副会長の青春は、恋と少し(?)のポンコツで出来ている。



◇◇


「……安西会長」
 
 夕方の生徒会室前。慎重にドアを開けて中に入る僕を、見覚えのある背中が迎えた。
「来たな、東山」
 顔は見えないけど、呼びかけに応える声で彼の人だと確信する。生徒会長選挙が終わり体育館の片付けを手伝った後、ふと思い立って来てみたけど……この口ぶりはまるで僕が来るのを待っていたみたいだ。
「俺が生徒会長としてここに来るのもあと僅かだと今更ながら気づいてな、柄にもなく感傷に浸っていたよ」
 安西会長が立った状態で見下ろしているのは部屋の一番奥にある、歴代の生徒会長が使ってきた席。来週からここは僕の席になり、同時にこの人は生徒会を引退する。
「……この間はすみませんでした」
 振り返る気配はないものの、意識はこちらに向けられているようなのでその背に向かって浅く頭を下げる。
「あの時、一時の感情に流されて……会長の期待を裏切るようなことをしてしまいました」

 “あの時”。

 甘利くんへの嫉妬に駆られた僕は、接触禁止の通達のなか仕事にかこつけて安西会長に縋ろうとした結果──厳しい追及を受けた。その時は何も言えず南條先輩と途中退場したけど、選挙に勝って会いに行けたらまずはちゃんと謝ろうと決めていたのだ。
「あなたは僕の選択を信じて通達を守ろうとしてくれたのに……僕が自分を信じてあげられなかった」
「……」
 聞こえやすいようゆっくり話す僕に会長が相槌をうつなどはない。だけど耳を澄ませているようにも見えるので、そのまま続けることにする。
「会長も仰ってた通り……僕は本当は思慮深い方じゃありません」
「……」
「でも南條先輩や間壁先輩……生徒会のみんなの力を借りて、自分でもたくさん考えて動いたら次の生徒会長に選んでもらえました。僕は周りが思うほど有能じゃないけど、自分が思ってるより出来ないわけじゃない。今回の選挙でそれが分かりました。だからもう迷いはありません、安心して任せてください」
 自分には生徒会長は荷が重いと、思う気持ちが完全になくなったわけじゃない。だけどそうやって冷静に自分を見て、努力することと考えること、周りの力をうまく借りることを忘れなければ大丈夫なはず。僕はこれまで生徒会長になることについて後ろ向きなことばかり言っていたから、いざ就任した際にこの人に余計な心配をかけないようにしておきたかった。
「……それから……」 
 と、ここまできて一番言いたいことが喉につかえて出てこない。こちらに背を向けたままで、未だに安西会長の表情が見えないのも不安を煽る。それでも僕は自分の言葉でこの人に伝えないといけない。事前に作られた原稿をもとに応援演説を務めた南條先輩が、最後にはアドリブという形で気持ちを伝えてくれたように。
「それから……こんな結果になっちゃったけど、僕まだ会長のことが好きです」
 選挙に勝ったら胸を張って会いに行けると思ったのに、実際は緊張のあまりやや猫背気味だしやっと出たそれは『好き』のところでちょっと声が裏返ってしまった。思い返せば好きだとか可愛いだとかストレートに伝えてくれたのはいつも会長の方で、僕はそれにただ答えるための言葉を探すだけだった。……許されるのなら、今度は僕からもたくさん伝えたい。
「ちゃんと仕事して立派な生徒会長になれたら、また告白しに行っても良いですか……?」
「……」
 恐る恐る問いかけるけど、相変わらず反応はない。そういえば僕ら別れてから一週間も経ってない、それでこんな迫られ方したらさすがに困惑するか……!と今更後悔の気持ちが湧きあがったところで、これまで微動だにしなかった会長の後頭部がぴくりと動いた。

「……君が」

 徐に口を開きながら、いよいよ会長がこちらを振り返る。あの時のような、僕への不快感を前面に押し出した険しいものじゃない落ち着いた面持ちに思わずほっと息をついた。 
「自己評価と生徒会おれたちが持つ印象に大きな差があることに悩んでいることは分かっていた。生徒会長など自身には荷が重いと思ってることも……事実周りが言うほど器用な方ではないということも」
「……え……」
 さっきまで沈黙を守っていたのが嘘のような語り口と内容に、南條先輩に言い当てられた時とは違う種類の緊張が走る。それが本当なら会長は、僕が実際は有能とは対極のところにいるポンコツだと気づいた上で生徒会副会長を任せていたばかりか──“好きなタイプ”に掠りもしない相手に告白して付き合っていたことになる。
「それでも俺は君を生徒会長にしたかった。 人一倍努力を重ねてきた君の言葉はきっと多くの生徒に響き、良い影響を与えてくれる。かく言う俺がそうだ、よく考え研ぎ澄まされた言葉に何度も救われ──感心が気づけば恋に変わっていた」
 不意に出た“恋”という単語に、場違いにも高鳴る胸。さすがに過去形で言ってるんだろう。……言ってるんだろうけど。
「しかし次期生徒会長としてさらなる成長を求め、あの時は必要以上に厳しく接してしまった。……君が思慮深くないだなんて嘘だ、いつだって誰よりも生徒会のことを考え行動していることを俺は知っている」
「会長……」
「君の方は、こんな俺に失望しただろう。先達せんだつとしての責務を全うしようとするあまり、恋人としての役割を失念した男だと」
「そんなっ、失望させたのは僕の方じゃあ──」
「俺が君を見限ることはない。前にも言っただろう」
「ぼっ、僕だって会長を見限ることはありません!だからこうして……っ」
 事実確認をしようとしてぴしゃりと跳ね返されたのを怯まず言い返す。なんだかんだまた告白しに来ても良いかについて返事をもらえてないし、 この勢いで聞いてしまおう。そう決意して口を開いたけど──実現しなかった。
「──俺の浅ましいところはな、東山」
 僕の足であれば少し歩くことになる距離を、安西会長が初めの一歩で詰めてきたのだ。
 
「この期に及んで、今学校ここで君を抱きしめる理由を探していることだよ」

 リーチの差を嘆く間もなく放たれたそれに一瞬呼吸が止まる。
『この方が君の顔がよく見えて俺は好きだ』
 さりげなくこちらに手を伸ばし頬にかかる僕の髪を掬って耳元にかける動作は、文化祭の時のことを思い出させた。浅ましいのは僕の方かもしれない。今の会長が僕のことをどう思ってるか分からなくて戸惑うばかりなのに、この人が早くその理由を見つけてくれることを切望している。
「……あ。会長っ」
 ……いや、自分で会いに行くって決めたんだからこういうのだって待ってるだけじゃ駄目なはずだ。そう奮起して少し頭を回し──急に声を上げた僕をきょとん、と会長が見ている。
「さっき僕、祖父江くんと抱き合いました!」
「……祖父江と?」
「あっ、あと間壁先輩ともっ」
「間壁とも?……随分思い切った多重交際宣言だな」
「そっ、そういうわけではなく!」
 僕の言葉選びが悪かったのか、何やら斜め上の方向に受け取ったらしい安西会長に慌てて首を振る。
「投票で僕が生徒会長に決まった時、『お疲れ!』みたいな……労いとしてやってくれたんですっ」
「ああ、そういうことか。──今俺がそれを求めたら、君は受け入れてくれるのか?」
「……」
 こちらを試しているか──縋るようにも見えるゆるりと細められた瞳に真っ当に返事をするのが恥ずかしくなって、代わりに小さく頷く。と、すぐさま後ろに回された両腕が控えめに……だけど明確な意志を持って、僕の身体をしまい込んだ。

「──会長……っ」

 見た目よりもずっとしっかりとした腰に両手を掛けて擦り寄る。勝手にこぼれてくる涙で会長の制服を濡らすのだけが気がかりだったけど、髪を撫ぜる手がさりげなく肩に引き寄せてくれるものだから素直に甘えることにする。頬の辺りに肌や布とは違う質感のものが当たり横目で会長の胸ポケットを確認すると、初めてデートした時に買ったお揃いのボールペンが差さっていた。
「当選おめでとう。不利な状況でよく頑張った。生徒会の人間として──恋人としても、君を誇りに思う」
「僕一人の力じゃありません。みんなが助けてくれたから──コイビト……?」
 恋人。しばらくは──下手するともう二度と──会長に呼ばれることはないと思っていたその名が割と頻繁に登場してることに気づき、なぜだか初めて聞いたかのような発音が出る。そんな僕に、形の良い眉を怪訝そうに歪める安西会長。
「……先ほどから口ぶりが気にはなっていたが……。東山」
「はっ、はい!」
「念のため、今の君と俺の関係を教えてくれるか?」
「関係……ですか?」
 突然の要請に首を傾げつつ、言われるがままに口を開く。 
「えっと、僕と安西会長は生徒会の先輩後輩で……、今年の四月にお付き合いを初めて──先週別れたばかりです」
「……別れ……!?」
 ひとつずつ挙げていく度に静かに頷いていた会長だけど、最後のを聞いた瞬間見ても良いのか悩むほどに目を剥いている。「わか、わかわ……」とうわ言のように呟く様はそういう鳴き声の動物のようだと思いながら見上げていると、うしろに回された腕がガシィッとより強固なものになった。
「かっ、会長……?」
「よく聞いてくれ東山。俺たちは、別れていない」
「そ、そうなんですか……?」
「そうだ。少なくとも、俺は了承した覚えがない」
 小さい子供に言い聞かせるような口調は、付き合いたてで会話の内容に悩むあまり泣き出した僕にかけられたのと同じものだ。
 ──そうか、僕らは別れたわけじゃなかったのか。
 あの時のことを何度も思い返すうちに、脳が錯覚を起こしてしまったようだ。次の生徒会長に決まったところで、僕のポンコツが改善するわけじゃないらしい。……それでも足掻くのをやめない限り、この人は優しく包み込んでくれるんだろう。
「もしや、錯覚を起こすほどに君は俺との別れを望んでいるのか?だとしたら落としどころを見つけるまでこの腕を解くわけには──」
「あっすみません、電話が来てるみたいで……」
 会長とのお付き合いがまだ続いていたことに安堵し、続く言葉に耳を傾けようとしたその時制服のポケットに入れていた僕のスマホが鳴り響いた。
「はい、東山──」
【祖父江。今どこ?】
 一度会長の腰から手を離してスマホを取り出して通話を始めると、画面に表示されていた名前の通り祖父江くんの声が聞こえた。
「今?まだ学校だけど……」
【後藤んちでやってる鉄板焼き屋でお前の祝勝会しようって、今準備してる。マップ送るから来いよ】
「そうなの?嬉しいけどそれ費用とかどうなって……」
「おそらく松原先生持ちだろう。俺は去年、生徒会長に決まった時寿司を奢っていただいた」
【会長もそこにいんのか。なんかふたり声近くね?】
「あ、えっと……」
 電話に出ても会長が僕を離す素振りを見せなかったのでそのまま話し続けていると、案の定突っ込まれてしまう。返答に困ってから数秒後、【まぁ良いけど】と流してくれた。
【東山の祝勝会、会長も来てください】
「しかし俺は東山の勝利に貢献するようなことは何も──」
【俺も途中まで選挙活動いなかったけど、松原先生と一年生たちいわく今なら一発ギャグで許してくれるらしいっすよ】
「一発ギャグ……!?」
 僕の祝勝会のために準備を進めるみんなを想像してほっこりしたのに、直後の聞き捨てならないワードに固まる。
「一発ギャグか……。分かった、そちらへ向かう道中で何か考えておこう」
「考えるんですか!?」
 祖父江くんだけならともかく、安西会長になんてことを!と(祖父江くんにくすぐりの刑を受ける覚悟で)物申そうとしたけど、当のご本人はなぜだか乗り気で僕の髪を片手で弄びながら「そうだな……」と思案している。
【──なになに?電話東山?】
「えっ、南條先輩……?」
 祖父江くんがスピーカーにしたらしく、次に聞こえてきたのは少しの騒めきと──だんだんと近づいてくる南條先輩の声。
【なんだよ、俺がいたら駄目?言っとくけど今回の選挙のMVP俺だからな。飯食う権利くらいあんだろ】
「それはそうですけど……」
 投票結果が発表されてすぐに体育館を出ていったらしいから、とっくに帰ったものだと思っていた。会ったらちゃんと、応援演説のお礼が言いたい。
【覚悟決めてから来いよ。南條先輩、東山が見たらぶっ倒れそうなくらいエグいピアス付けてっから】
「えっ、でも演説の時ピアスの穴塞がってたよね?」
【そんなんいくらでも隠せんだよ。うちの制服の色にバッチリ合うやつ買ってさぁ】
「制服って……まさか先輩、そのエグいピアス付けて学校行く気じゃ──あっ」
 急きょスマホ越しで聞き取り調査を試みた瞬間、恐らく南條先輩の手によって通話が切れた。小言が始まる気配を察知したんだろう。
「本っ当に南條先輩は……」
 ここにいない人に苦言を呈しながらスマホをポケットに戻し、少し前から喋らなくなってしまった安西会長を見遣る。するとじ……とひたすらこちらを見下ろす瞳と視線がかち合った。
「か、会長?」
「……君は本当に皆に愛されているな」
 あまりにも居心地が良くて忘れそうになっていたけど、今僕は会長に抱きしめられている。祝勝会に行かなきゃだしこのままだと会長も不便だろうとさりげなく離れようとするけど、がっちりと回された腕は緩みそうにない。
「次また目を離そうものなら、誰かに取られてしまいそうだ」
「……大丈夫ですよ」
 スマホを持つために離していた手をもう一度会長の腰に掛ける。いくらなんでも、黙って奪われてあげるほど僕はポンコツじゃないはずだ。万が一そうなっても、ちゃんと自分の力でこの人の元に帰ってくる。
 ──とはいえ、次はいつ会長とこんな風に触れ合えるか分からないし……そう思うと離れたくないなぁ。
 ──ああでも。
「祖父江くんの一発ギャグは気になるんだよな……」
「祖父江の一発ギャグとは何なんだろうか……」
 あれこれ思いを巡らせた末にうっかり漏れた心の声。タイミングはもちろん内容まで同じだったものだから、僕らはお互いの額を寄せて笑いあった。