だいたい高級菓子だろ。そしてタルト。先生の財布が心配だ。
「無事受賞したのだから、それくらいはいいでしょう?」
私これでもがんばったんですから、と胸を張っている。受賞してるんだし、それは事実か。もう何も言うまい。
自信に満ち溢れた様子のそいつは、天狗になりながらも次を見据えているらしかった。
「ふふん、この調子で本命の賞も取ってみせますよ」
ああ、言ってたな。確か、
「いつも言ってる『あの人』の文学賞、だったよな?」
「ええこの機会は絶対に逃しません、絶対モノにしてみせます」
「意気込みがすごいな……」
早口。「絶対」って二回言った。そして目がマジだ。
これは本気で賞を取りに行くときの顔だな。
「相変わらずだなぁ」
「もちろんです。だってこの人はすごいんですよ、詩文も短歌も美しい上に数多くの童謡を生み出し、もはや彼の作品を一つも知らない日本人など存在しないほどの方なのですから」
私は詩文ならこれが好きで短歌ならこの一首が好きで童謡なら……と、そいつの「推し語り」が始まった。これは延々と聞かされるパターンだな。
おい、その語りは何度も聞いたぞ。
軽率に触れたのがまずかったかな、と思いつつもそいつの話に耳を傾ける。好きなことに一生懸命かつ真っすぐなところがこいつの美点であり、尊敬すべきところだ。推しを語るとなったら同じ話を延々としてしまうのが玉にキズだが。
こいつ曰く、『あの人』の作品が好きで好きでたまらないからこそ、『あの人』関連の文学賞は喉から手が出るほど欲しいものらしい。芥川賞を渇望するあまりいろいろとやらかしたとある文学者を彷彿とさせる姿に少々心配もするが、こいつなら滅多なことはしないはずだ。……しないよな?
何かの賞に応募するとき、俺はその応募内容を見た上でどの作品をどこに出すのかを選ぶ人間だ。そのため、「どうしてもこの賞が欲しい!」といった経験が一つもなく、賞に手が届かなかったとき、こいつが何をしでかすか分からない。それが怖い。ものすごく怖い。
俺は嫌だぞ、我が文芸部からメートルレターを出すような人間が排出されるのは。
「……では、私はそろそろ帰りますね」
一通り推しを語り終えて満足したらしいそいつは、応募用の作品を完成させねば、と立ち上がる。
こいつ……創作活動に関しては本当に真面目というか、真摯なんだよなぁ。
「おう、がんばれよ」
陰ながら応援してるぞー、と言うと「騒がしいあなたが『陰ながら』は無理なのでは?」と返される。辛辣である。
……やっぱりこいつ、凛君と気が合いそうだな。
奴が帰ったあと、凛君に体育祭の件を打診すべく運動場へ向かった。しかしながら、そこにはすでに誰もおらず。どうやら今年の体育祭実行委員は優秀らしい、と考えながら明日のことを思い、苦笑いを浮かべる。
俺にしては珍しいため息に、夕日だけが耳を傾けていた。
五月の風がそよぐ中、文芸部の部室で大あくびをする人物がいた。
俺こと、乾文也である。
俺は今日、少々寝不足だった。
執筆中の小説が山場を迎え、寝る前に少しだけ、あと少しだけ……と書き進めていると、気が付けば日付が変わって久しい時刻になっていたのだ。
うーん、昨日はちょっと張り切りすぎた。執筆に夢中になると時間を忘れる癖、いい加減直さないとな。そのうち体を壊しそうだ。そうなったら元も子もない。俺は小説を書き続けたいから書いているわけであって、体を壊すために書いているんじゃあないからな。
――四月に加入した新入部員、空道凛。
今日、彼女は部室には来ない。
明日の体育祭に向けた準備を手伝うことになったらしい。たぶんあれだよな、保護者用テントを張るやつ。俺も手伝ったことはあるが、体力のなさ、あるいは運動神経のなさが災いしてもう少しで張れそうだったテントを盛大に崩したことがあり、それ以降手を出さないようにしている。賢明な判断ってやつだ。
話し相手もおらず暇を持て余す俺は、ついでにもう一つあくびをしようとした。
そのとき。
ガラゴロ、とお世辞にも建て付けがいいとは言えない部室の扉が開く。
あくびをする直前の俺と、そいつの目が合う。
……これ、ドン引きされるやつか?
「……何をしているのですか?」
案の定、うわぁ……と言いたげな渋い目線が突き刺さる。凛君といいこいつといい、みんなして俺の扱い雑じゃないか?俺に威厳が足りないのか?
「あくびしようとしたところだな」
今、引っ込んだがな。
へー、と気のない返事をしながら、そいつは部室に足を踏み入れる。
「しばらく来ないんじゃなかったのか?」
「ええ、まぁ。忘れ物を取りに来ただけです」
そいつは黒い髪をなびかせ、迷いのない足取りで備え付けの棚に向かう。
ああ、あの詩集な。
心当たりはあった。そいつのお気に入りの詩人の処女詩集が、部室に置きっぱなしになっていたのだ。
そいつは棚から例の詩集を取り出し、それを大切そうに抱える。そしてさっさと部室から出て行こうとするそいつを、俺は引き留める。
「まぁまぁ、そう急がなくてもいいだろ?ちょうど話し相手がいなくて退屈してたんだ、くつろいでいけよ、な?」
そいつは「私は暇ではないのですけれど……」と言いつつも、勧めた椅子に腰を下ろしてくれる。
やったぜ。
「あ、そういえば、新入部員が入ったと聞いたのですが」
部活に顔を出していなくてもそれを知っている辺り、こいつの情報網はどうなっているんだ?
「ああ、入学生から一人、来てくれたよ」
「へぇ、どんなあくどい手を使ったんですか?」
「ひどい!」
あまりにも信頼がない。信頼は何を元手に作るんだ?分からないが、威厳ではなさそうだな。
「その子が部室に来ていないということは、無理やり勧誘したか、名前だけ貸してもらったかのどちらかでしょう?」
「いや今日は偶々来られないだけだって!」
名前だけって。それは幽霊部員って言うんだぞ。
少なくとも、俺の在学中は幽霊部員なんて認めないからな。絶対に。
「ほら、明日は体育祭だろ?その手伝いだとさ」
「ああ……」
体育祭の手伝い。
その言葉を聞いていつぞやの俺の失態を思い出したらしいそいつは、何かかわいそうなものを見る目で俺を見た。やめろ、あんな大昔のことなんて忘れてくれ。
「その新入部員の子、どれくらいの頻度で来ているのですか?」
俺が何を話しても気のない返事ばかりのこいつが、誰かのことを知りたがるのは珍しい。俺はいささか調子に乗って語り出す。
「平日は毎日来てくれてるな。初めは面倒くさそうにしていたが、何回か教室に突撃したらちゃんと部活に出てくれるようになった!」
「うわ……」
「ちなみにこの前まで部室の掃除をしていたんだが、凛君のおかげで見違えるくらい綺麗になったぞ」
「あぁ……どうりで、ズボラが発動されていないと思ったら」
絶対に部室が荒れていると思って来たのに意外と整っていて驚いていたんですよね、と事もなげにそいつは言う。……そんなに散らかしてたつもりもないけどなぁ。
凛君も掃除をしている間、ずっと「何これあり得ない」と呟いていたっけ。この二人、意外と気が合うのかもしれない。綺麗好きがこんなに身近に、しかも二人いるとはなぁ。
「入部して早々、先輩のズボラの結果の後始末をやらされるとは……かわいそうな一年生ですね。どんな子なのですか?」
まぁ、うん。凛君には世話をかけたとは思うので反論はしない。でも、そこまで言わなくてもよくないか?
「凛君は何と言うか、クールな印象だな。何事にも動じない……はちょっと違うか?根が真面目っていうか。とにかく、落ち着いたやつだな」
あと、無茶振りしても文句言いつつこなしてくれそう。
「へぇ、それなら私と同類ですかね」
「……お前のそういうところ、嫌いじゃないぞ」
あんたすぐ怒るし意外と子どもっぽいところあるだろ、と零すと、キッと睨まれる。おっと口が滑った。さらなる地雷を踏む前に話題を変えよう。
「あ、そうそう、明日の体育祭の部活動対抗リレー、頼むぞ。アンカーでいいか?」
俺の足が遅いことは知ってるだろ?と問いかけると、俺の予想に反し、すっと目をそらされた。……なんだろう、嫌な予感がする。
果たしてそいつは、俺の予感を当てるべく口を開いた。
「申し訳ないのですが、私、明日は学校にいません」
「……え、な、なんでだよ?」
まさか体調不良になる予定とか言い出すんじゃないだろうな、と眉をひそめて次の言葉を待つ。
「この前応募した詩文で賞を取ったので、その表彰式に出席しないといけなくて……まぁ体育祭だしいいかと思って、向こうには出席の予定を伝えています」
「おー……さすがセンセイだな」
でも体育祭だからいいか、じゃないんだよ。いてくれないとこっちは困るんだって。
「申し訳ありません。伝達したつもりでいました」
……それなら仕方ないな。俺もよくやる。
「そうかぁ……どうしようか、まさか俺が二回分走るわけにもいかないだろうし」
もしそんなことをしたらぶっちぎりの最下位だぞ。俺のせいで全校生徒を持たせることになる。……いや、その場合、順位が決まった時点で退場になるのか?それはそれで複雑なんだが。
「御冗談を。普通に新入部員の子に走ってもらえばいいのでは?」
「それはちょっと思った」
たぶんそれが一番無難な解決法だ。しかし気乗りしない理由がある。
「前日、もしくは当日にアンカーで走ってくれなんて言われて、走ってくれると思うか?凛君ならまだ走ってくれそうな気はするが、確実に白い目で見られるだろ……」
今回に限っては俺悪くないのに。
「がんばってください」
「いや誰のせいだよ!」
全く、物書きは自由人が多くて困るな。自分のことは一旦棚に上げ、軽くため息をつく。
「まぁそれは置いておくとして。受賞おめでとう。ちなみに、今回のご褒美は何をご所望で?」
「そうですねぇ……タルトが食べたいです」
「金銭的に大丈夫かそれ」
あんたが食べたいって言うの、だいたい高級菓子だろ。そしてタルト。先生の財布が心配だ。
「無事受賞したのだから、それくらいはいいでしょう?」
私これでもがんばったんですから、と胸を張っている。受賞してるんだし、それは事実か。もう何も言うまい。
自信に満ち溢れた様子のそいつは、天狗になりながらも次を見据えているらしかった。
「ふふん、この調子で本命の賞も取ってみせますよ」
ああ、言ってたな。確か、
「いつも言ってる『あの人』の文学賞、だったよな?」
「ええこの機会は絶対に逃しません、絶対モノにしてみせます」
「意気込みがすごいな……」
早口。「絶対」って二回言った。そして目がマジだ。
これは本気で賞を取りに行くときの顔だな。
「相変わらずだなぁ」
「もちろんです。だってこの人はすごいんですよ、詩文も短歌も美しい上に数多くの童謡を生み出し、もはや彼の作品を一つも知らない日本人など存在しないほどの方なのですから」
私は詩文ならこれが好きで短歌ならこの一首が好きで童謡なら……と、そいつの「推し語り」が始まった。これは延々と聞かされるパターンだな。
おい、その語りは何度も聞いたぞ。
軽率に触れたのがまずかったかな、と思いつつもそいつの話に耳を傾ける。好きなことに一生懸命かつ真っすぐなところがこいつの美点であり、尊敬すべきところだ。推しを語るとなったら同じ話を延々としてしまうのが玉にキズだが。
こいつ曰く、『あの人』の作品が好きで好きでたまらないからこそ、『あの人』関連の文学賞は喉から手が出るほど欲しいものらしい。芥川賞を渇望するあまりいろいろとやらかしたとある文学者を彷彿とさせる姿に少々心配もするが、こいつなら滅多なことはしないはずだ。……しないよな?
何かの賞に応募するとき、俺はその応募内容を見た上でどの作品をどこに出すのかを選ぶ人間だ。そのため、「どうしてもこの賞が欲しい!」といった経験が一つもなく、賞に手が届かなかったとき、こいつが何をしでかすか分からない。それが怖い。ものすごく怖い。
俺は嫌だぞ、我が文芸部からメートルレターを出すような人間が排出されるのは。
「……では、私はそろそろ帰りますね」
一通り推しを語り終えて満足したらしいそいつは、応募用の作品を完成させねば、と立ち上がる。
こいつ……創作活動に関しては本当に真面目というか、真摯なんだよなぁ。
「おう、がんばれよ」
陰ながら応援してるぞー、と言うと「騒がしいあなたが『陰ながら』は無理なのでは?」と返される。辛辣である。
……やっぱりこいつ、凛君と気が合いそうだな。
奴が帰ったあと、凛君に体育祭の件を打診すべく運動場へ向かった。しかしながら、そこにはすでに誰もおらず。どうやら今年の体育祭実行委員は優秀らしい、と考えながら明日のことを思い、苦笑いを浮かべる。
俺にしては珍しいため息に、夕日だけが耳を傾けていた。
