◇◇
「本当に、あの人は……」
生徒会の人たちと解散して着替えやメイク落としを済ませた後、教室の自分の席に戻り椅子にもたれ掛かる。ため息と一緒に口から漏れ出た“あの人”とは、もちろん南條先輩のことだ。
──インナーカラーとピアスの他にも、眉毛ティントに耳の後ろのタトゥーシール……いっそ清々しいくらい首から上が校則違反で完成されていた。
──今日は悪い服装の見本ってことで申請が通ってるみたいだから良いけど(それはそれで生徒会役員としてどうかと思うけど)、投票日まであんな感じだったらどうしよう。風紀委員に捕まるのも時間の問題だよ……!
「いっそ南條先輩を生徒会役員から除名するしかない……?」
「そうなったら誰がお前の応援演説するんだよ」
「うわっ!?……祖父江くん……っ」
聞き覚えのあるツッコミが飛んできた方を見ると、生徒会の二年生役員で僕と同じクラスでもある祖父江くんが椅子に座る僕の横に立っていた。
「パン持ってきた。選挙活動入ってから昼飯食ってないだろ」
「う”っ……」
言うなりどさっ、と机の上に置かれたビニール袋の中には購買のパンが大量に詰め込まれていて、じとりとこちらに視線をやりながら図星を突いてくる祖父江くんにぐうの音も出ない。ソーシャルメディア部に中学時代の喫煙を暴かれ、生徒会長選挙へ出馬出来なくなったことに罪悪感があったらしい祖父江くんはこの一週間僕と目も合わそうとしなかったけど、知らないところでちゃんと見ていてくれたんだ。
「俺と、他の生徒会二年からの差し入れ。期限長いのばっかだから選挙まで一日一個は絶対食えよ」
「あの二人も……?」
僕と祖父江くんの他にあと二人いる、生徒会二年生役員たちの顔が思い出される。彼らも選挙の出場を辞退し、その後は選挙管理委員に選出され候補者である僕との接触を禁じられていた。
「ごめん、みんなに心配かけたよね……」
「……謝るのはこっち」
ここで座る向きをそちらに変えた僕を待っていたかのように、ガバッ、と深く頭を下げる祖父江くん。
「祖父江くん……!?」
「足引っ張ってごめん。俺が中学の時に馬鹿なことしなかったら今頃二人で風紀委員と戦えたのに……お前ひとりにすげぇ背負わせてる」
「そんな、頭上げてっ」
きっちり直角に曲げられたことで眼前に差し出された両肩に手を置いて、無理やり起こし上げる。
「よってたかって甘利くん一人に挑むより、一対一で戦って選ばれた方がみんなの心象も良いよ。むしろこうなるべきだったんだって」
「そうか……?」
「そうなの。……祖父江くんはいちいち気にし過ぎっ」
体育祭の時のことを思い出しながら前で首を傾げている祖父江くんの肩から脇腹に両手を移動させてくすぐりをしかけるけど、ぴくりとも動かない身体にもう少し力を入れて再チャレンジしようとしたところで──今僕が着ているブレザーのジャケットの下に褐色の両手が滑り込んでくる。
「えっ?」
「甘いな。匠の技ってやつを教えてやる……よっ」
「ちょっ、待っ、あはははははっ!」
僕のとはまるで違う情け容赦のないくすぐり攻撃にされるがままになり、笑い死にする未来も見えてきた頃ピタ、と止まる手。
「──頼む東山」
少し見上げる形になっている僕の額に自分のそこをこつ、と合わせて言う祖父江くんがどんな表情をしているのかは近過ぎて逆に分からなかったけど、縋るような声音からだいたいの想像はついた。
「俺、今の生徒会結構好きなんだ。俺に出来ることならなんでもする、だから……」
「うん」
これ以上彼に何か言わせたらいけない気がして、遮るようにジャケットの中で小さく震える手を上からぎゅうっ、と握り口を開く僕。
「任せて」
◇◇
「そういや最近、ばあちゃんが南條先輩のドラマにハマってそればっか観てんだよ」
「あの配信ドラマ、今SNSですごく流行ってるらしいね」
「俺昨日初めて観たんだけどさ、あの人マジで俳優やってんのな。テレビで見たことなかったしこの学校の奴らの集団幻覚かと思ったわ」
「南條先輩が聞いたら『そのうち地上波でも引っ張りだこになっから!』って言いそう」
「やば、似てるわ」
放課後になり今日から僕の選挙活動を手伝ってくれると言う祖父江くんと話しながらやって来た生徒会室のドアを開けると、そこではしばらく見ることのなかった人の姿が目に飛び込んでくる。
「……安西会長……?」
資料などが納められている棚の前で優美に人差し指をさ迷わせているのは、選挙が終わるまで生徒指導室で活動しているはずの安西会長だ。
「──東山か。選挙活動は順調か?」
「はっ、はい!南條先輩が応援演説をやるのが話題になって僕の認知度も少しずつ上がっています。会長は……何かお探しですか?」
「先日君たち候補者が発表した当選時の公約だが、もっと分かりやすいまとめ方はないものかと甘利が悩んでいてな。参考になりそうな資料を見繕いに来た」
「甘利くんが……」
本棚から僕に視線を移し問いかけてくる会長に、同じ空間で話が出来るなんていつぶりだろうと胸を弾ませたのもつかの間、直後に出た甘利くんの名前にがっくりと落ちそうになる肩を急いで持ち直した。
──それは、わざわざ生徒会室に来る理由なんて甘利くん関係しかないよな……。
「いくつか良さそうなものがあったので持っていくぞ。間壁にメッセージでも知らせておくが、彼が来たら君たちからも伝えておいてくれ」
「分かりました」
「了解っす」
「祖父江、しばらく生徒会室に顔を出してないと聞いたがここで顔を見れて安心したよ。投票日まで東山の精神的な支えになってやってくれ」
「……うす」
「それから──東山」
「……はいっ」
選んだファイルを片手に出入り口を目指して歩く途中で足を止めて近くにいた祖父江くんに声をかけた会長が続いて僕を呼んだことで、さっき落としかけた肩がぴしっ!と跳ね上がる。
──わ、わ、何言われるんだろう……!
──会長になら何言われても頑張れちゃうけど、欲を言えば頭ぽんぽんとかしてもらえると嬉しいです!
僕の足を引っ張ってると思い込んで目も合わせてくれなかった祖父江くんが実はずっと心配してくれてたみたいに、安西会長も甘利くんにかかりきりなように見えてちゃんと僕を見てくれてたんだ……!
「君が公約と同時に挙げた活動実績に載っていた体育祭の五月開催の項目だが、否定的だった風紀委員を説得して承認するよう掛け合ったのは甘利なんだそうだ。──既に書面に起こしているところ悪いが、体育祭の件は彼に譲れないだろうか」
「……え……?」
すっかり浮き足立っていた僕は──いよいよ切り出されたそれが激励とはまったく別物の事務的な要請だと理解するのに少し時間がかかってしまった。
「それって……」
「東山が成功させた体育祭の五月開催を甘利の手柄にしろってことですか」
反応が遅れた僕に代わるように、一歩前に出て安西会長に詰め寄るのは祖父江くんだ。
「イチから案出して開催まで持ってったのは東山じゃないすか。承認通したくらいでんなこと言われても――」
「甘利は風紀委員という立場上、生徒会副会長として多くの功績を上げてきた東山に比べて全校生徒に胸を張って売り込める実績がない。現に一部の教師陣からは、このままでは甘利の分が悪いのではと意義を唱える声もある」
「でも」
「いいよ、祖父江くん」
相手が安西会長でも怯まず食い下がろうとしてくれる祖父江くんを制して、彼の人に向き直る。
「分かりました。体育祭の開催時期の実績は甘利くんに使ってもらうように、僕の方からも選挙管理委員に変更の旨を伝えておきます」
「ああ、頼んだ」
「ほんとに良いのかよ東山、ただでさえも甘利に比べて認知度カスなのに一番派手な実績まで取られたら──」
「他に実績がないわけじゃないし、みんなの興味がひけそうなもの探してみる」
そうそう。祖父江くんといえばこの容赦はないけど愛のある物言いだ、最近聞けなくて寂しかったんだよな……と半ば現実逃避のように思いながら返せば「お前ほんとにお人好しだな……」と呆れたように言われるけど、別に親切心でそうしたわけじゃない。……これ以上安西会長の口から甘利くんの肩を持つような発言を聞きたくなかっただけだ。
「それから──」
けど──会長から発せられる僕にとっての追い討ちはそれだけじゃなかった。
「君の連絡先を一時的に拒否設定にしているので、俺のスマホに何か送っても返事は来ないと思ってくれ」
「拒否……?」
さらりと思い出したように告げる会長に対し、ひゅっ、と短く鳴る喉。
──拒否って、これからしばらくはメッセージも電話も出来ないってこと……?
生徒会の仕事でどうしても会長の力が必要な時は、パソコンからメールを送ったり書面を通したりすれば良いのでスマホがなくてもそこまで不便じゃない。──つまり安西会長は、先輩後輩としてはもちろん恋人としても連絡してくるなと言っている。
「ま、待ってください。スマホでのやりとりまで制限することは……」
「君も知っていると思うが、俺を含めた生徒会役員は風紀委員とソーシャルメディア部に厳しく監視されておりいつ足元をすくわれるか分からない状況だ。慎重でいて損はない」
そこまで言い切るともう話すことはないとばかりに、安西会長は僕の返事を待たずその横をすり抜けて生徒会室を出て行ってしまう。……けど、通りすがりで見えたブレザーの胸ポケットに“アレ”がないことに気づいた僕は、隣にいた祖父江くんに「ちょっと待ってて!」と声をかけてから会長の後を追って生徒会室を出る。
「──会長っ!」
「……なんだ?」
呼びかけにゆっくり振り返る様は少し煩わしそうにも見えるけど、会長がそんな態度を僕に取るわけがないと自分に言い聞かせながら口を開く。
「……いつも持っているボールペンは……」
夏休みにデートをした時、映画館の売店で僕が買ったボールペン。その後会長も同じ物を買っていたと知り、(少なくとも僕は)図らずもおそろいで持つことになったそれは最近はいつも会長のブレザーの胸ポケットに刺してあったはずなのに、今はなぜかそこから姿を消していた。
「あれか。甘利がインクの出るボールペンを持っていないそうで、明日まで貸し出している」
「貸し出し……?」
「この後俺も付き添って新しい物を見に──……いや、君には関係のないことか。話はそれだけか?」
「あ、はい……」
「なら、甘利を待たせているので今度こそ行かせてもらうぞ」
次の言葉を見失いつつもなんとか一回だけ頷くことが出来た僕を見ると安西会長は、宣言通りさっさと背中を向けて歩き出す。
「ひーがーしーやーまー」
彼の人と入れ替わるようにやってきたのは、間延びした声で僕を呼ぶ南條先輩だ。
「間壁が応援演説はコレ言っとけって原稿送って来たんだけど超長ぇの。あいつ絶対スピーチと小説の区別ついてな……何見てんだ?」
メッセージが表示されたスマホをひらひらと振るけど見向きもしない僕に首を傾げた南條先輩は、その目線を追って階段の方へ消えていく会長を捉えると「あー」と声を漏らす。
「“安西会長が甘利くんに取られて寂しい!僕泣いちゃうっ”」
「ちょっ……全然似てないんですけど!?」
「寂しいのは否定しねぇんだ」
俳優をやっているというのが疑わしくなるレベルの低クオリティな声マネに思わず顔ごと振り向けば、全てを見透かしたような意地の悪い笑みが出迎えた。
「それは……」
過去の選挙で不正した事実がある以上、生徒会サイドは疑われるようなことをしちゃいけないと分かってるとはいえ──ついこの間まで生徒会室で一緒に仕事していた安西会長が、今は風紀委員の拠点で他の候補者のことを気にかけているのだ。寂しくないわけがない。しかも会長は僕の連絡先をブロックした一方で、甘利くんとはこの後一緒に出掛ける約束を取り付けていると言う。
──あと、僕とお揃いのボールペンを何の抵抗もなく甘利くんに貸し出してると思うとなんかもやもやするんだよな……。
──あれ?もしかして僕、寂しいだけじゃなくて──……。
「甘利に嫉妬してんだろ、お前」
「なんで分かったんですか……!?」
「話したことはねぇけど、いつ見ても一生懸命で手を差し伸べたくなるタイプなんだろうなぁ甘利は」
心のつぶやきを聞いたかのような発言に反射的に肯定してしまった僕をからかうでもなく、南條先輩は淡々と分析している。
「それに比べてお前は、どんな仕事も一人でミスなく捌いて瞬殺する。はっきり言って可愛げがない」
「なんですかその突然の悪口……!」
「お前もその辺うまくやれってこと」
その理論でいけばミスをした方が可愛いってこと……?なら本当はポンコツで、いくつものミスを内々に処理してきた僕は可愛げのかたまりじゃないですか!ほら可愛いって言ってくださいよ!!なんてあわや南條先輩に掴みかかるかというところで、ここだけでもモデルとして活躍できるんじゃないかってくらい綺麗な手が頭の上にぽん、と置かれた。
「接触禁止はあくまで“必要以上の”なんだからさ、生徒会の仕事にかこつけて声かけりゃ良いんだよ。『この手続きが分かりませーん♡』とか言って」
「でも……そんなことしたら会長にご迷惑が……」
「お前の死んだ顔をずっと見せられてる俺の方がよっぽど“ご迷惑”だわ」
もはや似せる気のない声マネを……僕の髪を撫ぜるすらりとした指先が存外優しかったというのもあってスルーして答えると、ひとりごとのように続ける南條先輩。
「結局はな、うまく甘えられる方が愛されるんだよ」
◇◇
「失礼致します、安西会長はいらっしゃいますか?」
放課後の活動が始まってから少し時間が経ったあと生徒指導室を訪れれば、既に何人かの風紀委員がパソコン仕事に取り掛かっていた。……その間を縫って、僕に名指しされた安西会長がやってくる。
「──どうした、東山」
「えっと、何かの参考になると思いパソコンから過去の生徒会長選挙の記録に目を通していたのですが、四年前のものだけが見つからなくて……安西会長なら何かご存じかと」
昨晩家で何度も練習したのを思い出しながら言うと、周りの風紀委員たちの意識がパソコンに戻っていくのが分かる。さすがに自分たちの前で不正に関する話はしないと判断したんだろう。
──いや、風紀委員が見てなくても不正なんてしないけど……敢えて目の前でこう言っておけば変に疑われないはず。
『お前は、どんな仕事も一人でミスなく捌いて瞬殺する。はっきり言って可愛げがない』
『結局はな、うまく甘えられる方が愛されるんだよ』
昨日の南條先輩の言葉をまんまと真に受け、会長が甘利くんのことを好きになっちゃったらどうしよう……!と何も手につかなくなってしまった僕は──開き直って投票日前に一度だけ、会長に甘えてみることにしたのだ。
「四年前のものは確か紙媒体だったはずだ。資料室は見たか?」
「……あー……思いつきませんデシタ……」
シミュレーションはして来たけどいざ面と向かって指摘されると気まずくて、つい会長の顔から視線を逸らしてしまう。いつもの僕なら必要な資料があればまず自分で探して、どうしても見つからなければそこで初めて知ってそうな人に声をかけていた。今言った四年前の生徒会長選挙の記録も、本当言えば探そうと思い立ってから三分くらいで見つけたけど──……会長に話しかけるのにちょうどいい口実だと思って知らないふりをすることにした。
「自分で探すにしてもまるで見当がつかなくて……。会長が一緒に探してくれたらありがたいんです、けど」
「……分かった」
既にその記録と対面してるのにどの口が言ってるんだろう……と若干の罪悪感を抱く僕に対して、安西会長は少しの沈黙の後にそう頷いてくれる。
「そう時間はかからないはずだ。一緒に行こう」
「はっ、はい!ありがとうございますっ」
「──少し席を外す。甘利が来たらすぐ戻ると伝えてくれ」
一度振り返って風紀委員の人たちに声をかけてから生徒指導室を出てくる安西会長の、思いのほか足早に進む背中を慌てて追いかける。
──やっぱりちょっと忙しそう……!なるべくすぐ退散しなきゃ。
──甘えてみるって決めたけど、僕はただ記録を探すフリをしながらほんの少しだけ、いつもみたいな会話が出来たらそれで良いんだ。
──そうしたら、明日からまた頑張れるはずだから……。
お付き合い当初は僕に隣を歩くよう促すこともあったけど、今はこちらを一瞥もせずどんどん先を目指す安西会長に心細さを覚えた頃。目的の資料室に着いたと思えば、そのまま横切ってしまった。
「会長?資料室通り過ぎましたけど……」
「……」
声をかける僕に無言を貫いた会長がようやく立ち止まったのは、資料室から十メートルほど歩いたところにあるオープンスペース。部活や委員会の活動がないであろう生徒たちが思い思いにくつろいでいるそこの壁に背を向けて立つことで、僕を正面に捉えた安西会長は静かに口を開く。
「いい加減にしてくれないか、東山」
淡々と発せられたそれは生徒会で仕事をする中で何度も聞いてきたものなのに、人の名前を乗せて運ぶものとしてはあまりにも冷たい。声と同じように感情のない──いやむりやり奥の方へ押し込んだような表情が、何かを申し立ててくる。
「……会長……?」
「昨日俺にボールペンの所在を聞いてきた時から迂闊な行動が気がかりだった。……記録の保管場所も、今俺たちが接触すればどんな危険が伴うかも──君なら分からないはずはないだろう」
ああそうか、仕事にかこつけてなんとか会長と話したいっていう僕の目論見がバレたのか。それなら今すぐ謝らなきゃ。謝って、もうこんなことしませんって約束してから早急にここを離れなきゃ。頭では分かっているのにどうしても言葉が出てこなくて、視線を彷徨わせているうちに会長が着ているブレザーの胸ポケットにたどり着く。……昨日返却されているはずのボールペンは刺さっていなかった。
「生徒会長になると、自分で決めたのなら突き通せ。そこに甘えは許されない」
目が合わなくなった僕を気にも留めず会長は続ける。現生徒会長と次期生徒会長候補の不穏な様子に、どこからともなく現れたソーシャルメディア部の人たちが囁き合っているのが視界の端に見えた。
「す、すみませ……」
「どうやら君は──俺が思うほど思慮深い人間ではなかったようだ」
「……!」
狭まった喉からどうにか謝罪の言葉を捻り出したけど、言い終わる前にトドメとばかりに飛び出したそれが呼吸ごと攫っていく。
「──優真!」
すぐに呼吸を再開させて大量の酸素を頭に取り込んでも頭がうまく回らず途方に暮れたその時、誰かが学校(ここ)では聞き慣れない僕の下の名前を呼びながらやってくる。……南條先輩だ。
「敵情視察してるとこ悪いけどちょっと来い。応援演説のことで聞きたいことあんだ」
「南條、まだ話は終わって──」
「はぁ?いつまでうちの大将独り占めするつもりだよ、んなもん強制終了だ強制終了」
安西会長が言いかけたのをしっ、しっ、と追い払うような手つきで遮ると、南條先輩は呆然としたままの僕の手首を掴んでその場から連れ出す。迷いのない足取りにただ付いて行けば、裏口を出てすぐ脇にある非常階段に来た。
「非常階段は立ち入り禁止だって……」
「そんな顔で生徒会室行く気か?とりあえず一回座れ」
階段の一番上まで登ったところに座り込み隣をばしばし叩いて促してくる南條先輩に、確かにこのまま生徒会室に行ってもいつも通りふるまえる自信はないし……と納得して大人しく従うことにする。
「……アレは唆した俺が悪い」
「そんな、先輩は悪くないです……!」
僕が腰かけたのを横目で確認してからそう切り出し、頭でも下げそうな勢いの南條先輩に被せるように首を振る。いつから見ていたかは分からないけど、この人は様子のおかしい僕に気づいて間に入ってくれた。
「全部僕が悪いんです。選挙に勝つためには風紀委員やSM部に隙を見せちゃいけないって分かってたのに、自分勝手な理由で会長に会いに行ったから」
徐に自分の膝に頬杖をついた南條先輩の視線はこちらとは反対側にある。僕を残して一人でここを離れるつもりはないらしい。
「昔からそうなんです。家族にも学校の先生にも『もっと人を頼りな』って言われるけど──どうすれば良いか分からなくて。さっきも少しだけ甘えてみようと思ったらタイミングを間違えちゃったみたいだし……会長が失望するのも無理ないですよね」
失望。
言葉にするとすとん、と胸に落ちてくる。
──安西会長は、僕に失望した。
──僕は本当は思慮深くなくて迂闊で──……理想の恋人なんかじゃないって、気づかれてしまった。
「しかたないんです。副会長としてあの人の隣にいれて、恋人にもなれて……今までがうまく行き過ぎてただけで、遅かれ早かれこうなってました。……僕本当は、何も出来ないポンコツだから……」
あ、これ以上何か言ったらたぶん泣く。そう思って唇に力を入れて閉じるけど、隙間から入り込んでくる雫に手遅れだと気づいた。
「そこまでいったら泣いちまえよ」
「で、も……」
「ここは放課後になってすぐ風紀委員が見回りしてるからしばらく誰も来ない。……今しかねぇぞ」
「……っ」
ぎゅっと目を瞑ってどうにかそれをせき止めようとする僕に、明後日の方向を見たままの南條先輩が初めて聞く優しい声音でそんなことを言うものだから……とうとう決壊した。
「……うぅっ……ふ……」
ぼろぼろと流れ続けるそれ──大粒の涙を止めるのは諦めて、声だけ押し殺す。
背中を丸めてひたすら泣きじゃくる一方で脳内に浮かぶのは、目が合うなり目尻を赤く染めて微笑む大好きな人の姿。僕が告白を受け入れれば信じられないと座り込み、捨てないでくださいと泣きつけば君を見限ることはないと約束してくれた──今はここにはいない人。
──僕が好みから大きく外れた人間だったって知られた以上、安西会長の気持ちは変わってしまったはず。
──例え選挙で甘利くんに勝てたとしても、僕はもうあの人の傍には戻れないんだ。



