茜が消えてから数日が過ぎた。新しい出会いの季節が近づいている。

 あれからずっと、私は何度も茜と出会った農業研究センターの森に足を運んだ。茜の姿を探して歩き回ったけど、一度も茜の姿は見つけられていない。

 そうこうしているうちに、春休みになってしまった。
 今日こそは茜に会うんだ。
 私はそう決意して、とっておきの服に袖を通した。

 ビリジアンのワンピース。茜が選んでくれて、新しい世界を私に与えてくれた服。お年玉で密かに購入した、私の宝物。
 ワンピースを汚さないように慎重に山を登って、あの野外ステージにやってきた。

 開けた空間の中央近くに生えた木の下に立ち、歌を紡ぐ。
 はじめて披露した男性歌手のバラードから始まり、恋の歌や、春の訪れの歌、色んな曲を歌いあげていく。

 疲れたらお茶で喉を潤し、休み休み、朝からずっと一人、リサイタルを行っていた。


 日が傾きだした頃、足音が一つ近付いてきた。
 わかっている。この足音は、茜だ。

 期待を込めて振り返ると、思った通り、背後には茜がいた。

 「喉、潰れちまうぞ」

 苦笑めいた笑顔でそう言った茜に、私は思わず飛びついた。
 茜が優しく私を抱き留める。

 「好き、茜が好きだよ。お願い、帰ってきて」

 鼻水を啜り、涙を流しながら私は必死にそう訴えた。
 頭上から溜息が落ちてくる。

 「俺は狐、お前は人間だぞ」
 「いいの、狐でも」
 「俺の生きる場所は野山。お前は街だ」
 「それなら帰ってきてなんて言わない。私が森で暮らしてもいい。だから一緒にいて。茜と離れたくないっ」

 茜が自分にしがみついている私をそっと引き離した。
 青い目がじっと私を見つめる。

 「俺はずっと、一人の女だけが好きだ」
 
 前にも聞いたことを茜が口にする。
 ふられる。そう予感して、心臓が縮み上がった。

 「だったら、家族としてでもいい。だから、傍にいて欲しいよ」
 「最後まで聞けよ、美守。その女は、お前なんだぜ」
 
 茜が目元を綻ばせる。そして、私を再び胸の中に迎え入れた。

 「まだ子狐だった俺を拾って世話してくれてた時、歌ってくれただろ。あの優しくて透き通った歌声が大好きだった。怪我が治って森に帰ってからも、時折一人でやってきて歌っていたお前の声を聞いていた。お前の姿を見ていた。ずっと、俺はお前が好きだった。でも、俺は人間でお前は狐だ。だから、駄目だと諦めた。でも、もう一度でいいから、お前と過ごしたかった。だから、お前の家を訪ねていったんだ」
 「狐でも、茜が好きだよ。茜と再会できて、よかった」
 「……馬鹿だな、美守は」
 「諦めるなって教えてくれたのは、茜でしょ」

 ふはっと茜が弛んだ笑い声を漏らす。

 「帰ろうぜ、美守」
 「うん!」

 私は茜に向かって手を差し出した。茜が笑顔で私の手を握り返す。
 帰り道、ぽつりと茜が言った。

 「そのワンピース、買ったんだな」
 「茜を驚かせようと思って、内緒で買って隠してたの」
 「よく似合ってるぜ」
 「ありがとう」

 茜が新しく見せてくれた景色を纏い、軽やかな足取りで私は茜と夕暮れの街を歩いた。
 二人の影が一つに結ばれている。

 さあ、新しい出会いの始まりだ。