失恋の傷もすっかり癒えてきた。三寒四温を繰り返し、季節はだんだんと春に向かっている。

 「そろそろだな」
 茜がぽつんと呟いた。

 「えー、桜が咲くにはちょっと早いよ」

 窓の外を見てそう返事した私を、茜が不意に後ろから抱き締めた。

 「茜?」

 ドキドキと心臓が鳴り響くのを止められないくせに、私は無理に平然を装った声で茜の名前を呼ぶ。
 するりと茜の筋肉質で細い腕が離れた。
 
 パンパン。小気味よい拍手が部屋に響く。

 振り返ると、二人きりの時はいつも人間の姿でいる茜が狐の姿に戻っていた。

 「冬は終わった。世話になったな、美守」

 それが別れの挨拶だとすぐにわかった。目の前の茜がぐにゃりと歪む。

 「ま、待って。いいよ、家に居ていいから」
 「いや、俺は森に帰るよ」
 「だめ、いかないでよ、茜。お願い」

 引き止めなくちゃ。

 とっさに私は茜に抱き着いた。
 ふわりとした毛。温かな体温。茜をぎゅっと抱き締める。絶対に離さないという、強い意思を持って。

 茜がいきなり人間の姿に戻った。私をそっと話すと、泣きそうな笑顔でこちらを見ている。

 「人間と狐だぜ。いつかは別れる定めだ」
 「いや、そんなのいや! だって、私は―…」

 私は、茜が好きだから―…。
 私が自分の気持ちを理解して音にする前に、茜は人差し指で私の唇に触れた。

 「こいつは俺のけじめだ。じゃあな」

 ふっと窓から強い風が舞い込んだ。
 春の匂いの混じった風と共に、茜の姿は消えていた。